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概要編集

在日米軍(ざいにちべいぐん、英語:United States Forces Japan、略称:USFJ)は、日本国内に駐留しているアメリカ軍部隊。日米安保条約と日米地位協定によって駐留しており、アメリカ軍の中でも日本国内に所在する基地に駐留している部隊を指す。国外に展開する駐留軍としては世界最大の規模であり、占領軍に由来する事から右派の中にも否定的に見る層もあるが、今も存続している緊密な同盟関係から肯定的な見方が大勢である。宇宙軍を除く陸軍・海軍・空軍・海兵隊・沿岸警備隊が展開しており、指揮系統としてはアメリカインド太平洋軍の傘下にある。


歴史編集

初期編集

1945年8月に日本が第2次世界大戦で降伏すると、その施政権は全面的に連合国の制限下に入った。連合国軍は日本を非軍事化して陸軍と海軍が全て解体され、その軍事基地は全てアメリカ軍に継承された。1950年6月に朝鮮戦争が開戦し、ダグラス・マッカーサーは日本政府に準軍事的な組織として警察予備隊を設立するよう指令した後、1952年10月に警察予備隊は保安隊に改組された。


緊密な同盟関係編集

1951年9月に両国の同盟関係が確立され、アメリカ軍は日本国内に駐留できるようになった。条約では「日本の施政下にある領域に限定する。」・「共通の危険に関してはNATOのように即座に軍事行動に踏み切る義務規定では無く、両国が各自の憲法での規定と議会の承認手続きに従って行動できる。」と決められ、日本政府はその全土にある軍事基地を自由に使用する事を認めた。


現行の日米安保条約編集

1957年6月に岸信介総理はアメリカに対して旧安保条約を改定するよう提起し、1960年1月に日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約が締結された。在日アメリカ軍の地位は日米地位協定で規定され、この条約は両国のどちらかから終了を通告しない限りは有効である。


ベトナム戦争編集

1965年2月にアメリカがベトナム戦争に介入した時、在日アメリカ軍基地の中で特に沖縄の基地が重要な戦略・補給基地として利用され、アメリカ空軍の戦略爆撃機が沖縄の基地に配備・出撃していた。1970年12月にコザ市(現在の沖縄県沖縄市)でアメリカ軍の車両と施設を焼き討ちした暴動が発生し、1972年5月に沖縄が返還されるまでにアメリカ軍は全ての核兵器を基地から撤去した。


主な在日アメリカ軍の施設編集

基地名所在地用途
横田基地東京都福生市など在日アメリカ軍・空軍・沿岸警備隊極東支部司令部
キャンプ座間神奈川県座間市相模原市在日アメリカ陸軍司令部
横須賀海軍施設神奈川県横須賀市在日アメリカ海軍司令部
キャンプ・バトラー沖縄県沖縄市など在日アメリカ海兵隊司令部
厚木海軍飛行場神奈川県厚木市
佐世保基地長崎県佐世保市
嘉手納飛行場沖縄県嘉手納町など
三沢飛行場青森県三沢市
岩国飛行場山口県岩国市

余談編集

鳥居編集

在日アメリカ軍の基地などにあるゲートには何故か鳥居が立っている所が多く、特に有名なのもので言うと沖縄県読谷村にあるトリイ・ステーション(トリイ通信施設)で、ここにある鳥居は基地の象徴となっている。これは色々な説があるらしく、「神社の鳥居を見たアメリカ軍関係者が何か大事な場所を示すと思った事から設置した。」・「日本というものをイメージし、あちこちにある鳥居のその意匠を面白がって日本にある基地のゲートとして採用した。」などの説がある。


関連タグ編集

軍隊 日米防衛協力のための指針 日米同盟


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