概要
西日本鉄道の主力幹線。西鉄福岡(天神)から久留米・柳川を経て大牟田まで74.8kmを結ぶ。2000年12月までは『大牟田線』と呼んでいたが、西鉄福岡駅を西鉄福岡(天神)駅に改名した際に路線名を変更した。古くからの利用客からは『急行電車』とも呼ばれている。これは、市内電車(いわゆる路面電車)よりも高速で走るため当時の九州鉄道が開業時に『急行電車』と宣伝していたからである。
福岡市〜久留米市をつなぐルートとしてはほかにも九州自動車道・国道3号・鹿児島本線・九州新幹線などがあるが、この路線のみ佐賀県鳥栖市を通過していない。また、意外にも全線複線化はまだ達成されていない(後述)。
大手私鉄では最も西と南を走る路線であり、始発駅の西鉄福岡(天神)駅は最西端、終着駅の大牟田駅は最南端の駅となる。
2024年(令和6年)4月12日、西鉄福岡(天神)~西鉄久留米間が開業から100年を迎えた。
歴史
当初は太宰府天満宮への参拝客輸送をもくろみ計画されたが、後に久留米までの都市間輸送に計画変更、九州鉄道(現在のJR九州の祖となった九州鉄道とは異なる)によって福岡~久留米間を開業させたのが始まりである。
- 1914年(大正4年)4月6日 伊丹弥太郎と松永安左ヱ門らが発起人となり福岡~二日市間の軌道特許取得
- 1915年(大正5年)10月1日 筑紫電気軌道設立(当初の目的は太宰府天満宮への参拝客輸送だった)
- 1919年(大正9年)11月21日 筑紫電気軌道が二日市~久留米間の軌道特許取得
- 1922年(大正11年)6月15日 筑紫電気軌道が九州鉄道に改称
- 1924年(大正13年)4月12日 九州鉄道により福岡~久留米間開業(架線電圧・直流1500V・軌間1435㎜。所要時間55分。)
- 1930年(昭和6年)11月20日 急行運行開始(後の準急に相当)。福岡~久留米間45分
- 1932年(昭和8年)12月28日 九州鉄道により久留米~津福間開業
- 1937年(昭和13年)10月1日 旧大川鉄道【→西鉄大川線】の路線のうち、津福~大善寺間を改軌の上、本線に編入電化。大善寺~柳河【→西鉄柳川】間開業。軽量電車20形(→200形)営業運転開始
- 1938年(昭和13年)9月1日 柳河~中島【→西鉄中島】間開業
- 1938年(昭和13年)11月1日 中島~栄町【現・新栄町】間開業。春日原・二日市・久留米・柳河に待避線新設。準急運行開始(停車駅:福岡~春日原間各駅・二日市・久留米以南各駅)
- 1938年(昭和13年)12月1日 福岡~津福間を軌道から地方鉄道法準拠に変更
- 1939年(昭和14年)7月1日 栄町~大牟田間開業により全通
- 1939年(昭和14年)11月1日 福岡~大牟田間に急行列車運転開始。301形運行開始(3往復運行。福岡~久留米間38分、福岡~大牟田間78分。停車駅は二日市・久留米・大善寺・柳河・栄町)
- 1941年(昭和16年) 急行スピードアップ(福岡~久留米間36分、福岡~大牟田間75分)
- 1942年(昭和17年)9月19日 九州電気軌道【→西鉄北九州線】が九州鉄道を合併
- 1942年(昭和17年)9月22日 九州電気軌道が西日本鉄道に改称。旧九州鉄道線の福岡~大牟田間は同社の大牟田線になる
- 1943年(昭和18年)4月1日 急行増発(8往復に)。準急削減および停車駅変更(停車駅:薬院・平尾・春日原・二日市・久留米以南各駅)
- 1943年(昭和18年)10月12日 日本の高速電車初の連接車・500形営業運転開始
- 1944年(昭和19年)8月10日 柳河車庫竣工
- 1944年(昭和19年)9月29日 急行削減(下り6本・上り7本)所要時間88分に拡大。
- (戦時中)時期不明ではあるが急行運行中止
- 1945年(昭和20年)6月 大牟田空襲により栄町~大牟田間運行不能になる。
- 1945年(昭和20年)8月8日 筑紫駅列車空襲事件発生(2列車に機銃掃射)。宮の陣駅でも列車が空襲を受ける。
- 1945年(昭和20年)11月 準急運転再開(停車駅:薬院・平尾・大橋・雑餉隈・春日原・二日市・筑紫・小郡・宮の陣・久留米以南各駅)
- 1946年(昭和21年)3月1日 栄町~大牟田間運行再開
- 1946年(昭和21年)7月17日 準急増発(データイム25分ヘッド)
- 1946年(昭和21年)10月1日 急行運転再開(3往復。福岡~久留米間45分、福岡~大牟田間90分)
- 1946年(昭和21年)12月1日 急行スピードダウン(福岡~久留米間48分、福岡~大牟田間100分。混雑時二日市通過)
- 1947年(昭和22年)5月10日 準急福岡~春日原間各駅停車に変更
- 1947年(昭和22年)11月1日 急行スピードアップ(福岡~久留米間45分、福岡大牟田間95分)
- 1948年(昭和23年)8月10日 500形連接車に中間車体増結
- 1948年(昭和23年)11月23日 甘木線1500V昇圧および高速化。200形により甘木~久留米間直通運転開始
- 1948年(昭和23年)12月23日 準急30分ヘッドに。(福岡~久留米間50分。停車駅:薬院・平尾・春日原・二日市・筑紫・小郡・宮の陣・久留米以南各駅)
- 1951年(昭和26年)11月1日 久留米~試験場前間複線化。急行用車両600形(初代)営業運転開始【私鉄車両初の中間電動車つき編成列車でもあった】。準急の停車駅変更(停車駅:白木原以北各駅・二日市・朝倉街道・筑紫・小郡・宮の陣・久留米以南各駅)
- 1952年(昭和27年)6月1日 鉄道技術研究所の後押しで製造された313形営業運転開始
- 1956年(昭和31年)12月1日 ローカル急行新設(停車駅:二日市・小郡・宮の陣・久留米以南各駅)
- 1957年(昭和32年)5月1日 西鉄初の高性能車1000形営業運転開始(当初は急行用、1959年以降特急用となる)
- 1958年(昭和33年)4月1日 準急廃止
- 1959年(昭和34年)5月1日 急行を特急に格上げ(停車駅は従来の急行から大善寺駅を除いたもの)。久留米以南各停のローカル急行を急行に格上げ。特急・急行・普通の3種別化
- 1961年(昭和36年)11月1日 西鉄福岡駅高架化
- 1962年(昭和37年)9月24日 600形(2代)営業運転開始。以後1972年まで増備される
- 1968年(昭和43年)4月10日 大橋~春日原間でATS使用開始
- 1969年(昭和44年)3月1日 櫛原~西鉄久留米間高架化。朝倉街道駅が急行停車駅になる
- 1970年(昭和45年)5月2日 春日原駅が九州初の橋上駅舎に改築
- 1972年(昭和47年)12月26日 福岡~大牟田間全区間においてATS使用開始
- 1973年(昭和48年)5月10日 2000形特急車営業運転開始
- 1974年(昭和49年)6月10日 CTC運用開始
- 1975年(昭和50年)10月11日 5000形電車営業運転開始。以後、旧型車両置き換えや冷房化推進のため1991年まで増備される
- 1978年(昭和53年)3月3日 西鉄平尾~大橋間高架化。大橋駅が急行停車駅になる(ただし朝ラッシュ時の一部上り列車は通過)
- 1981年(昭和56年)5月12日 筑後川橋梁架け替え竣工
- 1982年(昭和57年)3月25日 筑紫車庫完成
- 1983年(昭和58年)3月26日 春日原駅が急行停車駅になる(ただし朝ラッシュ時の一部上り列車は通過)
- 1987年(昭和62年)1月1日 筑紫工場完成により、開業時から設置されていた二日市車庫・工場廃止
- 1987年(昭和62年)3月27日 新種別「直行」設定。西鉄福岡~春日原・西鉄二日市間に朝ラッシュ時下り方向のみ運行開始(途中停車駅なし【後に薬院駅のみ停車に変更。春日原行きは廃止され西鉄二日市行きのみの設定となる】)
- 1987年(昭和62年)10月1日 主要駅に自動改札機設置
- 1989年(平成元年)3月10日 8000形特急車登場。これにより従来の特急用だった2000形は3ドア化改造により急行や普通で活躍する。600形投入により甘木線高性能化(これにより200形引退。大牟田線系統より吊り掛け電車が消滅)
- 1989年(平成元年)9月1日 下大利駅が急行停車駅になる(ただし朝ラッシュ時の上り列車は通過)
- 1992年(平成4年)3月26日 三国が丘駅開業
- 1993年(平成5年)5月17日 西鉄初の4ドア車6000形営業運転開始
- 1995年(平成7年)3月25日 西鉄福岡~西鉄平尾間高架化。薬院駅が全種別停車駅になる。西鉄初のVVVF車6050形運行開始
- 1997年(平成9年)1月1日 VI(ヴィジュアル・アイデンティティ)導入。1942年の5社合併時より使用していた社紋【通称・車輪マーク】を「Nishitetsu」ロゴに変更
- 1997年(平成9年)1月15日 三潴~大溝間複線化(これにより、西鉄久留米~西鉄柳川間の大部分が複線化された)
- 1997年(平成9年)9月27日 西鉄福岡駅の改良完成。筑紫駅が急行停車駅になる
- 2001年(平成13年)1月1日 大牟田線を『天神大牟田線』に改称。同時に西鉄福岡駅を『西鉄福岡(天神)』駅に改称
- 2001年(平成13年)1月20日 新種別「快速急行」設定。朝ラッシュ時に大牟田始発と西鉄柳川始発各1本ずつ運行開始【停車駅・新栄町、西鉄柳川、大善寺、花畑(後に追加)、西鉄久留米、宮の陣、小郡、筑紫、朝倉街道、西鉄二日市、大橋、薬院、西鉄福岡(天神)】。朝ラッシュ時上り急行の大橋・春日原・下大利通過を廃止。
- 2001年(平成13年)2月17日 ワンマン兼用車7000形営業運転開始
- 2001年(平成13年)3月25日 元特急車1000形引退。引退運転に際し、往年の特急色(コバルトブルーに黄帯)と旧社紋が復元される
- 2001年(平成13年)11月10日 西鉄久留米~大牟田間の一部列車をワンマン化。あわせて普通列車の甘木~大牟田間直通運転開始。大善寺駅が全種別停車駅になる
- 2003年(平成15年)12月 ワンマン兼用車7050形運行開始
- 2004年(平成16年)10月17日 西鉄久留米~津福間高架化。花畑駅が全種別停車駅になる
- 2006年(平成18年)3月25日 西鉄初のステンレス車3000形運行開始
- 2008年(平成20年)2月16日 特急電車の最高速度を100km/hから110㎞/hに引き上げ
- 2008年(平成20年)5月18日 ICカード「nimoca」導入
- 2010年(平成22年)3月27日 紫駅開業。「快速急行」と「直行」廃止
- 2010年(平成22年)10月17日 2000形電車引退。引退に際し正面の旧社紋が復活した(ただし側面はVIロゴのままだった)
- 2012年(平成26年)3月24日 三国が丘駅が急行全列車停車駅に昇格。(それまでは小郡急行【筑紫から各停】のみの停車だった)
- 2014年(平成26年)3月22日 午前中に西鉄福岡(天神)発太宰府行き急行を平日3本・土休日5本新設。観光列車「旅人」運行開始。
- 2015年(平成27年)10月4日 観光列車「水都」運行開始。
- 2017年(平成29年)2月1日 全駅に駅ナンバリングを導入
- 2017年(平成29年)3月20日 9000形営業運転開始
- 2017年(平成29年)7月22日 観光列車「水都」が8000形から3000形(3017F+3018F)に交代。
- 2017年(平成29年)8月26日 大橋駅が特急停車駅に昇格。
- 2017年(平成29年)9月16日 観光列車「旅人」が8000形から3000形(3010F)に交代。
- 2022年(令和4年)8月28日 井尻駅-下大利駅間高架化。
- 2024年(令和6年)3月16日 桜並木駅開業。試験場前駅を聖マリア病院前駅へ改称。春日原駅が特急停車駅に昇格。高宮駅と西鉄平尾駅が朝ラッシュ上り急行の一部停車駅に昇格。平日昼間の特急復活
- 2024年(令和6年)4月12日 西鉄福岡(天神)駅〜西鉄久留米駅間開業100周年
車両
現行車両
1975年に登場した通勤車。1991年までに西鉄最多となる136両が製造された。、4両固定編成と3両固定編成がいる。
現在の西鉄通勤車両の標準色(アイスグリーンにボンレッド帯)を最初に採用した車両。
最初に落成した1次車は落成時から営業運転開始直前までアイスグリーンに黄帯(山吹色)であったが、視認性の問題から営業運転開始前に帯色をボンレッドに変更した。
左右非対称な前面(運転席側のみ曲面ガラス)が特徴で、この前面デザインは6050形まで引き継がれる。
2014年、3両編成1本が事業用車に改造され911編成と名乗るようになった。車体が黄色く、中間車に架線検査設備を備えているのが特徴である。
2017年から9000形導入に伴い廃車が始まっている。
西鉄初の4ドア車で天神大牟田線最後の抵抗制御車。4両固定編成6本と3両固定編成3本(登場時は2両固定編成だった)が在籍。改良型・6050形と共通運用&連結可能。
西鉄初のVVVF車・4ドア。4両固定編成5本と3両固定編成2本を新造、後に搭載電動機数をケチり(4両編成は1基×5編成分、3両編成は2基×1編成分で合計7基を捻出した)、浮いた電動機を利用して3両編成1本を製造した。なお、このときに生まれた編成(6157F)は次に製造される7000形のプロトタイプ(ボルスタレス台車装備・固定窓・主電動機の1両当たり3基化など)となった。この車両まで主要電機機器は三菱電機製であった。
なお、6157F以降は製造元の川崎重工から筑紫車庫への輸送方法が変更となった。従来は兵庫駅から大牟田駅まで甲種輸送後、大牟田で台車履き替えの上で本線を筑紫駅まで回送。6157F以降の新車はフェリーとトレーラーでの陸送となった(川崎重工兵庫工場から六甲アイランドまたは泉大津港まで陸送、六甲アイランドまたは泉大津港から新門司港までフェリー輸送、新門司港から筑紫車庫まで陸送)。
2016年に6157編成と6156編成が制御機器更新を行い、VVVFインバータがGTOサイリスタインバータからSiC(炭化ケイ素)インバータに変更となった。同時にMT比の変更を行い、2M1Tから1M2Tになった(Mc車をTc車化)。そしてM車の搭載電動機数を3個から4個に増強した。
6053Fについては、観光列車『THE RAIL KITCHEN CHIKUGO』に改造され、2019年3月28日より営業運転を開始した。なお、改造時に制御機器の更新も同時に行ったが、本来4両編成だったところを3両編成化したため、中間車両のモ6253号車が除籍に。なおこの編成は西鉄史上初のトイレ付き車両となった。
ワンマン運転に対応したVVVF車で、4ドアの2両固定編成。
この形式から前面両側に曲面ガラスが採用されている。
主に甘木~大牟田間で運用されるが、宮の陣(久留米)以北でも増結車などで運用されることがある。6050形在来車と7000形のプロトタイプである6050形6157Fの影響で、この車両以降量産車両における電動車の1車両4基→3基モーター化が行われた。6000形および6050形とは連結可能だが、宮の陣(久留米)以北で運用する場合、同車種2~3編成連結(いわゆる「ブツ4・ブツ6」)して運用される場合が多い。
なお、この形式から主要電機機器は東芝製となった。
7000形の3ドア版で、9編成在籍。7000形同様に甘木~大牟田間で運用されるが、宮の陣(久留米)以北でも運用されることがある。
その場合は同車種2~3編成連結(いわゆる「ブツ4・ブツ6」)での運用が事が多い。
8編成を対象に、貝塚線への転属改造が予定されている。
2000形・8000形の置き換え用に導入された西鉄初のステンレス車で、日本のステンレス製鉄道車両で初めてレーザー連続溶接を用いて製造された。
急行用車両として製造されたため、座席配置は扉間が転換クロスシート、車端部がロングシートとなっている。
3ドアのVVVF車で、2両固定編成・3両固定編成・5両固定編成で構成。2・3両固定編成は複数編成を繋いで6両で主に特急に、5両固定編成は単独で主に急行に使用されているが、運用の都合で普通列車にも使用されることが多い。
登場当初は日中の急行運用が主で2000形を置き換え、その後8000形に代わって日中の特急運用も担うこととなり、2015年度から8000形を取り替えるための再増備と、定期的な特急運用が開始された。
また、観光列車「水都」「旅人」の8000形の置き換えにも使用され、3017編成と3018編成(ともに3両編成。2編成連結の6両編成で運用)が二代目「水都」として、3010編成(5両固定編成)が二代目「旅人」としてラッピングされている。
5000系の置き換え用として2017年に登場したステンレス通勤車。
ロングシート・3ドアのVVVF車。この車両からSiC(炭化ケイ素)インバータが本格的に採用される。
また、西鉄電車初となるLED行先表示装置(勿論フルカラー)も採用され、大手私鉄では一番遅い。
車体カラーリングは、3000形までのブルー系統から600形(2代)以前のマルーン系統に戻った。
2両・3両固定編成で構成されており、特急・急行・普通運用に使われる。
過去の車両
1形
九州鉄道開業時からの車両。木造車。後に20形(2代)の種車になる。
50形
1形と組ませるために製造された制御車で1927年製。しかし半鋼製車が造り始められた時代では珍しく木造車であった。しかも1形と似ても似つかぬスタイルであった。後に1形の電装解除車も50形を名乗った。
10形
初の半鋼製車。1962年と1967年に宮地岳線へ移籍。
100形
15m車。一部は宮地岳線に移籍。何故か1両だけブレーキ装置を改造して600形(2代)と2両編成を組んでいた。1984年廃車。なお、一部は貨物電車に改造された。
200形
登場時は20形(初代)。戦前では珍しい超軽量車(13m車)。ガソリンカーのような外観が特徴。後にガソリンカー改造の制御車および付随車と編成を組み、最終的には甘木線の主となった。1989年に引退したが、その後はイベント用として1編成が動態保存車として残ったものの1993年に廃車となった。211号車の前頭部は個人宅に保存されており、カットモデルとはいえこれが天神大牟田線系統唯一の保存車両である。
300形
戦前に作られた急行用2ドア車(301形。固定クロス)と戦後運輸省規格型の3ドア車(303形・308形)の2種類があった。前者は救援車に改造後2002年廃車。後者は1978年および1986年に宮地岳線に移籍。
500形
日本の高速電車で初の連接車で急行用(転換クロス。3車体化後はロングシートに改造)。大牟田線の熊本延伸をにらんで製造した【熊本延伸は実現しなかったが】。小田急3000形(SE車)の参考となった。登場当初は2車体連接、後に3車体連接に改造。九州鉄道時代に発注していたが、落成は西鉄になってからであった。1974年廃車。
313形
日本の鉄道車両で初のモノコックボディ車。製造時に鉄道技術研究所の技術指導を仰いだ。大牟田線系統で最後の茶一色で登場した車両。2両編成4本が在籍し、1977年に宮地岳線(→貝塚線)に転属後、高性能化改造を経て最後まで残っていた1編成が2015年に引退。
600形(初代)
戦後初の急行用車両(固定クロス。ただし一時期ロングシートだった)。3両固定編成で日本の私鉄車両初の中間電動車が存在した。先頭部は国鉄モハ52形に似ているがツリ目気味なのが特徴。後に先頭車は1300形に中間車は300形に組み込まれた。
西鉄初の高性能車であり初代特急車(固定クロス)。湘南顔が特徴の全電動車方式の4両固定編成。鹿児島本線の電化を睨んで福岡~大牟田間60分、120km/h運転できる性能を持っていた(平坦線釣合い速度120km/h以上。また、試運転時に123㎞/hを記録した)。
偶然ではあるが、製造元の日本車輌では1000形(1000番台・1100番台)が出た前後に名鉄5000系(1955年)・長野電鉄2000系(1957年)とスタイルの似た湘南顔な車両が誕生した。
製造年次により、1000番台・1100番台・1200番台と3種類存在して、それぞれ2編成ずついた。特に近畿車輛製の1201Fは、1000形で唯一の一段下降窓編成だったが、雨水侵入による車体腐食対策のため、3ドア化改造後に2段アルミユニットサッシに改造された。そして同じく近畿車輛製であった1205Fは従来どおりの2段窓で落成した。また初期に作られた1001Fと1005Fは西鉄で唯一のアルストムリンク式台車を装備していて金属バネ台車であった。(1101F以降は空気バネ台車)
後にロングシート化・3ドア化・塗装変更(5000形と同色)・冷房改造を受け2001年まで活躍した。
引退に際しては1編成が旧塗装に戻されている。
余談だが、昭和40年代の特急増強計画では1000形・1300形に中間車を1両増結し5両編成化した上にその中間車に冷房電源を搭載して冷房化も行う計画であったが、2000形の登場により幻の計画となった。また1000形自体も全電動車方式で床下にスペースがなかったが、後に小型SIV(静止形インバータ)の開発により冷房化が可能となった。
20形(2代)
車体が老朽化した1形の更新車。1000形に似た外観が特徴。一部はカルダン駆動編成であった。1981年に宮地岳線に移籍。
1300形
特急増発のため登場(固定クロス)。先頭車は初代600形の改造、中間車は新造(1000形に準拠)というちぐはぐな編成であった。また1000形とは違い中間車のみ電動車のため1000形に比べ若干出力や加速性能が劣る(中間車の110kWの主電動機をもってしても1000形の70%の出力だった)。先頭車と中間車の車体構造が異なるため、最後まで3ドア化と冷房化は行われなかった。大牟田線系統最後の日本車輌・近畿車輛製造車両であった。1986年廃車。
600形(2代)
西鉄初の19m車両。輸送力向上に大いに貢献した。1M方式で1両単位で増結でき、モーター出力も一個当たり135kwと強力になった。1972年製の最終増備車は700形とともに西鉄初の新製冷房車となった。それ以前に製造された車両も後に冷房化が行われた。
一部車両の運転台撤去による3両・4両編成化などを経て最後は甘木線のワンマン車(2両編成)として活躍。2004年に天神大牟田線系統から撤退し、一部編成のみ宮地岳線(→貝塚線)に転属し残存。天神大牟田線には救援車兼架線検測車に改造された1編成2両(モエ900形)のみ残っていたが、貝塚線に最後まで残っていた313形1編成を置き換えるため、営業用に戻されて貝塚線へ転属した。
デビュー当時、1両だけ100形改造車(ク653)と組んでた車両(モ603)がいたが、ク653は1975年に廃車になりそのちぐはぐな編成は解消された。
塗装やヘッドライトと前面方向幕の位置がやたらと変わる経歴を持り、方向幕は貫通扉からおでこに、ヘッドライトはおでこから腰部に移設した。なお、1971年製増備車以降と700形はおでこシールドビーム2灯で登場している(それまではおでこ白熱電灯1灯)。
この車両以後、大牟田線系統の車両は全て川崎車両(川崎重工)製となる。
700形
600形の4両固定編成バージョンで1編成のみの存在。600形最終増備車とともに西鉄初の新製冷房車となった。600形とは違いMM’ユニット方式の試作車で制御機器面では2000形・5000形の基礎となった。この車両も600形同様、塗装とヘッドライトおよび方向幕の位置がコロコロ変わった。
2006年廃車。
2代目特急車(転換クロス)で6両固定編成。オキサイドイエローにボンレッドの帯という塗装と高速電車では珍しい路面電車のような中央運転台が特徴。
初の冷房特急車で8000形登場により3ドア化されたものの、転換クロスシートは存置され急行や普通運用に転属したが、後に登場した3000形に置き換えられ2010年引退。
なお、一部編成は川崎重工の下請けとして阪神電気鉄道系の武庫川車輌工業で製造されていたともいわれている(構体製造は阪神武庫川線沿線にあった本社工場で、艤装は阪神尼崎工場で実施)。
甲種輸送時、配線の関係で鹿児島本線の植木駅(現・熊本市北区)まで入線したことがあった。天神大牟田線の車両で唯一熊本県内に入線した車両でもある。
九州の鉄道車両で初めて鉄道友の会のローレル賞を受賞した。料金不要とは言え特急車両のローレル賞受賞は史上初で、これがきっかけで翌年以降ローレル賞の選考基準が変わることとなった。
JR九州発足に伴う競争激化に対抗するため、1989年に登場した転換クロスシートの特急車。
2ドア・6両固定編成。運転席直後の側面窓が巨大なのが特徴(高さ1050×幅2660mm。3座席分)。
西鉄初のワンハンドルマスコン車で、以降の新形式もこの運転台となっている。
8051編成は観光列車「旅人」に、8061編成は観光列車「水都」に改造された。
長年の走行キロ増加による老朽化が進んだことから2015年から廃車が始まり、最後まで残った「旅人」編成は外装および内装を原色に戻し、2017年10月8日から14日までさよなら運行(一般乗客乗車可)、10月15日にラストラン(貸切ツアー)を行い、同日をもって引退した。なお当形式の引退をもって西鉄電車から2ドア車が消滅している。
駅一覧
列車種別は特急、急行、普通の3種類だが、急行は停車駅により複数パターンに分かれる。初見殺し。各駅に停まる区間がある急行列車については、当該区間は列車種別を「普通」に変更して運転する。
2021年3月13日のダイヤ改正において、平日に限り昼間(11時〜14時台、2022年8月28日の改正で10~14時台に変更)の特急運転を全廃するという1959年の特急運転開始以来前代未聞の運用変更が行われた。
なお、2024年3月16日ダイヤ改正で平日昼間の特急運転を復活、同時に春日原駅が特急停車駅に追加された。更には朝ラッシュ時の上り急行の停車駅に高宮駅と西鉄平尾駅が追加された。
味坂・矢加部・徳益の3駅は終日無人駅であり、特に味坂駅については乗車駅証明書が常備されておらず、当駅利用客からは車掌が運賃を収受している。また柳川駅を除いた蒲池~西鉄渡瀬間は時間帯によって駅員が不在になる。(2020年10月01日より三潴~西鉄銀水まで拡大、その後2021年4月1日より同区間が集中管理式に移行)
☆ 特急
★ 急行1 - 西鉄柳川・大牟田発着。
(西鉄柳川⇔大牟田間の短区間急行もごく少数あり)
◎ 急行2 - 花畑・津福・聖マリア病院前発着。
▲ 急行3 - 筑紫以南各駅停車。主に西鉄小郡行き(上り列車で平日ダイヤのみ聖マリア病院前始発で筑紫まで各駅停車の列車がごく少数あり)
△ 急行4 - 西鉄二日市・太宰府・筑紫発着。
● 普通
駅番号・駅名 | 特急 | 急行1 | 急行2 | 急行3 | 急行4 | 普通 | 乗り換え等 | |
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T01 西鉄福岡(天神) | ☆ | ★ | ◎ | ▲ | △ | ● | 福岡市営地下鉄空港線(天神駅)・七隈線(天神南駅) | |
T02 薬院 | ☆ | ★ | ◎ | ▲ | △ | ● | 福岡市営地下鉄七隈線 | |
T03 西鉄平尾 | | | | | | | | | | | ● | 1983年3月まで筑肥線【筑前高宮駅】と乗り換え可能であった。当時のホーム乗り換え案内に「唐津方面」という表記があった。2024年3月16日より朝ラッシュ時の上り急行が停車 | |
T04 高宮 | | | | | | | | | | | ● | 2024年3月16日より朝ラッシュ時の上り急行が停車 | |
T05 大橋 | ☆ | ★ | ◎ | ▲ | △ | ● | ※2017年8月26日から特急停車駅に昇格。付近は福岡市南区役所など、南区の中心部になる。 | |
T06 井尻 | | | | | | | | | | | ● | JR笹原駅が近接。西鉄福岡(天神)〜下大利間で唯一の地平駅。大橋駅から高架線を下って那珂川を渡りながら九州新幹線を潜り、福岡外環状道路を跨ぐ複雑な線形の上に、住宅密集地で用地買収が困難なため高架化は当面無い模様。 | |
T07 雑餉隈 | | | | | | | | | | | ● | 桜並木駅と共に博多区に所在。JR南福岡駅が徒歩圏内。屈指の難読駅名で「ざっしょのくま」と読み、ソフトバンクの創業地であり武田鉄矢の実家が駅近くにある。高架化により北に若干移動。 | |
T08 桜並木 | | | | | | | | | | | ● | 西鉄バス竹下自動車営業所雑餉隈車庫に隣接。天神大牟田線内における福岡市内最南端駅。 | |
T09 春日原 | ☆ | ★ | ◎ | ▲ | △ | ● | ※2024年3月16日から特急停車駅に昇格。JR春日駅が近接。大野城市役所が徒歩圏内。 | |
T10 白木原 | | | | | | | | | | | ● | JR大野城駅が近接 | |
T11 下大利 | | | ★ | ◎ | ▲ | △ | ● | JR水城駅が近接。西鉄福岡(天神)駅から続く高架区間【井尻駅を除く】は当駅まで | |
T12 都府楼前 | | | | | | | | | | | ● | ||
T13 西鉄二日市 | ☆ | ★ | ◎ | ▲ | △ | ● | 西鉄太宰府線 | |
T14 紫 | | | | | | | | | △ | ● | JR二日市駅が近接 | |
T15 朝倉街道 | | | ★ | ◎ | ▲ | △ | ● | 甘木・杷木方面の西鉄バス。JR天拝山駅が近接 | |
T16 桜台 | | | | | | | | | △ | ● | ||
T17 筑紫 | | | ★ | ◎ | ▲ | △ | ● | 筑紫車両基地があり、かつて運転されていた直行電車は当駅止まりが多かった。 | |
T18 津古 | | | | | | | ▲ | ● | |||
T19 三国が丘 | | | ★ | ◎ | ▲ | ● | ※2012年3月24日から急行停車駅に昇格 | ||
T20 三沢 | | | | | | | ▲ | ● | |||
T21 大保 | | | | | | | ▲ | ● | |||
T22 西鉄小郡 | | | ★ | ◎ | ▲ | ● | 甘木鉄道 | ||
T23 端間 | | | | | | | ▲ | ● | |||
T24 味坂 | | | | | | | ▲ | ● | 無人駅 | ||
T25 宮の陣 | | | ★ | ◎ | ▲ | ● | 西鉄甘木線 | ||
T26 櫛原 | | | | | | | ▲ | ● | 駅名は『くしわら』だが、所在地名は『くしはら』。ホーム延長が3両分しかないため、4両以上の列車が停車する際はドアカットが行われる。 | ||
T27 西鉄久留米 | ☆ | ★ | ◎ | ▲ | ● | |||
T28 花畑 | ☆ | ★ | ◎ | ▲ | ● | |||
T29聖マリア病院前 | | | | | ◎ | ▲ | ● | かつては試験場前駅として名乗っていた(かつて近くに県立工業試験場があったため)。 | ||
T30 津福 | | | | | ◎ | ● | ||||
T31 安武 | | | | | ● | |||||
T32 大善寺 | ☆ | ★ | ● | |||||
T33 三潴 | | | | | ● | |||||
T34 犬塚 | | | | | ● | |||||
T35 大溝 | | | | | ● | 天神大牟田線で二駅のみの郡部内に所在駅のひとつ(三潴郡大木町に所在) | ||||
T36 八丁牟田 | | | | | ● | 大溝駅同様、三潴郡大木町に所在。 | ||||
T37 蒲池 | | | | | ● | |||||
T38 矢加部 | | | | | ● | 無人駅。櫛原駅と同じくホームが短いため一部列車はドアカット対象。先に開業した国鉄佐賀線(廃線)を跨ぐため開業時から高架駅だった。しかし、佐賀線廃線まで佐賀線側には駅が設置されなかった。 | ||||
T39 西鉄柳川 | ☆ | ★ | ● | |||||
T40 徳益 | | | | | ● | 無人駅 | ||||
T41 塩塚 | | | | | ● | |||||
(中島信号場) | | | | | | | 天神大牟田線唯一の信号場 | ||||
T42 西鉄中島 | | | | | ● | 矢部川を跨ぐ高架駅 | ||||
T43 江の浦 | | | | | ● | |||||
T44 開 | | | | | ● | |||||
T45 西鉄渡瀬 | | | | | ● | |||||
T46 倉永 | | | | | ● | JR吉野駅が徒歩圏内 | ||||
T47 東甘木 | | | | | ● | |||||
T48 西鉄銀水 | | | | | ● | JR銀水駅が近接 | ||||
T49 新栄町 | ☆ | ★ | ● | かつては栄町駅として大牟田寄りにあったが、車両の長編成化に対応できないため、1970年に移転開業した。 | ||||
T50 大牟田 | ☆ | ★ | ● | JR鹿児島本線 |
※複線区間:西鉄福岡(天神)~聖マリア病院前、大善寺~蒲池、開~大牟田
単線区間:聖マリア病院前~大善寺、蒲池~開
高架区間:西鉄福岡(天神)~大橋、雑餉隈〜下大利、西鉄久留米~聖マリア病院前