概要
東北本線黒磯以北の交流電化に伴い、1959年に登場した。25‰の急勾配区間を擁しながら、1000t級の重貨物列車が運行されていたため、出力は2040kWにまで増強された。この出力は登場から60年が経過した2019年時点でも、ED級機関車としては国内最強である。
10‰勾配上で1100t列車を単機で、25‰勾配上で1200t列車を重連で牽引可能とされており、「交流D型機は直流F型機並みの性能」という謳い文句も生まれている。
なお、寒冷地向けの車両にしては珍しくスノープロウを装備していない。また、交流電気機関車としてはED75・ED76に次いで3番目に数が多い(総数55両)。
車両形態
試作車
日立製作所で1号機、東芝で2号機、三菱電機で3号機がそれぞれ試作され、比較検討の結果、量産車は日立製の1号機をベースに製造されることになった。
ただし同社製の湿式高圧タップ切換器は故障が多かったことから、九州向けに製造されたED72・ED73は東芝製の2号機をベースに開発されることとなった。
1次車
1960~1961年に製造された1次車(~44号機)は、側面ルーバーが田の字状に並んでいることが特徴。駆動方式はクイル式だったが、不調が相次ぎ後年リンク式に改造されている。
2次車
1962年に製造された45~55号機は、側面ルーバーが側窓と同じ位置に揃えられている点で区別が付く。駆動方式はクイル式をやめて半つりかけ式と呼ばれる方式に変更。同じくクイル式を廃したEF60やED72とは異なり、主電動機の変更はなされていない。
運用
単機で旅客列車、重連で貨物列車を中心に活躍した。寝台特急「はくつる」や自動車専用列車などが主な華形運用である。また、交流D型機最強の出力を生かして、急勾配区間の補機を務めたこともある。
ただし、搭載する水銀整流器が寒冷地で凍結する恐れがあるため、運用は東北本線の小牛田止となり、徐々に後継のED75に活躍の場を明け渡すようになる。その後は老朽化や貨物列車の削減によって廃車が進み、東北新幹線が開業した1982年に全機引退した。
保存機
37号機が船岡駅付近にて静態保存されている。他にも1号機が宮城県の新幹線総合車両センターで保存されていたが、2019年12月頃に解体された。