路線データ(廃止時)
路線名 | 松前線 |
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路線区間 | 木古内〜松前 |
路線距離 | 50.8km |
軌間 | 1,067mm |
駅数 | 12駅 |
非電化区間 | 全線 |
単線区間 | 全線 |
閉塞方式 | タブレット閉塞式 |
第一種鉄道事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
廃止日 | 1988年(昭和63年)2月1日 |
概要
木古内駅(北海道上磯郡木古内町)と松前駅(松前郡松前町)を結んでいた北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線で、地方交通線。
当初は福山線として開業。延伸途中で太平洋戦争(大東亜戦争)が激化した事から、最終的には松前町のマンガン鉱から軍事物資となる鉱物の輸送等を行う為に松前駅まで延伸された。本来は松前町大島地区まで延伸される予定だったが、戦後間も無く鉱山の閉山により結局延伸される事はなかった。
その後はマンガンや海産物輸送で栄えたものの並走する国道の整備により貨物輸送が廃止。
国鉄時代末期にに第二次特定地方交通線として廃止が承認され、民営化後の1988年(昭和63年)2月1日に廃止された。
廃止に至るまで
松前線は特定地方交通線の存続基準をギリギリの所で下回っていた。なお木古内駅で接続していた江差線は特定地方交通線に選定されなかったものの、末端区間である木古内駅〜江差駅間よりも松前線の利用者数は多かった。松前線が廃止されたのは特定地方交通線の選定方法が路線単位の利用者数で判断されていた為である。
それ故に廃止後に開通した青函トンネル経由の海峡線(津軽海峡線)は江差線と接続したが、五稜郭駅〜木古内駅間(現在の道南いさりび鉄道転換区間)が松前線だったとしたら廃止されていたのは江差線だったと言われている。
もし青函トンネルが新幹線規格ではなく在来線規格で建設されていた場合は松前線と接続する予定だった。そのような経緯もあり松前線の跡地の一部は海峡線の路盤に転用されている。なお知内町内に松前線の代替として津軽海峡線に知内駅が設置(開業時は湯の里信号場)されたが、こちらも2014年(平成26年)3月15日に信号場に格下げ(北海道新幹線開業時に湯の里知内信号場に改称)された。
また廃止が議論され始めた頃には地元住民の「乗って残そう運動」によって基準をクリアした年もあり廃止協議は難航した(例として、沿線から国鉄に対し選定基準に対する異議申し立てが行われたものの国鉄側が却下した)ものの、結局JR北海道が継承した後に廃止された。
なお生き残った江差線も末端区間は2014年(平成26年)5月12日に廃止され、津軽海峡線区間も北海道新幹線の並行在来線として2016年(平成28年)3月26日に道南いさりび鉄道に転換された。
沿革
- 1937年(昭和12年)10月12日:福山線として木古内駅〜渡島吉岡駅間開通。森越駅、渡島知内駅開業。
- 1938年(昭和13年)10月21日:渡島知内駅〜碁盤坂駅(後の千軒駅)間延伸。湯ノ里駅、碁盤坂駅開業。
- 1942年(昭和17年)11月1日:碁盤坂駅〜渡島吉岡駅間延伸。渡島福島駅、渡島吉岡駅開業。
- 1946年(昭和21年)12月15日:渡島吉岡駅〜渡島大沢駅間延伸。渡島大沢駅開業。
- 1953年(昭和28年)11月8日:渡島大沢駅〜松前駅間延伸に伴い全線開通及び松前線に改称。松前駅開業。
- 1957年(昭和32年)1月25日:白符駅、及部駅開業。
- 1957年10月1日:無煙化。
- 1962年(昭和37年)12月25日:重内駅開業。
- 1972年(昭和47年)3月15日:碁盤坂駅を千軒駅に改称。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物営業廃止。
- 1984年(昭和59年)6月22日:第二次特定地方交通線として廃止承認。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR北海道が第一種鉄道事業者として継承。
- 1988年2月1日:全線廃止。函館バスに転換。
運行形態(廃止時)
1980年(昭和5年)10月1日に急行「松前」が廃止されて以降は普通列車のみ運行されていた。
1日6往復が設定され下りの始発と上りの最終のみ木古内駅発着で、その他は全て江差線経由で函館駅まで直通していた。
駅一覧
廃止区間
未成区間
未開業駅は全て仮称
駅名 | 備考 |
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松前 | 開業済 |
館浜 | |
小島 | |
江良 | |
大島 |
使用車両
余談
松前駅付近で松前城の土塁・堀跡を経由していた。
松前城は国の重要文化財に指定されているが、その土塁を「松前トンネル」という鉄道トンネルが貫通していた。
廃線後もトンネルの出入口が封鎖されている以外はほぼそのままの形で残っている。