概要
信越本線横川 - 軽井沢間(横軽)で専用補助機関車EF63形との協調運転を可能とした165系の派生形式。以下の点で165系との相違点がある。
・協調運転用の機器としてSRB8形界磁接触器を新たに設置。
・制御装置を協調運転対応の物に設計変更し搭載。
・抵抗器の容量を増大。
・協調運転時に下り軽井沢方先頭車となるクハ169形にEF63形との連絡装置・非常制動時に衝撃を抑える特殊構造の非常弁・主幹制御器への防護回路等を搭載。
・協調制御用にKE70形ジャンパ連結器を搭載。
また、また、横軽間での急ブレーキ時の座屈対策のため当該区間では空気ばねから空気を抜いて運転するので、床下配置が変更されている(これは協調運転をしない165系・183系・185系・および12系・14系客車も同様)。
1967年に先行して協調運転試験用の165系900番台を製造、量産車運用開始後に量産化改造して169系900番台に編入。グリーン車(サロ169)・ビュッフェ車(サハシ169)は165系・153系からの編入改造で充当された。なお、ビュッフェ車は1970年代後半に営業をやめ、1978年までに廃車となっている。
運用
本来の目的である信越本線における急行列車運用は1986年11月ダイヤ改正で消滅し、グリーン車は廃車、900番台は先頭車は電装解除・交直流対応化で東北用の455系に編入(クハ455-300・400番台)モハ168-900は一時的にサハ化されるもののすぐに廃車。その後は長野地区の快速・普通列車や波動用として運用された。1990年代に入ってからは老朽化の進んだ三鷹・幕張の波動輸送・快速用165系初期車を置き換える形で一部の未更新車が転属している。
1992年の成田線大菅踏切事故で、同様の前面の113系が過積載の大型ダンプカーと衝突大破し、運転手が救出の遅れから死亡したことにより、緊急対策で全車に対し前面補強工事が行われることとなった。三鷹・幕張に所属していた未更新車はファンに「鉄仮面」と通称される急ごしらえのステンレス補強板が設置され大きく外観を損ねた。なお、三鷹車にはシールドビーム交換車がいたが、実は前面補強工事はなされていなかったため、一緒に「鉄仮面」化されてしまった。これらは全て未更新車であり、早晩置き換えが想定されていたため外観は切り捨てられたのかもしれない。
長野配属の車にも補強工事は施されているが、外観は国鉄時代の定期補修工事同様の、一見前照灯をシールドビーム交換しただけのようにしかみえない処理となっている(細かく見ると貫通扉幌枠や前面ステップの下に微細な補強材が存在するが、よほど注意深く観察するか、言われなければわからないレベルである)。
長野車は新旧2回の「長野色」への塗装変更、(新)急行「かもしか」→快速「みすず」用にリクライニングシート化もしくは簡易リクライニングシート化されるなど接客設備の向上が図られ、団体臨時などで首都圏にも頻繁に顔を出していた。しかし、時代が経つにつれて2扉が持て余されるようになり、更新工事施工済であったことから、しなの鉄道に15両が譲渡されたほかは、三鷹区の快速用未更新車置換えに充当された。三鷹区転属車はグレー系主体の新塗装「三鷹色」に変更されている。
しかし混雑に対応できずここでも引退している(現在の「むさしの号」で、朝の列車は209系500番代またはE231系8連でも混雑する状態である)。
しなの鉄道には、1997年の開業時に3編成、1999年に快速の増発と部品取り用として2編成ののべ5編成が譲渡され、営業用車両は塗装変更のうえで使用された。いずれもJR時代は付随車を挟んだ4両編成を組成していたが、しなの鉄道移籍時に脱車したうえで3両編成に改めている。主に快速列車や、朝夕のライナー列車、軽井沢-小諸間の普通列車などに使用されていた。2008年には信越本線長野-関山間開業120周年を記念し、急行「信州」のリバイバルのため、S52編成が湘南色へ復元された。イベント終了後は一度しなの鉄道色へ戻されたが、2010年に再度湘南色へと塗装されている。
しかし、2011年7月から法改正に伴う保安装置の関係でJR線に全車両が乗り入れできなくなり、車両自体の老朽化も合わせて翌年にはS54編成が引退した。
さらに、2013年のダイヤ改正で全車両が定期運用を離脱し、4月29日に引退となった。
量産車トップナンバーであるクモハ169-1・モハ168-1、ラストナンバーであるクハ169-27で構成されたS51編成が、最晩年に湘南色に復元された姿を保ち、坂城駅で静態保存されている。近年クモハ169-1が原形の大型白熱灯タイプヘッドライトに復元された。