石炭車
せきたんしゃ
読んで字のごとく、石炭を運ぶ貨車であり構造としてはホッパ車の一種である。
昔は鉄道車両をはじめとする一般的な燃料といえば石炭であったため、専用に記号が起こされ国鉄式記号では「セ」が割り当てられていた。
蒸気機関車の後ろについているのは燃料としての石炭と蒸気材料の水を載せた炭水車(テンダー)である。
明治から昭和前半の日本の鉄道では多くの石炭車が運用されていたものの、鉄道の無煙化や工業全体の石油への転換で日本ではほぼ見られなり、現在のJR貨物では事実上ホッパ車に統合(ホッパ車を示す「ホ」記号で石炭運搬用に用いられている車両がある)される形で形式としては消滅した。
最近まで川崎~熊谷の石炭輸送に用いられていた車両が「ホキ」(ホッパ車)なのは統合が理由ではなく、この車両は荷主所有の私有貨車であり、国鉄→JR貨物には石炭車(形式記号セ)について私有貨車制度がなかったため。
九州地区向けと北海道地区向けで大きく外観が異なるが、これは積み下ろし設備などを含めた基本設計がどこの国の流儀であったかによる。九州はドイツ、北海道はアメリカのそれである。勿論鉄道の規格が本国より小さいので、どちらも原型より一回り以上小ぶりになっている。
また、九州の炭鉱は「コヤマ」と呼ばれる零細企業が経営する小規模なものが多いのに対し、北海道の炭鉱は北海道炭礦汽船(北炭)をはじめ、三菱や三井などの大企業や財閥が経営する大規模なものが多いため、それぞれの輸送実態に合わせて2軸車とボギー車を使い分けていたとする見方もある。
車両と設備でセットの設計なので、片方で余剰が出てもそのまま転属ということはできない。ただし九州でもセキ3000形をはじめとするボギー車の運用記録があるほか、2軸車が常磐線にて常磐炭輸送に用いられた記録があるなど、実際はケースバイケースで転用がなされていたため、必ずしも運用できないというわけではない模様。
車両の名称や形式は石炭車であるが、先述の通りホッパ車の派生車両であることから運ぶものは石炭のみならず、石灰石やセメント、肥料を運んでいたものがある。またホッパ車へ改造され、砕石や石灰石、硅砂用に使われたものもある(北陸鉄道ホム1など。これは西武時代に改造された)。
巨大な炭田を有するカナダやオーストラリアやアメリカといった国々では、ずらりと石炭車を連ねた長大な運炭列車が今でも現役で走っている。