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北陸鉄道

ほくりくてつどう

石川県に路線を有する私鉄。
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概要

石川県金沢市に本社を置き、同市を中心として鉄道線2路線(石川線浅野川線)と路線バスを運営する私鉄
略称:北鉄

かつては金沢市内線(路面電車)や国鉄(現JR西日本北陸本線周辺に多数の鉄道線を運行していたがモータリゼーションの影響下で多くが廃止された。現在は会社としてはバス事業の方が主力となっている。

歴史

1916年10月に設立された金沢電気軌道が直接の前身。
金沢電気軌道は1913年に設立された金野鉄道(きんやてつどう)という電気鉄道を1923年に、1914年に設立された石川鉄道とか言う軽便鉄道を1924年に、それぞれ吸収合併している。

1941年8月に、富山県の企業である北陸合同電気の手に渡るも、1942年3月に独立、現在の北陸鉄道と名乗った。
1943年10月に、石川県内の4つの私鉄と、バス会社の湯涌自動車および七尾交通を吸収合併した。なお、公式には、この時をもって設立としている。同年年末には県内18のバス会社も吸収合併している。
さらに1945年には小松電鉄と浅野川電鉄も吸収合併した。結局、尾小屋鉄道以外の石川県内のバス会社・鉄道会社が北陸鉄道に合流したわけである。

ところが、何せ企業風土の違うもの同士を半ば強引に一緒にしたようなものだった上、先述のように北陸本線の周囲に散らばっていた(ただし能登鉄道改め能登線は七尾線と接続)もんだから、社内でゴタゴタは起こるわ合理化は進まないわとロクな事はなく、挙げ句の果てには労使関係は険悪通り越して最悪の状態に陥り、ストライキがやたら発生しては通勤通学観光に大打撃を与えてしまう。そしてとうとう社長重役みな経営を放り出してしまった。この異常事態に対し、当時の運輸省は愛知県(・岐阜県)の私鉄・名古屋鉄道(名鉄)に対し「お前同じ中部地方の私鉄だろ?面倒見ろや」と命令、結果1962年5月、北鉄は名鉄の子会社となった。
そして1968年、「俺もう鉄道会社やーめる!バスに専念するわ!!」と言い出してしまう。当然ながら地元住民はもちろんのこと各市町村から「ふざけんなゴルァ!!」「目を開けて寝言抜かすダラ(石川県の方言でアホバカという意味)がおるか!!」などと猛反発を受けた上、石川県知事からも因縁を付けられたため、鉄道事業継続を余儀なくされたのだった。
それでも路線の整理は進められ、結果鉄道事業は石川線と浅野川線の二つだけに絞られている。

もっとも、バス事業に関しても、自家用車の普及などで苦戦気味となり、1989年以降は分社化をすすめている。なお、小松市内に関しては関連会社の小松バス(かつての尾小屋鉄道)に丸投げしている。

鉄道線の現在の使用車両

電圧は石川線(野町~鶴来間、13.8km)が直流600V、浅野川線(北鉄金沢~内灘間、6.8km)が直流1500Vとなっている。電圧が違うのは、浅野川線の金沢駅付近の地下化対策により昇圧を行ったため。歴史的経緯もあって、線路もつながっていない。

7000系(石川線)

もと東急7000系。北鉄入線に際し600V化と台車交換が行われた。
7000形:2両編成1本。非冷房のまま入線。
7100形:2両編成2本。入線に際し冷房改造を行った。
7200形:2両編成2本。種車は中間車で、入線に際し先頭車化改造と冷房改造を行った。すごく平面顔で、72です・・・

7700系(石川線) メイン画像の車両

もと京王3000系。2両編成1本。北鉄入線に際し600V化と台車交換が行われ、モハ7700形に電動車化、パンタグラフ取り付けを行い入線。機器類は先述の7000系と同じとした。両開き扉。

8000系(浅野川線)

もと京王3000系。北鉄入線に際し電動車化とパンタグラフ取り付けを行った。
8800形:2両編成2本。種車は京王3000系の1次車であるため、が片開きである。
8900形:2両編成3本。両開き扉。

鉄道線・軌道線の過去の車両

先述の通り石川県内のほとんどの鉄道会社を(強引に)まとめたばっかりに、それこそ各鉄道会社の車輛が入り乱れる有様だった(が、参加した、もといさせられた鉄道会社はどこも1067ミリゲージを採用してはいた)。しかも、チンチン電車はあるわヂーゼルカーはあるわ、そのうえ自家用車が普及していなかった頃には新しく電車を製造したうえ、よそからの中古電車を購入して使用したもんだから、その結果、カオスとしか言いようのない状態になっていた。

故にここでは代表的なものを述べる。

金沢市内線モハ2000形

1950年に10両製造・投入された。金沢市内線初のボギー台車装着車だった(これまでは全て二軸車だった)。ただ、金沢市内の、狭い道路事情(ボギー台車装着車をなかなか導入出来なかったのはそのため)に合わせたが故に全長10・5メートル、幅2.2メートル・・・・・・お前は尾小屋鉄道のヂーゼルカーか!?(件の車輛もだいたい同じ大きさだった)
1967年の金沢市内線廃止後は「親会社」の名鉄に移籍、岐阜市内線で1997年まで活躍している。

金沢市内線モハ2300形

1961年に2両製造・投入された。1967年の金沢市内線廃止により、最後の車輛となってしまった。
廃線後は「義兄弟」の豊橋鉄道に移籍、豊橋市内線で2000年まで使用され、さらに鉄道総合技術研究所に移って未来の路面電車の実験台にされた。
1両が栃木県内某所にて保存されているそうである。

(金沢電気軌道デホニ101形→)石川総線モハ1500形

1925年に4両が製造・投入。元々は荷物室がついていたが、1950年に撤去されている。
なお、北陸鉄道成立後、1両が浅野川線に「レンタル」されていたことがあった。
1963年に2両の車体が作り替えられモハ3020形と改名、さらには機器を取り替えられてモハ3710形と再改名され、1978年まで使用された。残りの2両は台車をサハ1000形付随車(後述)と交換、機器を外されて付随車にされたあと、1967年に廃車となった。

石川総線サハ1000形(→モハ3730形)

1956年に2両製造・投入された。もともと電動車にするつもりで作られた(しかも運転台の「予定地」も確保してあったそうな)が、実際に電動車になった(うえ、運転台が付けられた)のは
1966年になってからだった。その際モハ3730形と改名している。
1990年と1996年に廃車となった。
なお、仲間に、1961年に1両だけ製造・投入された浅野川線モハ3550形が存在しており、こちらも1996年に廃車された。

石川総線(→金石線→小松線)モハ3000形

1949年にモハ1100形として5両製造・投入したものの、すぐにモハ3000形に名前を改められた。
1963年に1両が事故ってしまったため近代的な車体に作り替えたのを皮切りに、他の4両も部分部分の修理を行った結果、1両ごとに違いが出てしまった。いいのかそんなんで・・・・・・・・・・。
1964年に金石線に移籍したが、その際金石線が軌道線扱いだったため排障器が取り付けられた。1971年に金石線が廃止されたため、排障器を外したうえで小松線に移籍、1986年の同線廃止まで活躍している。

(温泉軌道デハ21-29→)加南線モハ1800形・1810形

1942年に他の車輛の電装品などを使って作られたものだが、その裏には、1941年に発生した山代車庫の火事でほとんどの電車を焼失してしまったことにある。
早い話、この焼けてしまった電車から、無事だった機器をなんとか流用して作られたのが、これだったのだ。
太平洋戦争中や戦後の混乱期の加南線の主力をになったものの、加賀温泉郷を控えていたこの路線は新車の投入に適していた様で、新車が投入された際に加南線を離れるものも現れた。
それでも何両かは加南線廃止(1971年)までこの路線で活躍した。
その一方で加南線を離れたものの中には1990年代半ばまで営業運転に就いていたものもある。

加南線モハ5000形

1951年に2両が製造・投入された。
国鉄の客車並みの固定クロスシートを備え、加賀温泉郷への観光客誘致に備えた、まさに北鉄のエース的存在だったが、さらに装備を充実させた6000系に追い出される形で石川総線に回され、クロスシートはロングシートに付け替えられてしまう。
そのうえ「親会社」の名鉄から譲ってもらった機器に取り替えられてしまい、名前もモハ3750形に改名させられてしまう。
その上1980年代半ばには外観のリフレッシュ工事も行われた。
そして東急7000系(既述)が投入されたのを機に予備車に回されたものの、ほとんどの在来車両が使命を終え屑鉄になったことを考えればまだマシな方ではあった。
2007年までに廃車となったものの、運良く2両とも生き残り、1両は因縁の地・石川県大聖寺市内に、もう1両は千葉県内に、それぞれ保存されている。
また、これとほぼ同じ形のモハ5100形電車が存在しており、こちらは元から石川総線に配属されていた。
後に2両はモハ3761形に改造、さらにモハ3761形の1両はパンタグラフなどを外されたうえでクハ1301と改名したうえで、浅野川線に移籍、先に浅野川線に回されていたモハ5101とコンビを組んでいる。
この3両は1996年に廃車となったものの、(モハ5102→)モハ3761は長年鶴来の車庫に放置された後、運良く能美市辰口温泉に保存されている。

加南線6000系

こちらをどうぞ。

加南線6010系

6000系の後を受けて1963年に日本車輛本社工場(名古屋市)にて作ってもらった。クモハ6011-クハ6061の2両1ユニットは6000系と同じシステムである。
6000系は思い切ってカルダン駆動を採用したのだが、こちらはよっぽど予算が無かったのか、そこら辺にほったらかしにされていた台車や電気機器などを使ったため、釣りかけ駆動の旧性能車となってしまった。
その一方でアルミニウムのドンガラを採用したのだが、これは日本車輛のアルミニウムのドンガラの作り方のモルモット的色合いがあったのだ。

やはりドンガラのでかさ(全長19メートル)ゆえに他の線区に回すことも出来ず、6000系同様大井川鉄道に移籍したが、旧性能車のせいか昇圧に対応できたが故に大井川鉄道でもまともに働くことが出来たが、台車や電気機器に関しては流石にもうちったあ新しいものに変えられている。
だが、その電気機器のパーツが入手困難になってしまったため、結局2001年に事実上廃車、千頭駅構内で放置されてしまう。

ところが、因縁の地・石川県山中町が「どーせ加賀市に喰われてしまうんだ。俺達が生きた証として、温泉電軌(加南線の前身)ゆかりの電車をモニュメントとして残そう」と言うことになり、運良く生き残ったこの車輛がそのモニュメントとして山中町に残されることになった。
そして2005年8月から「道の駅山中温泉 ゆけむり健康村」にて保存されている。

バス車両について

名鉄傘下になる前はいすゞ日野の車両を導入していた。日野については、石川県内に日野の指定コーチビルダーの金沢産業(→金産自動車工業、金産)が存在した絡みで採用したのだが、いすゞに関しても金産を指定したほどだった。
ところが名鉄傘下になった際、そのからみで三菱日本重工(なんやかんやあって現在の三菱ふそうトラック・バス)を採用することになった際、隣県三菱日本の指定コーチビルダー・呉羽自動車が存在していたのに、「金産のドンガラじゃなきゃ、やだやだやだー!!」と駄々をこねたばっかりに、金産のドンガラを乗せたふそうバスという、ムチャクチャなものを作らせてしまった。もっとも、金産は、東急バス向けに、民生デイゼルのバスボディーを手掛けたことがありはした。民生デイゼルのヘビーユーザーだとは言え、もう少しあそこの指定コーチビルダー信用しろよ東急バス。また、隣県のバス会社には、呉羽のドンガラ乗せた日野のバスなるものが存在した。これもこの北鉄と同じ事情があったらしい。
だが、1975年に金産が、同じ日野の指定コーチビルダーである帝国自動車に吸収合併されてしまう(帝国自動車は日野車体と改名)。そして旧金産は、トラックボデーと中型バスに集約されたことから、大型バスに関しては日野は旧帝国自動車、ふそうは「自前」(名古屋市の工場でシャシーとボディーをどちらも作っていた)に変更された。なお、いすゞは1970年代半ば以降購入しなかった。

長らく日産ディーゼル→UDトラックスの車両を採用しなかったが、1987年から1997年まではハイウェイバスとして、1996年から路線バスにも採用した。しかし、UDトラックスがバス事業から撤退したため、当然ながら現在は採用していない。

2017年夏時点ではふそうバスを路線・ハイウェイ・観光バス全てに採用、日野は観光バスのみ採用(ちなみに一応金産の流れをくむJバス石川がドンガラを手掛ける)、そしていすゞについても2004年から路線バスのみ導入を再開している、と書くと、「ウソをつけ」と言われそうだが、実は、現在の日野の路線バスはいすゞから恵んでもらっているので、そうなっちゃうのである(逆に日野はいすゞに観光バス・ハイウェイバスを恵んでやっている)。

地域別に分割した子会社ではよそをクビになった車両を購入することもあるが、基本的には新車を購入している。中古車購入が当たり前になっている地方のバス会社でははっきり言って異例。

ネタ

鉄道会社というものは、何らかの形で「副業」を行っていることが多い。ここもご多分に漏れず、なぜか富山県内1カ所でレストランを経営しているが、特殊な箇所での経営となっており、おいそれとは利用出来ない。ただし誰でも利用出来るレストランも、関連会社を通じてではあるが、石川県内に1カ所経営してはいる。また、1970年9月から2018年3月にかけて、金沢市内でボウリングを経営していた。

ただそれだけならまだいい。なにせ関連会社を通じてではあるが自動車学校を運営している・・・・・・・・・それって間接的にクビ締めてない?いや、それどころか、1980年代半ばから1990年代にかけては、アメ車(および中国地方どこかで生産された似非アメ車の販売店を直営で運営していた・・・・・・・・・・・・自分で自分の首締めてどうするんだよ!?でも全く同じことアソコでもやらかしたことあったな・・・・・・・・・・。

関連イラスト

鉄道

北陸のななせん



路線バス

日産ディーゼル PKG-RA274PAN



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北陸 金沢 いしたん

外部リンク

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