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概要編集

佐賀県佐賀市佐賀駅福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)の瀬高駅を結んでいた鉄道路線である。

1980年(昭和55年)制定の国鉄再建法により、第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月28日に全線が廃止された。


1961年10月ダイヤ改正で長崎駅熊本駅間を佐賀線経由で結ぶ気動車準急(のち急行)「ちくご」が誕生したが、九州島内の急行が大幅に削減された1980年10月改正で廃止された。


駅一覧編集

駅名乗り換え路線所在地備考
佐賀駅長崎本線佐賀県佐賀市当路線の起点。
東佐賀駅佐賀県佐賀市
南佐賀駅佐賀県佐賀市
光法駅佐賀県佐賀市
諸富駅佐賀県佐賀郡諸富町(現佐賀市)地名はもろどみだが、駅名はもろとみになっていた。
筑後川信号場福岡県大川市当信号場が所在する筑後川橋梁(筑後川昇開橋)は重要文化財になっている。(当信号場は、筑後川昇開橋の操作のために存在)
筑後若津駅福岡県大川市跡地は筑後川昇開橋を見渡せる展望所になっている。
筑後大川駅福岡県大川市急行「ちくご」停車駅
東大川駅福岡県大川市
筑後柳河駅福岡県山門郡三橋町(現柳川市)駅前に福岡県道733号筑後柳河停車場線があったが廃止された。筑後大川駅と同じく、急行「ちくご」の停車駅であった。
百町駅福岡県山門郡三橋町(現柳川市)現在、西鉄バス船小屋-柳川線の「百町」バス停が駅跡地付近に設置されているのみである。
三橋駅福岡県山門郡三橋町(現柳川市)
瀬高駅鹿児島本線福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)当路線の終点。

廃線後の代替交通機関編集

西鉄柳川駅より、佐賀駅バスセンター、筑後船小屋駅へ西鉄バス(西鉄バス佐賀、西鉄バス久留米)の路線が運行されている。

前述の通り、筑後柳河駅は廃線時、柳川市ではなく隣接する山門郡三橋町に所在していたが、これは西鉄柳川駅も同様で、後年、三橋町が柳川市に編入された事により、晴れて柳川市内の駅となった。

過去には佐賀市営バス堀川バスとの共同運行による佐賀駅バスセンター〜瀬高駅の直通路線も存在したが、西鉄の単独運行となった上に西鉄柳川駅で分割されたのち、瀬高側について、九州新幹線開業に伴い筑後船小屋駅に延長され、現在に至っている。


余談編集

戦前の名特急である「富士」は1942年の関門トンネル開業により運転区間が東京駅〜長崎駅(上海からの定期船が到着する日のみ上りは長崎港駅)間となったが、戦況悪化の影響で翌1943年博多駅まで運行区間を短縮した。しかし、博多駅と客車を整備する竹下客車区があった隣の竹下駅に方向転換する設備が無いため、一等車と展望車を博多駅到着後に方向転換する際に当線が利用された。


博多駅到着後、

竹下駅【客車区所在】→(鹿児島本線)→鳥栖駅→(長崎本線)→佐賀駅→(当線)→瀬高町駅【当時。現在の瀬高駅】→(鹿児島本線)→竹下駅

というルートで方向転換をしたが、1944年に特急「富士」自体が廃止されたためこの大回り回送は廃止された。


戦後の1953年から運行された京都駅〜博多駅間の特急「かもめ」も博多駅到着後に方向転換を行っていた。もっとも「富士」の時とは違って(当時西日本鉄道所属で国有化された)勝田線香椎線を使用出来たため大回りはせずに済んでいる。しかし、この方向転換作業の煩雑さが忌避され1956年にグレードダウンを承知の上で本来は急行用の10系客車に置き換えられた。


関連タグ編集

西鉄天神大牟田線 国鉄

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