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曖昧さ回避


  1. 1995年(平成7年)9月4日廃止された北海道旅客鉄道(JR北海道)鉄道路線。
  2. 1の廃止を受けてジェイ・アール北海道バスが代替路線として運行(運行業務は道北バスに委託)しているバス路線。

ここでは主に1について記載する。


路線データ

路線名深名線
路線区間深川〜名寄
路線距離121.8km
軌間1,067mm
駅数21駅
非電化区間全線
単線区間全線
閉塞方式
  • タブレット閉塞式:深川〜朱鞠内
  • 票券閉塞式:朱鞠内〜名寄
第一種鉄道事業者北海道旅客鉄道(JR北海道)
廃止日1995年(平成7年)9月4日

深川駅(北海道深川市)と名寄駅(名寄市)を結んでいた北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線。

過疎地帯を経由する為日本国有鉄道(国鉄)時代から営業係数が常にワースト10入りするほど営業成績が悪く、赤字83線特定地方交通線の廃止論議にもその都度候補にあげられていた。並行道路の整備状況が悪いために廃止保留となりJR北海道へと継承されたが、道路の整備が進み1995年(平成7年)9月4日に廃止された。


廃止後はJR北海道のバス部門(JR北海道バス)が継承。2000年(平成12年)4月1日には分社化により誕生した子会社のジェイ・アール北海道バスに移管。2002年(平成14年)12月1日から運行業務を道北バスに委託している。

運行当初の便数は、深川駅から幌加内(旧・幌加内駅近くの幌加内交流プラザ内)までが10往復、幌加内から朱鞠内(旧・朱鞠内駅)までが8往復、朱鞠内から名寄駅までが6往復で、鉄道時代に比べて本数は倍増した。


名羽線計画

計画の大本は、1922年(大正11年)に制定された改正鉄道敷設法に予定線として、「天塩国名寄ヨリ石狩国雨龍ヲ経テ天塩国羽幌ニ至ル鉄道」として記載された「名雨線」である。この区間は一部が着工され、その後深名線に編入された。残った朱鞠内駅~羽幌駅間が「名羽線」として着工され、このうち羽幌駅側は先に完成し、羽幌炭礦鉄道が借り受けた上で運炭と資材輸送に使用されていた。

しかし、その後は工事は思うように進まず、予算もたびたび削られた。その後両端の接続路線(羽幌線と深名線)が特定地方交通線に指定されてしまったうえ、ほとんど人気のないところを走るような路線だったため、開業しても赤字確定と判断され工事は凍結。完成していた施設は放置された。これらは一部が深名線からも見ることができた。

跡地を苫前郡羽幌町の「マキタ産業」が砕石運搬の為トラック輸送路として活用していたが、同社が事業停止した為再び放置されている。


沿革


運行形態

普通列車のみの運行で、全線を走破する列車も存在したが、基本的には朱鞠内駅で運行系統が分かれていた。

廃止直前は深川駅〜幌加内駅間が5往復、幌加内駅〜朱鞠内駅間が下り4本・上り3本、朱鞠内駅〜名寄駅間は3往復だった。

1往復は全線通しの列車で、夜間の1往復と朝の上り1本が深川駅〜幌加内駅間の区間列車だった。

なお朱鞠内駅での接続は全く考慮されていなかった。


駅一覧

駅名乗換路線備考
深川
  1. 函館本線
  2. 留萌本線
円山
上多度志
多度志
宇摩
幌成
下幌成
鷹泊駅舎は倉庫に転用されている。
沼牛駅舎が非常に良好な状態で保存されている。
新成生
幌加内沿線の中心地。駅跡付近に資料館が存在する。
上幌加内
(臨)雨煙別※4
(臨)政和温泉※4
政和
新富※5
添牛内駅舎が非常に良好な状態で保存されている。2022年にクラウドファンディングで整備された。
大曲仮乗降場※2
共栄
朱鞠内
湖畔
宇津内仮乗降場秘境路線だった当線でも際立った秘境として知られた。※1
(臨)蕗ノ台※4
(臨)白樺※4
北母子里
天塩弥生
西名寄
名寄
  1. 宗谷本線
  2. 名寄本線※3

※1:1956年(昭和31年)11月19日以降廃止

※2:1976年(昭和51年)2月1日廃止

※3:1989年(平成元年)5月1日廃止

※4:1990年(平成2年)3月10日廃止

※5:1990年9月1日廃止


使用車両

1941年から1949年にかけて、朱鞠内駅構内に朱鞠内機関支区が設けられ、C11形蒸気機関車が6両配置されていた。


1955年8月からはキハ10000形レールバス(後のキハ01・02)の寒地仕様車が導入されたが、時間帯によっては旅客を乗せきれず、1958年にはキハ05形に置き換えられた。


1966年以降は北海道向けに製造されたキハ21キハ22が運用されるようになり、概ね1両から3両で運用されていた。この時期は朱鞠内駅を境にして運行系統は分断されており、深川駅から朱鞠内駅までは深川機関区、名寄駅から朱鞠内駅までは名寄機関区の気動車が運用されていた。


1986年以降は旭川運転所のキハ53形500番台が運用されるようになった。キハ53は2エンジン搭載車であることから、冬季でもキハ53形による単行運転が主体となった。夏はキハ54や、駆動用エンジンが1基のキハ40も運用されることがあった。


また、沿線は道内トップクラスの豪雪地帯であるため、ロータリー除雪車であるDD14が活躍していた。しかし廃線に伴い引退している。


関連項目

国鉄 JR北海道 JR北海道バス

函館本線 宗谷本線 名寄本線 廃線

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