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新幹線300系電車

しんかんせんさんびゃっけいでんしゃ

ピクシブ百科事典「300系」からの分割記事。本記事では、かつてJR東海・JR西日本が保有していた新幹線用電車について解説。
目次 [非表示]

東海道・山陽新幹線 300系電車編集

1990年に先行試作車が登場。各種試験が行われた。開発当初は「N100系」「ニューひかり」等と呼ばれていた。

1992年3月14日にデビュー。営業最高速度270km/hで、最速達列車の新種別「のぞみ」に投入された。(※当初は東京~博多間ののぞみ2往復、ひかり1往復。)

外観も0系100系から一新され、今までの新幹線のイメージを大きく変えた。一方で食堂車やビュッフェ車が連結されることはなかった。代わりに売店と車内販売の準備室を兼ねたサービスコーナーを7号車東京寄りと11号車博多寄りに設置。(この配置は8~10号車はグリーン車であるため、グリーン車の出入りを防ぐ目的もある)2003年9月末に廃止された。


1993年鉄道友の会ローレル賞受賞。

1999年まで製造され、JR東海に0番台(J編成)61本、JR西日本に3000番台(F編成)9本が配備された。

【HD新幹線18】元祖のぞみ号【300系】


特徴編集

量産先行車編集

300系9000番台(J1編成)

J0編成と呼ばれ、1990年に登場した。は量産車と屋根高さや各部寸法が違う他、先頭形状も若干異なっている。

登場時は青帯がやや水色っぽいブルーで、パンタグラフもユニットごと設置されていたため、5機もついていた。

各種試験を行い、1993年に量産車と設備や機能を揃える量産化改造が行われ、営業列車に使用された。

2000年12月に運用を離脱し、2001年からは再び営業運転を行わない試験車両として使用されることとなり、N700系開発のために、全周幌や車体傾斜装置などの試験を行った。

2007年3月28日に浜松工場へ廃車回送され、30日に車籍を抹消された。(※各種試験はN700系Z0編成に引き継ぐ。)



量産車編集

雪の関ケ原300系

初期車(J1~J15 F1~F5編成)はプラグドア(内開き:通常想定される外開きでは0.25気圧近くになる新幹線のトンネル気圧差では吸い出されて外に動くことがあり適切でないため)になっているが、騒音低減効果がコストの割に芳しくなかったことから後期車(J16編成~、J6編成~)では引き戸に仕様変更がされた。


登場時は下枠交差パンタグラフを3基搭載し走行時の後ろ2つを使用していたが、のちに2基に減らされた。パンタグラフを覆う大型のカバーが取り付けられていたが、1999年頃から、700系量産車と同じシングルアームパンタと小型のパンタカバーに交換され小型化されている。

また2004年からは、乗り心地改善のため、ダンパーが取り付けられた。(※前期車を除く)


JR東海が設計・開発に関与し東海道新幹線で運用される営業用新幹線車両は、後に登場したものも全て本系列16両編成と同じ編成定員(1,323人)に揃えられている。(現在製造中のN700Sではバリアフリーの観点より見直しが行われ、編成定員が4人ほど微減した。)また、車内設備の配置も基本的に統一されるようになっている。


従来より最高速度を50km/hも引き上げた上、のぞみの性格上高速で長時間の走行を強いられたこと、新技術を多数盛り込んだことが仇となり、デビュー後しばらくは故障が頻発。1ヶ月半で、183件も発生し、線路上で立ち往生してダイヤを乱すことがあり、テレビニュースでも度々報道された。中には、主電動機を固定するボルトが折損するなどの重大事故に繋がる可能性が高いもの、マスコンハンドルが外れるなどの製造メーカーによるミスなどがあった他、海外の要人が乗った列車が車両故障を起こすトラブルもあった。

後に点検と改善が進み、以降は安定した性能を発揮するようになった。また、当時は未知だった速度域故に振動が酷く、乗り心地が悪いと悪評が付いたが、こちらも後にダンパー取り付けが行われ改善されている。

これらの問題点は後継車両の開発時にフィードバックされ、700系以降は徹底的な長距離試運転を行うようになった。


1+3+3+3+3+3という特異なユニットを組んでいたため、700系(4両1ユニット)における山陽新幹線のひかりレールスター用や、同新幹線のこだま用の0系や100系(2両1ユニット)などのように短編成化することが困難であり、東海道・山陽新幹線系統では初めての「16両編成以外で一般営業運転をしなかった形式」となった。そのため、8両編成以下でしか営業運転できない博多南線の運用に就くことはなかった。(なお、博多南線での運用が存在しない東海道・山陽新幹線系統の形式は本系列とN700Sのみ。博多総合車両所との分岐線まで同じ線路を使用している九州新幹線も含めると800系も該当する)

無理やり組む方法もないではないが、10M6TというMT比が崩れ、8両なら6M2T(どれか1両さらに独立T車を作る必要)、4両では2M2Tになるため、いずれも16両のときよりM車の比率が下がり性能が維持できない。



のぞみの運用について編集

  • 1992年3月14日:東京―新大阪間でデビュー。

当初は早朝の下り列車のぞみ301号(東京6:00→新大阪8:30)のみ、新横浜に停車し名古屋と京都を通過する運用だった(名古屋飛ばしも参照)。当時、早朝に通る列車は保線作業の関係で線路のバラストが安定するまでスピードが出せず、所要時間2時間30分を成立させるためこの1本のみ停車駅を削減せざるを得なかった。

  • 1993年3月18日:のぞみを博多に延伸。東京―博多間1時間1本体制で運転。

上記ののぞみ301号の後続列車にのぞみ1号(東京6:07→博多11:11)を運転。名古屋、京都、新大阪、岡山、広島、小倉に停車。

  • 1997年11月28日:のぞみ301号の運転を終了。

これにより、名古屋・京都を通過する列車は廃止となった。

  • 1997年11月29日:500系のぞみ東京乗り入れ開始。

のぞみ301号のぞみ1号(東京6:00→博多10:49)に統合し、500系で運転。途中新横浜、名古屋、京都、新大阪、岡山、広島、小倉に停車。


退役編集

後継車両の500系700系の登場により、のぞみからひかりこだまの運用が中心となり、2001年9月30日にはのぞみ定期運用から外れた。(※臨時のぞみと運用されることはあった。)

2007年7月からN700系投入による置換・廃車が進行し、2012年3月13日に定期運用を終了。3月16日に臨時列車によるラストランを、東海道新幹線、山陽新幹線それぞれで行った。


300系ラストラン

のぞみ329号

(東京10:47→新大阪13:23)

J57編成、さよなら装飾。

“のぞみ”で行きます!のぞみに乗ったよ。


のぞみ609号

(新大阪10:52→博多13:27)

F7編成、通常の姿。岡山駅で100系ラストランと並ぶ。

JR ありがとう300系

※いずれも全車指定席で運転



保存車編集

J1編成(量産先行車)の16号車がリニア・鉄道館に、J46編成の1号車が関西新幹線サービックに(新幹線清掃の訓練用として)保存されている。

300


300系新幹線が登場する作品編集

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pixivにおいて編集

当記事は分離用に制作されたため、pixiv内で当形式を検索したい場合は「300系」、「300系新幹線」の単語で検索されることが望ましい。


関連タグ編集

東海道新幹線 山陽新幹線 JR東海 JR西日本

0系 100系 500系 700系 N700系

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