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鉄道車両の系列のひとつ。


日本国有鉄道 50系客車編集

国鉄50系風味一般型客車

当該項を参照。


鉄道省 50系電車編集

国鉄の前身にあたる鉄道省が1934年から1943年にかけて導入した電車(旧型国電)。

高速運転により車齢に対し老朽化が進んでいた大正後期製の16m級木造電車の機器類や内装の一部を流用し新製の半鋼製車体に載せ替えた車体更新車。

製造期間が長期にわたるため屋根の構造や通風器の配置、前照灯の形態などの相違がある。

モーターは種車のものを流用したため国産・輸入問わず雑多な100kW級モーターを搭載していたが、戦時中の酷使により疲弊したため戦後にほとんどがMT15系列に交換された。

基本的な形式は以下の通り。

  • モハ50形

制御電動車。種車はデハ63100形→モハ10形。総数132両が製造された。

  • クハ65形

制御車。種車はデハ63100系のクハ15・17形・サハ26形・サロ18形のほか、それ以前の中幅木造車デハ33500系のサハ25形。

221両が製造されたが、製造末期の車両は戦時体制移行により座席数が減らされたり、側面窓が3段になっていたり、電装品不足から付随車代用サクハとなっていた車両もあった。

  • サハ75形

付随車。種車はサハ25・26形。21両が製造された。

ラストナンバーであるサハ75021は両開き扉の試作車で、乗降の円滑化が期待されたがわずか1両では効果が薄く最終的に戦災廃車となった。

  • モニ53形

荷物車。宮原電車区内で焼失した木造車モニ13020の復旧車。

戦前に製造されたのはこの1両のみだが、戦後にモハ33形・34形の改造で本形式に編入されたものがあった。

1952年から1953年にかけて木造荷物車の鋼体化改造で18両が増備されたが、1952年後期に製造された14両は後述の車両称号規定改正を先取りしモニ13形を名乗った。


モニ53形を除き首都圏で運用されたため多くの車両が戦災廃車となったが、一部の車両は復旧の上で西武鉄道東京急行電鉄京成電鉄などに譲渡された。

戦後に連合軍の進駐により一部のクハ65形が連合軍専用車に指定、1949年の接収解除後に一部の車両が半室二等車扱いとなりクロハ65形に改称された。

1953年の車両称号規定改正により17m級車体の車両は運転台やモーターの有無で整理する形になり、モハ50形はモハ11形、クハ65形はクハ16形、クロハ65形はクロハ16形、サクハ65形・サハ75形はサハ17形、モニ53形はモニ13形に改称された。

1957年と1958年に可部線用に2両が両運転台化されモハ12形031・032となった。また1958年3月には1両が大井工場入換機として両運転台化されモハ12形030となった。

1958年にモハ11形1両が配給車モル4511形に改造され、1959年の車両称号規定改正によりクモル24形に改称された。

1961年と1963年にクモハ11形3両が牽引車クモヤ22形に改造され、1970年には牽引車代用となっていたクモニ13形3両が編入された。

1962年から1965年にかけてクハ16形5両が救援車クエ28形に改造された。

その後は17m級車体であったことと電装品の老朽化が進んできたことから順次地方線区に転出。旅客用車両としては1977年に可部線用クモハ12031、荷物車クモニ13形は1983年に飯田線の025・26、事業用車はクエ28形が1985年に全車廃車となり形式消滅した。


大阪市交通局 50系電車編集

魔改造の真骨頂(何

大阪市交通局1960年から1965年にかけて新製・投入した第三軌条方式通勤形電車。登場時は5000形を名乗ったが1969年に50系に改称された。

1200B形をベースにより近代化を目指した車両で、大阪市営地下鉄のみならず日本の第三軌条方式の車両としては初のMM'ユニット方式を採用した。

当初は車内に荷棚は設置されていなかったが、1964年に製造された3次車から設置されるようになった。

当初はアイボリーとタキシーイエローのツートンカラーを纏っていたが、1970年代後半に全車両がそれぞれの線区に専属するようになってからはアッシュグリーン地に各線のラインカラーに変更された。

当初は御堂筋線四つ橋線で、1970年の大阪万博に伴う30系の増備に伴い御堂筋線から離脱して以降は第三軌条方式を採用したすべての路線において運用されていたが、後継車両の投入により1994年千日前線を最後に引退した。

最後まで運用に就いていた5085号車が森之宮車両管理所に保存されており、イベントなどで一般公開される。当初は引退当時の千日前線塗装を纏っていたが、2011年に登場時の塗装に復元された。


京都市交通局 50系電車編集

京都市交通局東西線50系

京都市交通局が1997年の東西線開業時から使用している車両。6両編成17本が在籍。うち3本は2004年の六地蔵駅延伸時に製造された増備車で台車が変更されている。

準小型車両として先に開業していた烏丸線用10系よりも小型の車体が採用されているが、京阪電気鉄道京津線800系が乗り入れている関係上、リニア地下鉄ではない。

京都市営地下鉄地下鉄東西線は全ての駅に前面ガラス張りのホームドアが設置されており、全区間が地下。車輛性能と制御規格の都合から京津線への乗り入れ運用もないことから、鉄道ファンの間では日本一写真撮影が困難な車両とも評されている。

撮影の機会は、時々開催される地下鉄醍醐車庫見学会に限られる。


関連タグ編集

50系客車 鈍行 12系 客車 日本国有鉄道

大阪市営地下鉄 京都市営地下鉄

鉄道車両の形式の一覧

50形

40系 60系

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