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板谷峠

いたやとうげ

福島県と山形県の県境にある奥羽山脈を越える峠。奥羽本線・山形新幹線がこの峠を越える。
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概要編集

福島県山形県の県境にある奥羽山脈を越える。標高は755mで、米沢藩参勤交代路としても使われていた。


鉄道の板谷峠編集

1899年明治32年)5月15日奥羽南線福島駅米沢駅間として開通したのが始まり。1909年(明治42年)10月12日奥羽本線に改称された。


碓氷峠を越える信越本線のようなアプト式は検討されつつも採用されなかったが、約22kmに渡って最大33.0パーミル(1,000mあたり33mの高低差)、部分的には38.0パーミルの勾配と、半径300m前後の急曲線、19箇所のトンネルが連続して存在する線形となった。


現在もJRの幹線としては最急勾配であり、険しい地形と日本でも指折りの豪雪地帯という厳しい自然条件を併せ持つ交通の難所である。地形や予算上の制約から、峠の途中に設置された赤岩駅・板谷駅・峠駅・大沢駅は当初、4駅連続してのスイッチバックとされた。後述のように改良工事は実施されているが、現在もほぼ明治以来の路線の上を新幹線直通特急や普通列車が走行している。


古くから勾配対策として補助機関車補機)を使用し、のちには当区間の厳しい条件に対応した特殊設計の専用機関車が導入された。また、奥羽本線が山形県・秋田県や津軽地方と東京都を結ぶ重要な輸送路であることから、第二次世界大戦以前より急行列車貨物列車が多数運転されていたが、当区間では急勾配のため低速運転となっただけでなく、途中のスイッチバック駅は通過線が存在しない配線であったことから、全列車が各駅停車による運転を強いられた。また、スイッチバック駅は構内の有効長に余裕がなく、大型の蒸気機関車が導入された後も列車の牽引定数は300tに制限されていた。


1949年昭和24年)4月29日には、周辺線区に先駆けて電化直流1,500V)を実施。付随して、トンネルの改修や前述の4駅をスイッチバックせずに通過できるようにする改良工事を行い、列車の高速化と牽引定数の引き上げが図られた。


1968年(昭和43年)9月22日には電化方式を東北本線や米沢駅以北の区間と共通の交流20,000V・50Hzに切替。同時に輸送力改善のため、庭坂駅〜赤岩駅間と大沢駅〜関根駅間が複線化された。1970年(昭和45年)6月30日に赤岩駅〜板谷駅間、1971年(昭和46年)9月17日に板谷駅〜峠駅〜大沢駅間がそれぞれ複線化され、これによって板谷峠を挟む庭坂駅〜関根駅間の複線化が完了した。


1961年(昭和36年)10月1日より東北本線・奥羽本線経由でキハ80系気動車による特急つばさ」が運転を開始した。「つばさ」は当初から福島駅〜米沢駅間で補機として電気機関車を連結しての運転が行われた。その後、大出力機関を搭載したキハ181系気動車に置き換えられた際に補機なしでの単独運転が行われたが、過負荷運転によるオーバーヒートや故障が頻発(キハ181系の性能上は補機なしでの峠越えが可能とされたが、連続する急勾配はエンジンや冷却系に想定を上回る負荷を与えていた)。結局、1975年(昭和50年)11月24日485系電車が導入されるまで補機の連結が続けられた。なお、「つばさ」以外の気動車列車については液体式気動車であることもあってトルクコンバータによるトルク増幅効果の恩恵があり、補機を連結せずに単独で運転していたが、やはり当区間では速度低下が避けられず、エンジンへの負担も著しかった。


その485系電車においても、上越国境及びセノハチでMT比(モーター付車両とモーターなし車両の比率)1:1の実現を前提としたMT54(連続定格出力120kW/端子電圧375V)搭載車でもMT比2:1以上が原則とされた。このため、「つばさ」電車化の際は東北特急標準の11両編成(6M5T)ではなく専用の9両編成(6M3T)もしくは12両編成(8M4T)が指定されたが、この9両編成(6M3T)でも補機なしで走破するのはギリギリであった。


また、客車列車では1970年(昭和45年)7月1日から寝台特急あけぼの」が臨時列車として運転を開始(同年9月30日から定期列車化)。牽引容量の関係から、当初は他の優等列車同様に補機として製造されたEF71形の単機による牽引だったが、使用される20系客車の防火対策及び汚物処理装置装備による編成重量増加から空転が頻発し、運転不能・遅延が恒常化した。このため、ED78形およびEF71形での補機連結が常態化し、結果的に1980年(昭和55年)に24系客車へ置換えられた際に本来の本務機であるED78形重連か、ED78形本務機・EF71形補機での運用となった。1990年平成2年)8月31日(運転経路変更による在来線運転終了)まで推移した。


普通列車は客車によって運行されたが、この区間の普通列車は客車が2~3両あれば十分であり、大出力の機関車は性能を持て余し気味であった。


1990年平成2年)3月10日に赤岩駅、同年9月1日に板谷駅・峠駅・大沢駅のスイッチバックが相次いで廃止。山形新幹線の開業準備のため福島駅〜山形駅間の改軌工事(1,067mm→1,435mm)が開始された。


1992年(平成4年)7月1日、奥羽本線の福島駅〜山形駅間が山形新幹線の経路として開業し、在来線の普通列車には山形線の愛称が付けられた。現在、板谷峠を通過する普通列車は6往復となっている。


関連タグ編集

奥羽本線 山形新幹線

碓氷峠横軽) セノハチ


車両編集

蒸気機関車

E10形


直流用電気機関車

EF15形

EF16形

EF64形0番台


交流用電気機関車

ED78形

EF71形


気動車

キハ80系

キハ181系


電車(在来線)

485系


電車(新幹線)

400系

E3系1000番台・2000番台

E8系

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