概要
鉄道の板谷峠
現在もJRの幹線としては最も急である最大33パーミル(1kmあたり33mの高低差)の勾配と急曲線を含む難所であり、1949年には直流電化された(1968年に交流電化に切替)ものの、代々使用された機関車は何らかの勾配対策をした専用機が投入された。
また、1961年からは奥羽本線を経由する気動車特急「つばさ」が設定された。この際導入されたキハ181系は性能上補助機関車なしでも峠越えは可能であったが、長く続く急勾配はエンジンや冷却系に負担を与え、オーバーヒートや故障が発生。1975年の電車化までは補助機関車を連結していた。
電車でも上越国境及びセノハチでMT比(モーター付車両とモーターなし車両の比率)1:1の実現を前提としたMT54(連続定格出力120kW/端子電圧375V)搭載車でもMT比2:1以上が原則とされた。この為「つばさ」電車化の際は東北特急標準の6M5T 11両編成ではなく専用の6M3T 9両編成もしくは8M4Tの12両編成が指定された。この6M3Tでも補機なしで走破するのはギリギリであった。
また1970年より寝台特急「あけぼの」の運転が開始され、牽引容量から当初は他の優等列車同様補機として作られたEF71単機でのけん引で始まったが、使用される20系客車の防火対策及び汚物処理装置装備による編成重量増加から空転を頻発。
運転不能・遅延が恒常化したためED78およびEF71での補機連結が常態化。結果的に1980年の24系置換えに際し本来の本務機であるED78重連か、ED78本務機・EF71補機での運用で在来線運転終了まで推移した。
普通列車は1992年の山形新幹線開業まで客車による運行が行われた。といっても客車は2~3両もあれば十分であり、大出力の機関車は力を持て余し気味であった。
1992年に山形新幹線が開業するに際し軌間変更と途中4駅連続して存在したスイッチバック駅を本線上に移設するなどの工事が行われたが、現在もほぼ明治以来の路線の上を新幹線直通特急「つばさ」や普通列車が走行している。