なお、正式に定められた系列ではなく、同一設計思想のもとに新製された車両とその改造車を総称したものである。
国鉄のほか、小湊鉄道・島原鉄道などが同型車両を独自に新製した。
主な形式
キハ20
暖地向け両運転台車。ベース形式である。両運転台であることが幸いしてJRにも継承されたが老朽化のためにすぐに置き換えられ、1991年のJR西日本での廃車を最後にJRからは消滅した。現在でもひたちなか海浜鉄道・水島臨海鉄道で活躍している。
なお、いすみ鉄道が運用しているキハ20-1303は平成生まれの「なんちゃって国鉄型」であり、オリジナルのキハ20とは別物。
キハ25
暖地向け片運転台車。JRには継承されず、1987年までに全廃。
この形式は後にJR東海が導入した313系の気動車版として復活するが、まったくの別ものとはいえ、こちらも片運である(ただし2両固定)。
キハ21
寒地(北海道・東北)向け両運転台車。しかしキハ20初期車のバス窓を二重窓にしただけでデッキも無く、保温性に問題があったためキハ22に取って代えられることとなった。
末期は道内でも比較的温暖な道南を中心に運用された。
キハ22
寒地向け両運転台車。前述のキハ21の反省から、側窓は小型の二重窓とされ、デッキも設置されたため側扉の位置が運転台のすぐ後ろになった。洗面所以外あまり急行形と遜色のないそのアコモデーションから、北海道では急行にも使用された。北海道以外に、同じく寒冷地である東北地方でも普通列車用に長く用いられた。1995年のJR北海道での廃車を最後に消滅。
キハユニ26
暖地向け旅客・郵便・荷物の合造車。当時の国鉄は郵便・小荷物も扱っていたためこのような形式も存在していた。1986年に国鉄が郵便・小荷物の扱いを廃止すると用途を失い、全廃となった。
キハユニ25
寒地向け合造車。基本的にはキハ21同様側窓は二重化されたバス窓だが、1両のみキハ22に準じた小窓仕様も存在していた。
なんでここまで仕様が違うかというと、数年後に火事で焼けて代車を作ったから。
キハ52
暖地勾配線区向け両運転台車。エンジン2台搭載。事実上の後継車に当たるキハ40系ではエンジン2基搭載車が製造されなかったため、勾配線区での置き換えが進まず、最も遅くまでJR線上で運用された。JR線では2010年3月にJR西日本大糸線を最後に引退したが、なおもそのうちの1両(125号)がいすみ鉄道に譲渡され観光列車として活躍している。
もと西日本車であるため、原型通りの予備燃焼室式DMH17Hエンジンを装荷しているのも特徴(東日本車は火災対策で直噴式250PSエンジン(コマツ・カミンズ・新潟など製)へ換装された車両のみ残っていた)。
私鉄向け同型車
私鉄向けに国鉄キハ20系列との同型車が設計・製造されている。
- 留萠鉄道キハ1103
キハ21の同型だが、前面は湘南顔。路線廃止で茨城交通に譲渡され、1991年に廃車。
- 留萠鉄道キハ2004・キハ2005
キハ22の同型だが便所と二重窓は省略。路線廃止後茨城交通に譲渡され、2015年引退。2005は平成筑豊鉄道で動態保存される予定。
- 羽幌炭礦鉄道キハ22 1~3
キハ22の同型だが、先頭窓に旋回窓を装備。路線廃止後茨城交通に譲渡され、2015年引退。
- 雄別鉄道キハ49200Y形
キハ21の同型。当初の形式はキハ21の計画段階の形式に識別記号を付加したもの。路線廃止後は関東鉄道に譲渡されてキハ760形となり、筑波線へ配置。後に筑波線を引き継いだ筑波鉄道で廃止まで活躍。
- 雄別鉄道キハ100形
キハ21の側窓配置のままキハ22と同じ一段上昇窓としたもの。最終増備の106は片運転台となっている。路線廃止後は関東鉄道に譲渡され、106以外は筑波線へ配置。106は常総線へ配置。
- 定山渓鉄道キハ7000形
キハ22に近い側面窓配置とキハ20に準じた基本構造を併せ持つ。定鉄線は電化路線だが、国鉄線乗り入れに気動車が必要で、自社線内ではエンジンをアイドリングさせて電車付随車代用とされた。
- 定山渓鉄道キハ7500形
キハ7000の側窓配置をキハ21に準じたものとしたもの。
- 津軽鉄道キハ2400形
窓配置はキハ21相当だが、側窓はキハ22同等の一段上昇式。
- 小湊鐵道キハ200形
キハ20に準じているが、車内はオールロングシートでトイレなし、扉間の窓数が6枚、前照灯を前面窓上配置と独自色が強い。国鉄車とも併結可能。
- 島原鉄道キハ20形
キハ20の同型。国鉄直通列車用として製造され、国鉄車と違ってトイレを省略している。2008年まで1両が残存していた。