解説
石炭を運ぶことである。
特に炭鉱から港あるいは消費地まで鉄道・船・道路等の交通機関を用いて石炭を輸送する一連の流れを指す。
日本においては特に北海道と九州北部(筑豊地域)において運炭を主な使命とする鉄道路線が多く建設された。
世界的に石炭は燃料以外では製鉄原料として使うケースが多い。ただ海外においては石炭産地と鉄山を双方向にホッパ車で輸送する例が多いのだが(「コンビナート」は原型では内陸にも当たり前にある)、日本の場合、本格的な近代形鉄山がなく戦前・戦後とも鉄鉱石は他地域(外地・外国)からの船舶による移入であり、製鉄所もそれを前提として沿岸部に建設されたため、運炭輸送は基本的に産炭地からの片方向輸送となり双方向型より効率は劣る。昭和時代中期以降に炭鉱の閉山が相次ぐと、都市近郊路線や地域幹線として脱皮することに成功した一部の路線を除き、その多くが国鉄末期に不採算路線に指定され、後に廃止されている。唯一国内に残った北海道釧路の炭鉱ではその後も長らくグループ会社の保有する石炭輸送用の専用鉄道が存在していたが、2019年6月にトラック輸送に切り替えられる形で廃止されている。
その後も川崎市の三井埠頭から陸揚げされた海外炭を内陸部のセメント工場まで輸送する列車(川崎市→熊谷市)が残っていたが、こちらも2020年3月14日のダイヤ改正をもって廃止。これによって国内の石炭輸送列車はすべて消滅した。
昔の北海道では石炭車を連ねた2000トン貨物列車をD51やD61が単機で牽引していた。
室蘭本線などは平坦なので牽き出し(起動)にさえ成功すれば辛うじて牽ききれたが、1両ずつガチャン、ガチャンと引っ張り出すゆっくりとした牽き出しだったという。
列車が重いので機関車は走り出してからしばらくすると蒸気を使い果たし、惰性で走りながら蒸気を貯め直していたという。
帰りは空の石炭車を多数並べているので、無蓋ホッパ車である石炭車たちの空気抵抗で速度が上がらなかったとか。
終戦直後は物資不足の混乱期であったため、東北から東京へ蒸気機関車用の石炭を運炭列車で送ったら、途中の操車場でも石炭足りないとばかりに一両、また一両と抜かれて目的地に着いた時には編成両数が半減していたなんて話もある。
なお、海外では現在でも石炭の鉄道輸送は普通に行われており、特に北米ではその規模も非常に大規模であり、1列車で10000トンを超えるような列車も珍しくない。
カナダに至っては、日本向けの輸出のために、鉱山の開発と運炭鉄道の建設を行った例もある。
かつての九州ことに石炭列車を多く走らせていた北九州では鉄道システムもこれに特化した構造となっており、レールが上下で太さが違っていたり(空車である下りは細い)、ダイヤも予め使いそうなものを全て点線で書き込んであり、実際に使うことになったものを朱で実線として引き直すなど、ダイヤ運行とトレイン・オーダー・システムの中間のような方法を用いていた。
なお、どこぞのアニメはあんまり関係ない。
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