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概要

夕張炭田の各炭鉱開発や石炭輸送を目的として、北海道炭礦鉄道により敷設された鉄道路線である。追分駅〜紅葉山駅(現在の新夕張駅)〜夕張駅間の本線と、紅葉山駅〜登川駅間の支線(通称・登川支線)から成る。後に石勝線の原型となった。

歴史

北海道炭礦鉄道時代

1892年明治25年)11月1日北海道炭礦鉄道室蘭線の支線として追分駅〜夕張駅(初代)間が開通。同区間に紅葉山駅(一般駅)・夕張駅(初代・一般駅)が開業。

1894年(明治27年)8月1日、追分駅〜紅葉山駅間に川端駅(一般駅)が開業。

1897年(明治30年)2月16日、川端駅〜紅葉山駅間に滝ノ上駅(貨物駅)、紅葉山駅〜夕張駅(初代)間に清水沢駅(貨物駅)がそれぞれ開業。

1900年(明治33年)1月16日、川端駅を追分寄りに約400m移設・改キロ。

1901年(明治34年)12月1日、清水沢駅〜夕張駅(初代)間に鹿ノ谷駅(一般駅)が開業。滝ノ上駅・清水沢駅が一般駅に変更(旅客の取り扱いを開始)。

1905年(明治38年)11月15日、紅葉山駅 - 清水沢駅間に沼ノ沢駅(貨物駅)が開業。

国有鉄道時代

1906年(明治39年)10月1日、北海道炭礦鉄道の国有化に伴い、追分駅〜夕張駅(初代)間が逓信省鉄道作業局(国有鉄道)に移管。

1907年(明治40年)5月16日、貨物支線の紅葉山駅〜楓貨物取扱所間が開通。同区間に楓貨物取扱所が開業。

1909年(明治42年) 7月1日:貨物支線の紅葉山駅〜楓貨物取扱所間で旅客営業を開始。楓貨物取扱所を一般駅に変更(旅客の取り扱いを開始)し、楓駅(初代)となる。

同年10月12日、国有鉄道線路名称制定に伴い、追分駅〜夕張駅(初代)間および紅葉山駅〜楓駅(初代)間が「夕張線」となる。

1910年(明治43年)8月16日、沼ノ沢駅が一般駅に変更(旅客の取り扱いを開始)。

1911年(明治44年)12月、三井登川炭鉱の開発に伴い、楓駅(初代)〜登川間の三井鉱山専用線(貨物専用線)が開通。三井鉱山専用線では楓駅(初代)に接続する自社の貨物駅の名称をこの地の字名と同じ「久留木(くるき)」、後の登川駅を「新久留木(しんくるき)」と称していた。また、この時点の三井鉱山専用線は貨物専用線で、旅客の取り扱いは行っていなかった。

1912年(大正元年)11月19日、清水沢駅〜夕張駅(初代)間が複線化(※1)。

1915年(大正4年)8月1日、滝ノ上駅〜清水沢駅間が複線化(※1)。

1916年(大正5年)7月11日、三井鉱山専用線が国有化され、夕張線の支線(通称・登川支線)に編入される形で楓駅(初代)〜登川駅間が延伸。同区間に登川駅が開業。なお、同区間は楓駅(初代)の手前で分岐する形となり、楓駅(初代)は引き上げ線方式のスイッチバック駅となった。

1917年(大正6年)6月1日、追分駅〜川端駅間が複線化(※1)。

1919年(大正8年)9月30日、川端駅〜滝ノ上駅間が複線化(※1)。

1932年(昭和7年) 11月1日、追分駅〜川端駅間が単線化(※2)。

同年11月4日、川端駅〜滝ノ上駅間が単線化(※2)。

同年11月7日、滝ノ上駅〜紅葉山駅間が単線化(※2)。

同年11月11日、紅葉山駅〜沼ノ沢駅間が単線化(※2)。

同年11月13日、沼ノ沢駅〜清水沢駅間が単線化(※2)。

同年11月17日、清水沢駅〜鹿ノ谷駅間が単線化(※2)。

同年11月20日、鹿ノ谷駅〜夕張駅(初代)間が単線化(※2)。

(※1)複線化は輸送量増加への対応が目的で、橋梁部分以外の腹付け施行であった。

(※2)1930年昭和5年)11月3日夕張鉄道(後の北海道炭礦汽船夕張鉄道線)全通に伴う輸送量減少のため単線化。

日本国有鉄道時代

1949年(昭和24年)6月1日、公共企業体日本国有鉄道国鉄)に移管。

1962年(昭和37年)1月15日:夕張線の全旅客列車が気動車化。

同年12月25日、滝ノ上駅〜紅葉山駅間に十三里駅(旅客のみ取り扱いの無人駅)、沼ノ沢駅〜清水沢駅間に南清水沢駅が開業。

1965年(昭和40年)3月1日、追分駅〜川端駅間に東追分駅(旅客のみ取り扱いの無人駅)が開業。

1967年(昭和42年)1月、楓駅(初代)が紅葉山寄りの本線上に移転し、楓駅(2代目)となる。同時に、楓駅(初代)でのスイッチバックが解消。

1975年(昭和50年)12月24日、追分駅〜夕張駅(初代)間で国鉄最後の蒸気機関車牽引による貨物列車が運行される。

1977年(昭和52年)12月、追分駅〜紅葉山駅間の改良工事に着手。

1978年(昭和53年)5月1日、鹿ノ谷駅〜夕張駅(初代)間の貨物営業が廃止。

1981年(昭和56年) 5月25日、夕張線の営業近代化を実施。清水沢駅〜鹿ノ谷駅間および紅葉山駅〜登川駅間の貨物営業が終了。

同年6月1日、東追分駅を追分寄りに300m移設・改キロ。

同年6月19日、追分駅〜川端駅間を票券閉塞式から単線自動閉塞式に変更。同時に東追分駅の交換設備が供用開始。

同年6月26日、川端駅〜滝ノ上駅間を通票閉塞式から単線自動閉塞式に変更。同日に川端駅〜滝ノ上駅間に滝ノ下信号場が開業し、交換設備を供用開始(滝ノ下信号場の書類上の開設日は同年7月1日)。

同年7月1日、石勝線の開通準備のため次のように変更。

  • 石勝線の新線区間と夕張線を接続するため高度を稼ぐ都合上、十三里駅〜紅葉山駅〜沼ノ沢駅間を新線に移設し、紅葉山駅を高台に移転(改キロなし)。
  • 滝ノ上駅〜紅葉山駅間を通票閉塞式から単線自動閉塞式に変更。
  • 十三里駅の交換設備を使用開始。
  • 紅葉山駅〜登川駅間の支線(登川支線)が廃線となり、同区間の楓駅(2代目)・登川駅が廃止。

同年10月1日、石勝線の開通に伴い追分駅~新夕張駅(紅葉山駅から改称)間が同線の本線、新夕張駅~夕張駅間が同線の支線(通称・夕張支線)に編入された。これにより、夕張線の名称は消滅した。

以後は石勝線を参照

優等列車

1961年(昭和36年)1月14日、夕張線初の優等列車として、札幌駅〜岩見沢駅〜夕張駅(初代)間(函館本線室蘭本線・夕張線経由)に準急夕張」(2往復)が設定された。

停車駅は札幌駅・岩見沢駅・栗山駅・由仁駅・追分駅・滝ノ上駅・紅葉山駅・沼ノ沢駅・清水沢駅・鹿ノ谷・夕張駅。岩見沢駅と追分駅で二度スイッチバックを行うZ形の経路であった。

1966年(昭和41年)3月5日、準急「夕張」の追分駅〜夕張駅間が普通列車に格下げされ各駅停車となる。

1968年(昭和43年)10月1日、準急「夕張」が急行「夕張」に格上げ。

1970年(昭和45年)10月1日:急行「夕張」の1往復が廃止。

1972年(昭和47年)3月15日、急行「夕張」が廃止。以後、石勝線が開通するまで夕張線に優等列車は設定されなかった。

(※)一方、野幌駅〜夕張本町駅間に路線を有していた夕張鉄道(野幌駅で国鉄函館本線に接続)では、国鉄のZ形の運行経路に対抗して、1961年(昭和36年)9月1日に急行(野幌駅〜夕張本町駅間)が運行を開始した。野幌バス停留所駅(後の北海鋼機前駅)〜札幌大通間を自社バスで連絡し、札幌市への利用も可能だった。こちらは直通バス路線(札幌急行線)の拡充などにより1967年(昭和42年)9月30日に廃止された。

駅一覧

本線(追分駅〜夕張駅間)

駅名乗り換え路線備考
追分国鉄室蘭本線
東追分
川端
滝ノ下信号場
滝ノ上
十三里
紅葉山国鉄夕張線(登川支線)
沼ノ沢北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道
南清水沢
清水沢三菱石炭鉱業大夕張鉄道線
鹿ノ谷夕張鉄道(1975年まで)
夕張

支線(紅葉山駅〜登川駅間)

1981年7月1日廃止。

駅名乗り換え路線備考
紅葉山国鉄夕張線(追分・夕張方面)
石勝線の楓信号場(3代目の楓駅)とは別の位置。
登川

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