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稲川淳二

いながわじゅんじ

『稲川淳二』とは、日本で活動を展開するマルチタレントの名称。
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概要編集

本業は一級建築士資格を有する工業デザイナーであり、車止めの造形で『通商産業省選定グッドデザイン賞』(平成8年度)を受賞した輝かしい経歴を持つ。本名は『稲川良彦』(いながわ よしひこ)。


にまつわる不思議な事象に対して並々ならぬ関心を持っており、大学時代からアルバイト先などで少しずつ聴き溜めてきた怪談ラジオの企画で披露した一件から現在に続く怪談の語り部『怪談師』としての魅力を確立し、以来20年以上に渡って情報収集、実地調査、水先案内に取り組みつつ、怪談の持つ怖ろしさ、優しさ、淋しさ、面白さを広めようとライブツアーによる啓蒙活動を展開し、近年の芸能活動の中心に据えている。


タレント・稲川淳二編集

生来の温厚、素朴、柔和な人柄に反して他人を喜ばせるサービス精神は旺盛であり、大学生の頃には宴会の席で知らない者の無いお座持ちとして名を売っていた。その延長で芸能の世界に足を踏み込んで以降は本業の傍らで舞台俳優、ラジオパーソナリティ、コメディアン歌手、番組司会、突撃レポーター、コメンテーター、文筆家など多方面で精力的に活動する。


芸能とは無縁の確たる本業を持った方面でのマルチタレントの草分け的存在であり、その当時の芸人を定義付ける話芸や技芸ではなく自身の欠点や極端なオーバーアクション、危険を伴う企画に体当たりで挑戦する様子を見せるなどで笑いを誘う、現代で言う所の「リアクション芸人」としてテレビ業界で成功を収めた第一人者でもある。


代表作となる『スーパーJOCKEY』や『オレたちひょうきん族』などのバラエティ番組での活動が落ち着くと、舞台俳優として培った演技力を買われてテレビドラマに出演するようになり、端役から重要人物に至るまで幅広く演じ分けるバイプレイヤーとして活躍し、それと併行して夏になるとワイドショーなどで奇怪な体験談を聴かせる怪談タレントとなる。


2000年以降は、自身の思う所あってテレビやラジオ出演の度合いを制限しており、夏は怪談ライブツアー『怪談ナイト』に、冬はデザイナー業と執筆業に精力を傾けている。


2013年にはFlashアニメ作品『秘密結社鷹の爪』で明るく前向きな幽霊3000年生「霊吉」役を通じて声優業へも本格的に進出し、2014年には『鬼灯の冷徹』のナレーション担当に加えて最終回前半部の「夜店のおじさん」役、後半部の「本人」役としてゲスト出演を果たす。


怪談師・稲川淳二編集

早口ではあるがしっかりとした滑舌を保つ口調で畳み掛けるように語り、その端々に効果的に織り込まれた擬音やキーワードによって緊張の弛みを防ぎつつ次へ次へと耳を惹き付け、ここぞと言う場面であっても調子を上げずに終始一定のトーンを守り続ける従来の怪談には無い話術を用い、語る内容の大半が一人称視点での進行という独特の世界観を持つ。その上で、単に生々しい恐怖や釈然としない気味悪さを伝えるだけのものではなく、怪談の前後にある物語を克明に描き出し、一つの話として完結させるために後味を濁さない一種の清々しさを兼ね備える。


実体験か調査報告か創作かを問わず、形はどうあれ怪談を語り聞かせる者として「霊に対する畏敬の念」を常に抱いており、この時は笑いを提供するタレントの顔を一切封印して真剣に語る。また、怪談を聴く側にもその心構えを説くという姿勢を貫徹しているため、若者が行う浅慮な肝試し無責任な都市伝説について苦言を呈する厳しさを見せる事が多々ある。


これらの点から、怪談にまつわる多数のメディア作品で企画、監修、構成、出演のいずれか1つは担当する絶大な信用を得ており、怪談を得意とする講釈師の一龍斎貞水とは違った意味で「一家言を持つ現代怪談の大家」の立場にある。


怪談も含めて稲川淳二の人間性を愛する者は非常に多く、漫画家の浜岡賢次は自身の作品『浦安鉄筋家族』シリーズに「怪談を語って聞かせた相手の怯える姿を見るのが何よりの楽しみ」とする傍迷惑なキャラクター『稲川ジューン』を登場させている。


稲川の告白編集

しかしながら、稲川淳二は得意とするどんな怪談よりも恐ろしくそして悲しい実生活で起こった出来事を告白した事がある。言ってみれば「誰しもが持ち、何かのきっかけで表に出て支配されてしまうかもしれない心の闇」。霊ではない、生きた人間の心の恐ろしさ。


それは「先天性の障害を抱え誕生した次男を手に掛ける寸前にまで陥った事」である。余りにも障害を抱えた不憫さに思うあまり「死を願う自分」「誰も周りにいない状況に次男の息の根を止めようとしていた」という。障害を抱える子を持つ親となった最初にして最大の試練かつ彼が取り返しのつかない過ちを犯しかねなかった出来事だったのである。→参考リンク(外部)


余談編集

1985年に発生した日本航空123便墜落事故にて搭乗者の一人とされていたが、当時体調が優れず大事をとって翌日新幹線で収録する所に向かっている為難を逃れている。本人はこの事を『運命の分かれ道』と言っている。


格言編集

  • 「怖いなー。嫌だなー、嫌だなー…。」
  • 「よく世間でね、『お葬式から帰ったら清めの』なんて言いますけどね、自分の親しい人が亡くなったのに、それは失礼でしょ?」
  • 「怖い話ってのはね、何かの拍子にポーンと、すっかり忘れちゃうのが一番なんです。ずっと憶えているから良くない。だから、怖いんですね。」
  • 「アタシは幽霊より、カミさんのほうがよっぽど怖いですよ。そりゃそうですよ、昼でも夜でもずーっと家にいるんですもの。」

外部サイト編集

稲川淳二 オフィシャルサイト

公式ブログ

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