津軽鉄道
つがるてつどう
青森県の西部、津軽地方に路線(津軽鉄道線、津軽五所川原駅~津軽中里駅間:営業キロ20.7km)を有する中小私鉄。津軽平野北部の平坦地を走る。
陸奥鉄道が国有化され五能線となった際、陸奥鉄道の株主たちは陸奥鉄道設立時に出した出資金の倍の金額を手に入れた。
これを元手に五所川原から中里に至る鉄道を計画し、1928年に設立した。
改正敷設鉄道法には「青森県青森ヨリ三厩、小泊ヲ経テ五所川原に至ル鉄道」の計画があり、この西側の路線を担っていた。
東側の青森-蟹田間が津軽線として1951年に開業し、1958年には三厩に至ったが、三厩 - 津軽中里間は未成線となった。
普通列車は津軽21形気動車が使われているが、冬はDD35形ディーゼル機関車牽引の旧型客車使用列車「ストーブ列車」が運行される。最近は機関車牽引に代わって津軽21形による牽引も行われる。「ストーブ列車」は2007年以降利用の際にストーブ列車券が必要になったため、津軽21形は料金不要の一般車として開放されている。
●:停車 ▲:上り最終列車(津軽五所川原行き)のみ通過。 △:上りの一部列車が停車。 |:通過
現有車両
新潟鐵工所製NDCシリーズの1形式。1996年に全通66周年を記念して2両が導入され、2000年に3両が増備。計5両が在籍している。
1957年・1959年新潟鐵工所製、軸配置B-Bのディーゼル機関車。現存するディーゼル機関車としては珍しいロッド駆動式。
2014年頃からDD351が休車中であり、DD352のみが稼働している。
1983年に国鉄より譲渡された旧型客車。車内にダルマストーブを設置している。
元西武鉄道151系。3両が譲渡され運転台を撤去したうえで客車として運用されている。ダルマストーブは設置されていない。
ラッセル式除雪車。1933年鉄道省大宮工場製。2000年代に本線上での運行が不可能となりモーターカーに役目を譲ったが、その後本線に復帰しイベント用のほか除雪作業に使用されている。
- タム500形
燃料輸送用のタンク車。津軽五所川原駅付近の道路が整備されていなかったため、津軽飯詰駅から津軽五所川原駅まで燃料を輸送していた。
現在は道路整備に伴い運用を離脱している。
- トム1形
開業時に12両が導入された無蓋車。現在も3両が車籍を残している。
過去の車両
- キハ2400形
1950年新潟鐵工所製。国鉄キハ04形の準同型車だが、車体長を500mm短縮、客用扉幅を900mm、側面窓幅を700mmにそれぞれ拡大している。
当初は代燃ガス発生装置を搭載していた。
1975年までに全車廃車となった。
- キハ24000形
国鉄キハ20系と準同型の自社発注車4両と、国鉄から譲受したキハ11形2両が在籍した。
国鉄譲受車は1990年、自社発注車は2000年までに全車廃車となった。
1989年にJR東日本から3両を譲受。キハ22027は秋田内陸縦貫鉄道の開業時に貸し出され、返却の後移籍してきた。
キハ22028は『SMAP×SMAP』の企画で香取慎吾と地元小学生の手によってイラストが塗られ話題になった。2000年に廃車となったがその後も留置されており、2017年に『おじゃMAP!!』の企画で香取が再び津軽鉄道を訪れ、大人になった当時の小学生たちとその子供たちによって新たな塗装が施された。
キハ22029が2007年に廃車となったことで形式消滅した。
- DC20形
1952年新潟鐵工所製のディーゼル機関車。私鉄向けディーゼル機関車としては珍しい箱型の車体が特徴だった。
1964年までに全車両が東野鉄道に譲渡され、1968年に東野鉄道が廃止されてからは西武所沢工場の入換機に転用された。
- ハ1形・ハフ1形
開業時に武蔵野鉄道(後の西武鉄道)から購入した木造客車。ハ1形が11両、ハフ1形が4両在籍した。
- ホハ12000形・ナハフ14100形
1954年に国鉄と弘前電気鉄道(後の弘南鉄道大鰐線)から譲受した木造客車。
1960年に3両を国鉄から譲受。1983年までストーブ列車として運行された。
オハ31 1が青森県金木町の芦野公園に保存されていたが、鉄道博物館開館に合わせ国鉄時代の姿に復元されて展示されている。
- ワム1形
開業時に6両が導入された有蓋車。日本車輌製で国鉄ワム1形と同型。
2012年時点でワム5が残存している。
- ユキ15形
開業時に導入されたラッセル式除雪車。日本車輌製で日車唯一の除雪車だった。
キ100形に置換えられる形で1968年に廃車となった。