概要
冷戦当時、アメリカがソ連の侵攻に対抗する為に急遽開発した試作型核兵器。
この『デイビー・クロケット』は核兵器の中でも最小サイズであり、米ソの直接戦争から局地戦までを幅広くカバーする事とされた。弾頭は専用の無反動砲から発射する。
名前の由来はアラモ砦の英雄「デイヴィッド・クロケット」……とロケットを掛けている。厳密ではロケット砲ではないのだが。
1950年代当時の考え方
…後述に現在の価値観で解説されているが、一般市民の当時はこんな考え方では無かった。
50年代当時は放射線や放射能に対する考え方は未熟なものであり、核爆発後の残留放射能についても、
『放射能は爆発後のホコリに含まれているので、これを払ってしまえば大丈夫』
とされているだけだった。「核爆発が起きたら机の下に隠れましょう」なんてのんきなマニュアルが大真面目に作られ、小学校に配布されていたような時代だったのである。
デイビー・クロケットの説明書には「発射した後は物陰に隠れること」と記載されていた事からも、爆発後の放射線や「吸い込んだ放射性降下物による内部被ばく」に関してあまり考えられてはいなかったようだ。
開発と配備
デイビー・クロケットは大小2種類が試作品として開発され、急遽、発射実験が実験場で行わた。これについては後述する。それぞれ「兵士が肩に担いで撃てる小型の物」と「車両など発射台に据えて使う大型の物」である。射程は小さいものは2km、大型のものが4km。
超小型とはいえ、 弾頭の重量は50〜55ポンド(22.7kg〜24.97kg)にもなり、この上ロケットブースター部分の重量も加わるのである。総重量は明らかではないが、単体でも恐らく100㎏に近いのではないだろうか。
(少なくともアタマが重いと飛ばない)
実際の製造は核弾頭の開発後にすぐに開始され、1961年から71年にかけて総数2,100発が生産された。これらは、ソビエトの脅威が差し迫る西ドイツ駐留アメリカ軍に向けて配備されている。1991年に地上発射式の戦術核兵器廃棄条約に伴い、廃棄された。
しかし、「W54核弾頭の実戦配備は1971年頃まで」(wikipedia)、英語版wikipediaによれば「1967年より在西ドイツ米軍からの廃止が始まる」となっており、実際にはもっと早く前線から引き上げられたものと考えられる。
(上記の記述を信じるならば、完成直後に「引き上げ」となったものもあるようだが)
卓越した『非』実用性
核戦争が起こらないのでは、さすがにアメリカも使いどころを見いだせなかった。
(むしろ幸運だったが)
製造されたデイビークロケットの総数は2100発と言われているが、搭載するW54型核弾頭の生産数は400発(各型合算)しか生産されていない為、どちらにしても『ダメ兵器』の烙印は免れないだろう。
1962年に行われた2回の実験では、核出力18tと22tが記録されているそうだが、これらの情報は錯綜しているようで、計画値と実際の値が入り乱れているようである。どちらにしてもこの兵器は自殺覚悟の最終兵器であり、使われなかったのは「米ソ共に正気を保っていた」からに他ならない。
ケータイ核弾頭
弾頭の威力は0.02kt。(最小設定)
これは『単純計算で20t(20,000kg)のTNT火薬の爆発に相当する』という意味である。
(「20,000kgの爆弾」ではない。爆弾は外殻の重量も含んでいる為)
太平洋戦争末期に広島に投下された原子爆弾は15kt級なので、この750分の1の破壊力という事になる。
(以下の計算は15ktとして計算)
また、破壊力は3次元空間で解放されるものなので、実際の被害は三乗根となる。
計算すると750の三乗根は9.085603となり、被害半径は広島の約9分の1になると考えられる。
広島でのデータをそのまま当てはめれば、原爆で焼かれた半径2km・破壊された5km(概算)は、単純計算でそれぞれ、半径222m・555mとなり、爆発地点から約130m以内にいた人間の半分が当日中に死亡、という事になる。
wikipediaの記述によると、
『(低出力の設定でも)150メートル以内の目標に対し即座に死亡する強さの放射線を浴びせる。400メートル離れていてもほぼ死亡するレベルに達する』
と記載されており、爆発の威力の中でも、放射線が強化されている事が窺える。
(=人間に放射線障害を与える為の強化改造)
放射線の強化について
広島では原爆(核兵器)のエネルギーは爆風に50%、熱線に35%、放射線に15%使われたという。この兵器では計算上「150mで即死」となっており、上記の広島型よりも放射線が強化されていると言える。
もう一つの無茶兵器
デイビー・クロケットと同じW54弾頭を持つ歩兵用核兵器に、SADMがある。
SADMとは「Special Atomic Demolition Munition(特殊核爆破資材)」の略称。デイビー・クロケットは陸軍配備だが、SADMは海軍、海兵隊用である。
こちらは歩兵が背負って運搬し、敵陣に潜入、機械式タイマーを使って時限式に爆破するという運用法だった。ちょっと考えれば、68kgなんて大の男でも担ぐのは堪えるだろうとか、いくらタイマー使っても、仕掛けたあとで安全圏まで脱出できるのか?とか、敵に奪われたらどうすんだよ?とか、デイビー・クロケット以上にツッコミどころ満載の兵器である。
1989年に退役したとされるが、前述のW54弾頭の配備状況を考えると、もっと早くに見切りをつけられていた可能性が高い。当たり前だ。
ただし、「最小の核兵器」として、デイビー・クロケット共々創作の世界ではしばしばネタにされる兵器でもある。
『メタルギアでの活躍』
『自分に忠を尽くした』
そういえば、MGS3に登場するザ・ボスはこの兵器が収まったケースを両手に持ち、これを手土産にソ連へと亡命している。
個人携帯用とはいえ、弾頭二発と発射機という100㎏以上と推測される重量を、しかも両手に持って。
一体どうやって山の中を超えて来たのだろうか?
ゲーム『メタルギアソリッド3』では、ザ・ボスやヴォルギン大佐が手で抱えて撃っていたが、前述の通り人間が抱えて撃つのは不可能な重さであり、小型のタイプでも『地面に発射台を据えて撃つこと』と決められていた。
もっとも、メタルギアの世界は超能力者や特異な身体機能を持つ人間が普通に存在しており、一度に複数のライフルやロケットランチャー、グレネードとその他装備を大量に抱えて巨大兵器と戦うのが当たり前になっていくのでザ・ボスやボクシング世界チャンピオンのヴォルギンからすればデイビー・クロケットの一本くらい赤子を抱き抱えるような感覚だったのかもしれない。