寝台急行「彗星」
東京駅~大阪駅間で1949年9月改正で新設された17・18列車が源流。1950年11月改正で「彗星」の愛称が与えられた。なお正式名が付くまで関西では「銀河」に対して「流星」と呼ばれていた。
1957年10月には全車寝台列車化され、1962年5月からビュフェ式食堂車オシ16形「サロンカー」が連結されるなどしたが1964年10月の東海道新幹線開業で廃止された。
1963年10月~1964年9月に存在した「銀河」「彗星」「明星」「月光」「金星」「あかつき」「すばる」の東海道寝台急行七兄弟のうち、「明星」「月光」「あかつき」とは関西(山陽)~九州間の夜行特急として再び同僚になっている。
寝台特急「彗星」
関西圏~日豊本線経由で南九州を結ぶ列車として急行「夕月」「日向」があったがこれとは別に1968年に20系客車を使用し新大阪駅~宮崎駅間を結ぶ東海道新幹線との接続も兼ねた新設の寝台特急として誕生した。
1970年には都城駅まで延長され、新たな宮崎駅発着列車や急行「べっぷ」を格上げした大分駅発着列車もラインナップに加わり1974年には最大となる5往復に成長した。同じ関西発着特急の「あかつき」と共に14系や24系に24系25形といった「ニューブルートレイン」が優先的に投入された。
1975年3月の山陽新幹線全線開業に伴い大分駅発着と宮崎駅発着の各1往復が削減され3往復になる。大分駅発着便に583系が投入されたが1978年10月改正で25形に変更された。
その後も削減を繰り返し1980年10月改正で大分駅発着便、1984年2月改正で宮崎駅発着便が廃止され誕生当初からの都城駅発着便のみとなる。
1986年11月改正で14系15形が投入されるが1994年10月改正で25形に戻る。
1995年4月改正で南宮崎駅~都城駅間が廃止される。
JR発足後も高い乗車率を誇っていたが設備が陳腐化し1980年代から押されていた新幹線・航空機・フェリー・格安の夜行バスに圧倒され乗車率も激減。2000年3月に「あかつき」との連結運転が始まり京都駅発着化&再度15形化される。
しかし、低乗車率に歯止めが掛からず2005年3月改正で廃止された。
余談
- 20系・14系・14系15形・24系・24系25形と国鉄時代に設計・新製されたすべての寝台特急用客車が使用された列車として「あかつき」「はやぶさ」「富士」も該当するが583系も使用されたのは「彗星」だけである。
- 国鉄線内で蒸気機関車が牽引した最後の定期特急列車でもある。1973年5月9日の上り列車において車両運用の都合上、DF50ではなくC57が重連で牽引した記録が残っている。ちなみにこの年の4月、奥羽本線の福島駅~新庄駅間にて土砂崩れが発生したため特急「あけぼの」が東北本線・陸羽東線経由で迂回運行し小牛田駅~新庄駅をC58が重連で牽引している。
- 1975年3月改正から2000年3月改正までは神戸駅に停車し(関西始発の列車では珍しく)三ノ宮駅を通過する唯一の列車だった。