概要
日本が核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」の三原則。日本政府が公式な方針として度々表明し、国会決議もされているものの法律化はされておらず、法的な位置付けについては曖昧なところがある。あくまで核兵器のみが対象で、原発などの核技術は対象外である。
1967年12月に佐藤栄作首相(当時)が提唱した。佐藤がこれを提唱したのは、当時アメリカ合衆国(米国)の施政権下にあった小笠原諸島や沖縄に核兵器が配置されたままでの返還に反対意見があったからである。彼はこれにより日本人唯一のノーベル平和賞を受賞したが、佐藤は元々核武装を唱えたことがあり、米国と核に関する密約を結んでいた。また、「非核三原則」表明後も、冷戦終結までの間はアメリカ海軍の核搭載艦船が寄港するなどの形で日本への核持ち込みが行われていた可能性がある。
「非核三原則」以降の日本の国家方針は、事実上米国の核抑止に頼りながら、独自の核武装や核共有(=有事の際の自国領土内での核使用)は認めないというものである。このため、「核廃絶」を求める広島・長崎両市や被爆者団体の要請にもかかわらず、日本政府は核兵器禁止条約の批准や日本の非核地帯化を拒んでいる。