※接続予定だった興浜南線の記事も参照
概要
改正鉄道敷設法に規定された「北見国興部ヨリ幌別、枝幸ヲ経テ浜頓別ニ至ル鉄道」である興浜線の先行開業区間として、1936年に天北線の浜頓別駅から北見枝幸駅までを開業した路線。さらに北見枝幸駅からは美幸線も接続予定だった。
ところが太平洋戦争末期となる1944年に不要不急線に指定され、営業を休止。レールははがされて樺太で使用される予定だったが、その前に終戦を迎えた。直後に政府へ復旧の陳情が行われてすぐに許可が下りたため、業者を集めて2か月で復活した。
同時に残りの区間の工事も進められたが、沿線の開拓計画が頓挫してしまい、建設は思うように進まなかった。
そして1981年に興浜南線とともに第1次特定地方交通線に指定されてしまい、1985年に興浜南線よりも2週間早く廃止された。未成区間も放棄された。
なお、同線の斜内駅~目梨泊駅の間には北見神威岬があり、切り立った岬の先端をぐるりと回り込み、そこにある灯台の足元を走る姿の美しさから、道内ローカル線の中でも屈指の撮影ポイントとして知られていた。
(イラストはその風景をイラスト化したもの)