概要
1960年代前半、国鉄では電化区間に新性能電車と呼ばれる次世代型車両(101系や111系、401系、421系)を投入していった。一方非電化路線では大都市近郊線向けはキハ35系と地方線区向けにキハ20系が投入されていたが、キハ20系は扉が片開き式で850mmと狭いため、ラッシュ時の客扱いに難があり、キハ35系は3扉オールロングシートという通勤輸送に特化した構造であるため、通勤時間帯以外の使用時に設備が乗客の要求する水準を満たせないという難があった。それに客レや戦前製の気動車の老朽化もありこれの代替も必要であった。
そこで国鉄が1966年にこれらの問題解決の為、新型気動車キハ45系を投入した。
車体はキハ52の設計を一部利用し、中央に両開きドアを設置、座席はセミクロスシートとなっている。
国鉄形気動車で広く使用されたDMH17エンジンを使用した最後の形式となった。
キハ20系やキハ35系よりも早く現役を退き、2009年にJR西日本に残っていたキハ23 1が解体され、形式消滅となった。
本形式の車種
本形式は多くの資料では近郊型気動車という表現が使われることが多い車種である。しかし資料によっては一般型気動車として分類しているものもある。したがって、本形式は車種の分類に論争があり、特定の車種に分類することは困難である。もっとも、特急型・急行型以外の気動車の車種は本形式に限らず、特定の列車や種別に供することを目的としていないため、慣例的に一般型気動車と呼んでいる。
コンセプトの失敗
キハ20系であるキハ52はデッキすらないが急行列車にも使われることがあった。シートピッチは1470mmと急行形と同寸であり、2機関・単行可能という車種は地方の閑散線区(とはいえ急行もあるレベルの)では重宝したからである。しかしキハ53ではシートピッチを詰めて(1470→1400)両開きドアを付けたため急行用には使いづらく、0番代が11両でとどまるなど構想倒れに近い結果となった(逆にキハ52は最後の2年で38両も増備するなどしている-キハ45が登場してもなお、キハ53の登場まで、キハ52だけ並行して製造されている)。
北海道向けでは保温が最優先事項であるためシートピッチの縮小はなされていないが、2機関車両を作らなかったため冬場の単行運転に支障があった(現在キハ54を宛てているような線では特に)。
本系列製造後10年ほどの時点で113系など東京近辺の近郊電車にシートピッチ拡大車を投入しているが、座席が大型化するということはそれだけ立ち席スペースが縮小するということであり、ますます激化していった通勤ラッシュを考えると理解不能である。
形式
キハ45形
1機関搭載の片運転台車。暖地向けの0番台、寒冷地向けの500番台、簡易荷物車の600番台が存在。
キハ46形
北海道向けの1機関搭載の片運転台車。車体はキハ22に良く似た小型の二重窓で、肩開きドアのデッキ付きという酷寒地仕様である。
キハ23形
1機関搭載の両運転台車。暖地向けの0番台、寒冷地向けの500番台が存在。
キハ24形
北海道向けの1機関搭載の両運転台車。
キハ53形
2機関搭載の両運転台車。床下スペースに余裕がないため、水タンクがトイレの隣に設置されこの部分だけ窓が塞がれているのが特徴。0番台の他、長編成に対応した100番台が存在。
なお、200番台・1000番台はキハ58、500番台はキハ56をそれぞれ両運転台化改造したものでオリジナルのキハ53とは無縁の存在。