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名寄本線

なよろほんせん

JR北海道が運営していた鉄道路線。1989年(平成元年)5月1日に廃止された。
目次 [非表示]

路線データ編集

路線名名寄本線
路線区間
  • 本線:名寄〜遠軽
  • 湧別支線:中湧別〜湧別
路線距離
  • 本線:138.1km
  • 湧別支線:4.9km
軌間1,067mm
駅数
  • 本線:38駅
  • 湧別支線:3駅
非電化区間全線
単線区間全線
閉塞方式
  • タブレット閉塞式:名寄〜遠軽
  • スタフ閉塞式:中湧別〜湧別
第一種鉄道事業者北海道旅客鉄道(JR北海道)
廃止日1989年(平成元年)5月1日

概要編集

北海道旅客鉄道(JR北海道)が第一種鉄道事業者として運営していた鉄道路線で、地方交通線名寄駅(北海道名寄市遠軽駅(紋別郡遠軽町)を結ぶ本線と、中湧別駅(紋別郡上湧別町※)と湧別駅(同郡湧別町※)を結ぶ湧別支線で構成されていた。全線が非電化単線だった。

日本国有鉄道(国鉄)末期に第二次特定地方交通線として天北線池北線標津線と共に追加承認され、国鉄分割民営化後にJR北海道が継承したものの1989年(平成元年)5月1日に廃止された。

特定地方交通線で唯一廃止された「本線」であり、現在に至るまで全線廃止された唯一の「本線」でもある。

なお同じJR北海道の留萌本線2026年(令和8年)3月末をもって廃止予定である為、同線廃止後は唯一ではなくなる。

因みに追加承認された残りの3線は、天北線が名寄本線と同日、標津線が前日の4月30日にそれぞれ廃止、池北線は同年6月4日に北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に転換されたものの、2006年(平成18年)4月21日に廃止された。

第三セクターへの転換も検討されたものの、赤字額が大きく自治体が負担に耐えられないと判断された為、結局バスに転換された。


2009年(平成11年)10月5日に旧・湧別町と上湧別町が合併し新・湧別町となった。


沿革編集

鉄道敷設法による「天塩国奈与呂(名寄)ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道」の一部で、道央とオホーツク海沿岸地域を結ぶ幹線鉄道として建設がすすめられた。当初は湧別地方の軽便線(湧別軽便線)を延長する形で敷設されたが、これらを改良し、のちに湧別線と改称した。

その後、名寄と中湧別の双方から石北峠、北見峠を避ける形で建設が進められ、名寄方は名寄西線、中湧別方は名寄東線として建設され、1921年(大正)10年)10月5日に全通、名寄線に改称された。その後支線として渚滑線が開通した為1923年(大正12年)11月5日名寄本線と改称された。


1932年(昭和7年)10月1日石北線(現・石北本線)が全通すると、湧別線は遠軽駅で分割され、遠軽駅~下湧別駅(後の湧別駅)間は名寄本線に、遠軽駅~野付牛駅(現・北見駅)間は石北線に編入された。それと同時に幹線の機能が石北線に渡り、名寄本線はローカル線となった。


1980年(昭和55年)に国鉄再建法が制定されると、第2次特定地方交通線に指定されるが、冬季の代替輸送に問題があるとして一時廃止承認が保留された。しかし1985年(昭和60年)8月2日に問題が無くなったとして前述の通り追加廃止承認された。

1987年(昭和62年)4月1日に国鉄が分割民営化されJR北海道が継承したものの、1989年5月1日に廃止された。


運行形態編集

国鉄末期に急行「紋別」(興部駅〜遠軽駅間普通)が廃止されて以降は普通列車のみ運行されていた。なお一部の駅を通過する列車が存在した。

全線通しの列車は下り7本・上り3本、うち1往復は宗谷本線旭川駅まで直通し、宗谷本線内を快速「てしおがわ」(下り)・「えんれい」(上り)として運行していた。これは廃止された急行「紋別」の代替列車だった。

区間列車としては下りの名寄発下川行が平日1本、上りの興部発名寄行が1本、上りの遠軽発興部行が1本、上りの紋別発名寄行が3本、紋別駅〜遠軽駅間に下り2本・上り5本設定されていた。なお区間列車は下り全列車と上りの夜間2本を除き、待ち時間の長短はあれど終着駅で名寄行列車と連絡していた。


湧別支線は中湧別駅が起点だが運行系統上は湧別駅を起点とした。本数は2往復のみで全て湧別駅〜遠軽駅間で運行された。なお下り1本を除き中湧別駅〜遠軽駅間は本線の列車と併結して運行された。


駅一覧編集

本線編集

●:停車 ▲:一部通過

駅名普通乗換路線備考
名寄
  1. 宗谷本線
  2. 深名線※1
中名寄
上名寄
矢文
岐阜橋
下川当駅止あり
二ノ橋
幸成
一ノ橋
上興部
西興部
六興
中興部
班渓
宇津
北興
興部国鉄興浜南線※2当駅発着あり
旭ヶ丘
豊野
沙留
富丘
川向仮乗降場※3
渚滑国鉄渚滑線※4
潮見町
紋別当駅発着あり
元紋別
一本松
小向
弘道
沼ノ上
川西
↑湧別支線湧別まで直通運転
中湧別
  1. 湧別支線
  2. 国鉄湧網線※5
厚生病院前仮乗降場※6
北湧
上湧別
共進
開盛
北遠軽
遠軽石北本線

湧別支線編集

駅名乗換路線
↑本線遠軽まで直通運転
中湧別
  1. 本線名寄方面
  2. 国鉄湧網線※5
四号線
湧別

※1:1995年(平成7年)9月4日廃止

※2:1985年7月15日廃止

※3:1966年(昭和41年)3月廃止

※4:1985年4月1日廃止

※5:1987年3月20日廃止

※6:1966年10月1日廃止


使用車両編集

国鉄民営化後廃止まで使用された車両のみ記載。


キハ22
国鉄時代 北海道

旭川運転所所属の気動車。廃止時まで使用されていた。


キハ56系酷寒地用急行型気動車

苗穂運転所所属の急行形気動車。国鉄時代は急行「紋別」として運用されていた。廃止直前に臨時列車として名寄本線に入線した。


関連タグ編集

特定地方交通線 廃線

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