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概要

下吉田駅は、山梨県富士吉田市新町二丁目にある、富士山麓電気鉄道である。

駅番号はFJ14。標高753m。

業務委託駅。

富士急行線の特急富士登山電車を含む全列車が停車する。

1929年6月19日に、富士山麓電気鉄道(現:大月線)の駅として開業。

1978年4月1日に貨物扱いを廃止。

2009年7月18日に、ドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治*氏による駅舎改装を実施。

2020年3月14日のダイヤ改正により、特急停車駅となる。また、副駅名「新倉山浅間公(英語表記:Chureito Pagota)」を導入。

2021年12月22日から列車接近メロディとして地元ゆかりのロックバンド「フジファブリック」の「若者のすべて」「茜色の夕日」を導入。

駅構造

2面1線の島式ホームを持つ地上駅。

駅舎側から1番線、2番線で、基本的に1番線を河口湖駅行き、2番線を大月駅方面行きが使用するが、例外も存在する。

駅舎からホームへは、構内踏切を使う。構内踏切の警報音は、近年では少なくなった電鈴式で、歩行者用信号を流用した独特な警報器が特徴。

側線が2本あり、駅の大月側にあるポイントから分岐している。側線は、工事用車両の留置の他、廃車車両の解体作業、保存車両の展示(後述)に使用されている。

駅舎

2009年にリニューアルされた駅舎はコンクリート平屋建て。水戸岡鋭治氏によるデザイン。

待合所部分の天井は高く、明かり取りの窓がついている。この駅舎は終戦当時の名古屋駅を模したもの。

有人改札の他、自動販売機や、Suicaチャージ機が設置されている。便所は待合室にある。

駅舎には下吉田倶楽部というカフェが併設されている。(メインイラスト)

カフェメニューの他、富士急行グッズも販売。

下吉田ブルートレインテラス

下吉田駅の大月駅側に併設されているスペースで、側線を利用して車両を保存している。

当初は14系寝台客車のみだったが、側線の終端部(駅舎の富士山駅側にも保存・展示車両が増えた。

入場料は100円だが、構内踏切を越えてホームへは立ち入りできない。ホームへ行く場合は、180円の入場券が必要。

ただし、最近の富士急行の方針により、列車到着・通過時はホームから出るように言われる場合があるので注意。

展示車両

  • ブルートレインテラス側

14系(オハネフ14 20)

JR東日本より購入したブルートレイン2010年まで寝台特急北陸に使用されていた。

寝台特急富士と同形車であることから、「富士」にちなみ下吉田駅にやって来た。

169系(クモハ169-27)

かつてのJR東日本からの乗入れて来ていた車両。2000系の部品取り車として、長らく富士山駅の工場に留置されていた。先頭部分のみを残し、客室部を解体したカットボディでの保存で、三鷹色(イラスト一番下)から湘南色(イラスト一番上)に塗り替えられた。

  • 側線末端部側

2000系(クロ2001)

2002年2016年まで活躍した初代フジサン特急の展望車。第1編成の富士山駅側先頭車だった。

165系パノラマエクスプレスアルプスを塗り替えたもの。

引退装飾は剥がされ、通常塗装で展示されているが、すぐ隣に5000系がいるため見にくい。

5000系(クモハ5001)

1975年から2019年まで活躍した、富士急行最後の自社オリジナル(中古ではない)車両。

大月駅側先頭車が保存されている。塗装は、末期のトーマスランド号のままで、車内も改造された引退時の姿そのままである。

貨車(ワフ1・2、ト104)

ト104は、1929年の開業時から、1978年3月の貨物輸送廃止まで使われた無蓋車

ワフ1・2は、1974年南海電鉄から譲渡された有蓋車

駅周辺

駅の南側が戦前から続く古い住宅街になっている。駅前は商店街がだが、ほとんど閉店しシャッター通りとなっている。

新倉山浅間公園に建つ忠霊塔五重塔)と富士山の風景が外国人観光客に人気となり、その最寄り駅として外国人の利用が増えているが、マナー問題も発生している。

隣の駅

葭池温泉前駅 - 下吉田駅 - 月江寺駅

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