曖昧さ回避
- OsakaMetro中央線の24系については新20系を参照。
- 近畿日本鉄道のモワ24系についてははかるくんを参照。
概要
車両の塗装(青地に白帯2本)及びA寝台車・B寝台車・食堂車を14系の設計をそのまま踏襲して、20系に類似した集中電源方式を採用して1973年に製造された初期のタイプの呼称。
登場経緯自体、北陸トンネル火災事故の対策によるものである。
なお、基本的に14系と同等の車内設備ではあるもの、上述の経緯もあり寝台の枠をFRPからアルミに変更するなど難燃化が徹底している。
電源電圧は14系同等の交流440Vながら、1編成全ての電源を電源車1両で賄うことから電源ケーブルの負担が大きくなるため、2系統に分けたケーブルを車両の左右に渡している(14系では5~6両を電源車(スハフ/スハネフ)1両が受け持つだけなのでケーブルの負担が軽い)。この部分の構造差から、基本的に14系・24系を混結することは出来ず、改造したり、後年の多層建て列車でも付属編成を14系にして放送・ドア回路のみ接続などの形で編成単位で併結したにとどまる(=14系側は電源系統としては独立している)。
翌1974年に製造を24系25形(帯がステンレス製2本)へ移行したため、これら24形グループの発注は1回だけで打ち切られ、製造両数は118両にとどまった。
A寝台車は14系のA寝台車と同様の開放形プルマン式である。
B寝台車は当初3段式寝台であったが、1983年から1984年にかけて上段寝台を撤去して中段寝台を跳ね上げ、これを固定して上段寝台とする方法で全車が25形と同様の2段式に改造されている。
新製配置は大阪鉄道管理局向日町運転所(大ムコ:現・京都総合運転所)で、「あかつき」や「彗星」に使用されていた。
1975年3月のダイヤ改正で、一部を残し東京南鉄道管理局品川運転所(東シナ)に転属し、「はやぶさ」「富士」「出雲」で使用されたが、翌1976年10月のダイヤ改正で盛岡鉄道管理局青森運転所(盛アオ:現・青森車両センター)へ再転属し、「ゆうづる」「日本海」「あけぼの」「出羽」「鳥海」で使用されるようになる。
オロネ24が不足気味だったため、80年代に入ってからオロネ14の給電機構と不燃化対策を施して編入された車があり、オロネ24 100番台に区分される。また、80年代末にJR北海道所属のオハネ14 500番台にも「北斗星」運用に投入するため、給電機構の共用化と室内の更新工事を行い編入された車はオハネ・オハネフ24 500番台に区分された。オハネフ改造車は鋼体を極力改造しないで済ませたため中間乗務員室運用に優先されたが、最後部に使用された例も少なくない。オハネは急行「はまなす」の寝台車連結開始後は優先的に使用された。
晩年の「あけぼの」「日本海」に使用されるオハネフ24型は土崎工場(秋田車両センター)の1990年代半ばから施工された老朽化対策で、後尾部妻面に雨どいが露出する無配慮な外観に改造されてしまい、容貌を大きく崩したものである。
国鉄末期~JR発足の1980年代中後期頃から使用列車は漸減し、「はまなす」、「あけぼの」、「日本海」の廃止をもって終焉へ。
関連イラスト
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E26系:24系電源車カニ24から改造のカヤ27がE26系の予備電源車に。