概要
鉄道省時代の1932年(昭和7年)から1933年(昭和8年)にかけて、モハ34として製造された車両を中核に、1953年(昭和28年)の称号改正時に17m級鋼製車体の両運転台制御電動車を編入したグループである。
そのため、旧モハ30、モハ31をルーツとする車両も存在する。
元の形式と改造形態の相違ごとに以下の番台区分がされていた。
- 0番台:旧モハ34形。製造時より両運転台。クモハ12000-12004の5両。
- 10番台:旧モハ31形。増設側運転台が全室式。クモハ12010-12027の18両。クモハ12010は1957年の更新修繕時、クモハ12018は1951年の改造時より増設側運転台も前面非貫通。クモハ12019のみ大井工場入換用のため増設側運転台に仕切りがない。クモハ12010-017とクモハ12019-027は改造時期が異なり、増設側運転台の貫通扉の形態が異なる。
- 30番台:旧モハ50形。クモハ12030-12032の3両だが、3両とも増設側運転台の形態が異なる。
- 40番台:旧モハ30形。クモハ12040・041の2両。040は福塩線単行運転用で増設側運転台が全室式。041は後述。
- 50番台:旧モハ31形。増設側運転台が片隅式。クモハ12050-055の6両。
この内、弁天橋電車区→中原電車区に配置されたクモハ12052、クモハ12053は国鉄分割民営化後もJR東日本に継承され、線形の関係で20m車が入線できなかった鶴見線大川支線用として1996年まで運用された。
鶴見線引退後、2両ともJR東日本大井工場(現・東京総合車両センター)に保存されたが、クモハ12053はのちに解体されてしまい、現存するのはクモハ12052のみである。本線走行は今後不可能に近いながら、車籍が残ったままの保存である。
(2022年現在も書類上は鎌倉車両センター中原支所【旧・中原電車区】所属となっている)
2022年、鉄道150年記念事業としてクモハ12052は修復され、人数限定で東京総合車両センター内で一般公開された。
他にも、鶴見線向け50番台のクモハ12054が佐久間レールパークに保存されていたが、リニア・鉄道館展示車両のモハ63形(種車はクモヤ90形)復元の資材提供のため解体された。
クモハ12041
そのリニア・鉄道館にはクモハ12形を名乗る「クモハ12041」なる車両が保存されているが、この車両は一般的なクモハ12形とは異なる外観になっている。
それもそのはずこの車両はモハ30形の運転台を撤去し中間車としたモハ10形(モハ30131→モハ11047(改番)→モハ10016(改造))に、再び運転台を取り付けた牽引車クモヤ22形(クモヤ22112)をイベント列車用に旅客用として再改造したという特異な経歴を持つ車両である。
外観は牽引車時代から変化なく、内装は吊革を再設置、一部扉の自動化を実施した。
改造落成日は1987年3月31日(国鉄最後の日)。
飯田線でイベント列車「ゲタ電号」や簡易お座敷列車として使用されたが、京福電気鉄道での列車衝突事故の対策指示への対応が困難であることから2002年に廃車となり、リニア・鉄道館の開館まで伊那松島運輸区に保管されていた。