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深名線

しんめいせん

かつてJR北海道が運行していた鉄道路線
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函館本線深川駅から分岐し、雨竜郡幌加内町を経て宗谷本線名寄駅までを結んでいた。
営業係数が常にワースト10入りするほど営業成績が悪く、赤字83線特定地方交通線の廃止論議にもその都度候補にあげられていたが、並行道路の整備状況が悪いために廃止保留となり、JR北海道へと継承された。しかしJR継承後に道路の整備が進み、1995年9月に廃止された。

車両

1941年から1949年にかけて、朱鞠内駅構内に朱鞠内機関支区が設けられ、C11形蒸気機関車が6両配置されていた。

1955年8月からはキハ10000形レールバス(後のキハ01・02)の寒地仕様車が導入されたが、時間帯によっては旅客を乗せきれず、1958年にはキハ05形に置き換えられた。

1966年以降は北海道向けに製造されたキハ21キハ22が運用されるようになり、概ね1両から3両で運用されていた。この時期は朱鞠内駅を境にして運行系統は分断されており、深川駅から朱鞠内駅までは深川機関区、名寄駅から朱鞠内駅までは名寄機関区の気動車が運用されていた。

1986年以降は旭川運転所のキハ53形500番台が運用されるようになった。キハ53は2エンジン搭載車であることから、冬季でもキハ53形による単行運転が主体となった。夏はキハ54や、駆動用エンジンが1基のキハ40も運用されることがあった。

名羽線計画

計画の大本は、大正11年に制定された改正鉄道敷設法に予定線として、「天塩国名寄ヨリ石狩国雨龍ヲ経テ天塩国羽幌ニ至ル鉄道」として記載された「名雨線」である。この区間は一部が着工され、その後深名線に編入された。残った朱鞠内~羽幌間が「名羽線」として着工され、このうち羽幌側は先に完成し、羽幌炭礦鉄道が借り受けた上で石炭輸送と資材輸送に使用されていた。
しかし、その後は工事は思うように進まず、予算もたびたび削られた。その後、両端の接続路線(羽幌線と深名線)が特定地方交通線に指定されてしまったうえ、ほとんど人気のないところを走るような路線だったため、開業しても赤字確定と判断され、工事は凍結、完成していた施設は放置された。(これらは一部が深名線からも見ることができた)
現在は跡地を民間のトラック会社が利用している。

代替バス

JR北海道の子会社であるジェイ・アール北海道バスが代替バス深名線を運行している。運行当初の便数は、深川駅から幌加内までが10往復、幌加内から朱鞠内までが8往復、朱鞠内から名寄駅までが6往復で、鉄道時代に比べて本数は倍増した。

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