20系
にじゅっけい
鉄道車両の形式の一つ。国有鉄道、公営交通、民営鉄道すべてに満遍なく存在した形式である。
⇒キハ20系を参照。
国鉄では、20系と呼ばれる繋がりのない形式の電車を3度にわたり使用したことがある。
- 初代
1937年に買収した信濃鉄道のデハ1系電車に対して国鉄が付与した形式番号。1953年に称号規則改正で記号-4桁数字の買収車用形式番号に改められ、1955年まで使用された。
- 2代目
⇒151系を参照。
1958年11月に営業運転を開始した特急形電車。最初に投入された列車愛称から「こだま形」と称されている。高速運転をする関係上、前灯が一個と定められていた当時において、安全のため特例で3つ設置されている。その後新性能電車用の称号規則制定により151系に改番された。また、1959年当時の狭軌最高速度を樹立したクルマであることはあまりにも有名。
- 3代目(阪和形電車)
1944年に国有化された阪和電気鉄道が使用していたモヨ100形・モヨ300形・モタ300形・クタ750形などのいわゆる「阪和形電車」に対し、1959年以降に国鉄が付与した形式番号。他社の社型電車が4桁番号の雑型車として早々に地方私鉄に払い下げられていったのに対し、阪和形電車は国鉄車を凌ぐほどの高性能車(戦前の国電は1時間定格出力100kWのモーターを搭載した車両が多かったが、阪和形電車のモーターは150kW級だった)であったことから正式に国電に編入され、そのまま阪和線で長期にわたり使用され続けた。
阪和形電車は狭軌で高出力を出すためモーターの直径が大きくなっており、その分床面高さも高いのが特徴だった。重量も電動車は50t以上あったと言われており、片町線で運用されたこともあるもののレールへのダメージが大きく、しかも阪和車には全幅が国電標準値よりおよそ100mm大きい2,950mmのものがあったため、ほぼ阪和線での運用に専従した。
1953年までは阪和形式のまま使用されていたが、それ以降は制御電動車がモハ2200形、制御車がクハ6200形とされ、戦時中の酷使でぼろぼろになっていた機器類も国鉄制式品への交換が進められ国鉄生え抜き車との連結も可能となった。さらに新性能電車登場以降も使用が継続されたため、より区別しやすい番号を探して制御電動車がクモハ20形、制御車がクハ25形とされた(運転台のない中間車はない)。この時2扉車については3扉への改造が行われたものもあった。
国鉄では1968年に廃形式となったが、弘南鉄道へ譲渡された車両は数回の改造を繰り返しながら1988年まで使用された。
ちなみに阪和形電車の「ヨ」や「タ」という記号はそれぞれ縦型座席(ロングシート)・横型座席(クロスシート)を意味している。
九州鉄道(→現:西日本鉄道)20系電車
現在の西鉄天神大牟田線である九州鉄道が1937年に導入した電車。ガソリンカーのような車体が特徴の当時としては珍しい軽量車体の電車であった。後に200形と改称され1989年まで活躍した。
京都市交通局20系電車
烏丸線で使われていた10系のうち、路線開業時に投入された前期車9編成の代替車両として開発された。車内液晶式旅客案内表示器、フルカラーLEDなどの最新機器を搭載しているほか、2026年度運用開始予定のATO(自動列車運転装置)の導入にも対応。また、西武40000系で採用されたパートナーゾーンも採用されている。2022年にデビュー。