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林家木久扇

はやしやきくおう

日本の落語家、タレント。「笑点」の出演者のひとり。バカの皮を被った教養のある人。寄席のソクラテス。
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概要

林家木久扇は、日本の落語家であり、画家であり、漫画家 であり、実業家
(斜体は本名名義)
本名は豊田洋(とよた ひろし)。
有限会社トヨタアート代表取締役。
長男は2代目林家木久蔵(旧・林家きくお)。

笑点での主なネタは「自称与太郎」「雨乞い師・カッパ(主に振るのは隣の三遊亭好楽だが回答者時代の春風亭昇太や2代目林家三平からも振られていた。)」等、おふざけやギャグダジャレが多く、司会者時代の桂歌丸や客に先に答えを言われることもしばしば。

ただこの与太郎キャラは三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)の笑点メンバー加入後に作ったものという面があり、元々(特に初代三波伸介司会時代)はインテリ系キレ者キャラだったのを新人の楽太郎に譲った形になっている。
このため笑点以外の場面ではインテリキャラが全面に出てくる。通称、寄席のソクラテス

愛称は「木久ちゃん」(主に歌丸が使っていた。)

反面、回答メンバーでは最後の戦前生まれ(1937生まれ)であることから「終戦の あの日を想う 暑さかな」など戦争や社会に対して鋭い風刺をすることも多い。但し、その直後におちゃらけて座布団獲得を取り消されることも少なくない。

6代目円楽ほどではないが、歌丸罵倒ネタを使うことが多く、「はげちゃびん」と言っては「ばかちゃびん」と返されていた。

漢字の偏の横に別な漢字を書く漢字遊びの問題では字ではなく絵を描くため、叱られることもある。

2010年以降、笑点メンバーは概してAKB48ネタ(特に「会いたかった」)を使うようになり、とりわけ木久扇が頻繁に使っているのだが、毎回ズレている(具体的に言うと、一般には「会いたかったー」と終助詞の「た」を伸ばすところなのだが、木久扇は「会ーいたかった」と「会」の部分を伸ばしている)。
2013年ごろから笑点の大喜利の答えで暁テル子の「ミネソタの卵売り」を歌うことが見られるようになったが、司会の歌丸からは「これが原因で癌になった」と揶揄されてしまった。
2016年には挨拶や解答にピコ太郎の「PPAP」を取り入れるが、挨拶ではなぜか色々とアレンジの末、「どこが面白いんだよ!」と逆切れする。
2018年にはDAPUMPの「USA」を度々やるようになったが、これも字に表すなら「カァモンベイビーアメリカァン」と歌っている部分を「カモンベイビーアメリカァン!」と最初の間を詰めて勢いを増したような感じな上、その部分だけ執拗に連呼した末止めどころに困ったように「いつまでやってんの」と無理矢理締めることもある。(ついでに言えば特徴的な振り付けも、ポーズはしっかり模しているもののギターでも弾いてるかのように激しく上下させている)

ちなみに笑点の楽屋ではぼっちらしい。別にハブられているとかそういう意味ではなく「近寄ると変な商売を持ちかけられるから誰も寄り付かない」だとか。
ただ名前の売れた1990年代から2000年代初頭にかけて事業に失敗したり(木久蔵ラーメンの初動に失敗し大量廃棄を出すなど)、詐欺に逢う(インドをペットとして購入できるという話だったらしい。本人は本気で楽しみにしており詐欺だと知ったときはいたく落胆したとか)などしてかなりの借金を抱え、なおかつそれをまたバクチじみた事業で取り返そうとしていた、というのは事実らしい。笑点で借金ネタと言うと好楽だが、実際のリアル借金王は木久扇であった。

ちなみに笑点では「答えができていないのに手を挙げる(or「誰か他に?」と尋ねられて1人挙手する)」キャラで有名だが、これはボケキャラを作っているだけではなく、「カメラが引きになったときに誰も手を上げていないとみっともないから」というテレビ映りを意識したものでもあるらしい(2018年7月29日放送『嵐にしやがれ』)。つまりお題が一段落してしまったときに木久扇が手を上げるのは偶然ではなく必然だった。
ちなみに同時に、右利きの木久扇が「笑点」に限り左利きを装っているのは「左で挙手することで6代目円楽を(着物の袖で、司会者から)隠せるから」とも白状している。

木久扇は6代目円楽らと共に江戸落語界の衰退を危惧している大物の1人であり、江戸落語界を上方落語式(すべてを落語団体が取り仕切るのではなく、興行はできるだけ興行屋(芸能事務所)に任せ、個々の収入は実働時間によって確保される)に改めようとして考えている。

「芸を生業とするものが芸に溺れてはならぬ」を地で行くほど、常に新しいものを取り入れる姿勢を崩さない木久扇だが、現在では家電として電気が当たり前の製品(こたつ掃除機洗濯機など)を呼ぶ際に“電気”がついてしまうという戦前生まれらしい特徴もある。

経歴

森永乳業サラリーマン勤務を経た後漫画家を目指してアシスタントをする(師事したのは後に河童のイラストで名を馳せた漫画家の清水崑)も、そこでたまたまいろんな役者のモノマネをしていたら清水氏に「君は漫画家より落語家に向いているようだから、落語家になりなさい」と言われて落語家に転身した、と言う経緯がある。この時の経験から絵を描く事が巧みであり、笑点チャリティーカレンダーに自身の作品を提供したり、自著や落語のCDのイラストを全て自前で制作する事もしばしば。また漫画サンデーで連載も持っていたプロであった。

当初は3代目桂三木助の弟子となり、「木久男」という名をもらうが、僅か入門1年で三木助が死去。三木助は当時、年配の弟子たちを全員日本芸術協会(現在の落語芸術協会)に預け、前座の弟子たちのみを引き連れて落語協会に移った経緯があり(なお当時の木久男は移籍後に新たにとった弟子)、兄弟弟子を頼ろうにも前座や二つ目ばかりでどうにもならなかった。
兄弟子二人(9代目入船亭扇橋、2代目柳家小はん)が三木助の親友で義兄弟でもある5代目柳家小さんの元に移籍したのに対し、木久男のみ小さんの兄弟子にあたる8代目林家正蔵(後の林家彦六)の元へ移籍し、「木久蔵」となる。理由は彦六が三木助に対し見舞金を贈ってきたことを三木助夫人が喜んだことから。この木久蔵の名は「三木助の弟子だったから木という字は残そう。そして私の正蔵という名から蔵をあげよう。そして久しくやれるように久という字も入れよう」という弟子想いの彦六ならではのエピソードがある。
ちなみに三遊亭好楽(当時は林家九蔵)は彦六門下時代の元弟弟子である。

2番目の師匠彦六に対しては、その清貧さを評価しつつも、落語の人物さながらの長屋住まいで金に無頓着だった「昔ながらの落語家」というスタイルを保ち続けたことには批判もしている。これは少年時代の自身の苦労から「金はあるに越したことはない」を信条としているためであり、対象的に豪邸を建て高級車に乗り週刊誌記者からは逆に「正蔵を見習え」と批判された3代目古今亭志ん朝を賞賛している。自身も所属事務所を作り、ギャラの管理から木久蔵ラーメンの販売まで行っているのは、自身の高い経済観念故である。

声帯模写を得意とし、時代劇にも造詣が深いことから高座では披露することが多く、これを生かした『彦六伝』や『昭和芸能史』(両者が重なる部分も多い)という新作落語を作っている。
また、前述したとおり、かつては漫画家を目指していたこともあってサブカルチャーに関しては歌丸以上に理解を示しており、劇場版ドラえもんのび太の南海大冒険では声優を務めている。
また歌手としても1978年にいやんばか〜んをリリース、笑点でたまに歌うこともあり、大抵は歌丸の座布団没収宣言でストップをかけられるが、時にスルーされて延々歌い続けた末に「とめてよー!」と自らストップを願い出ることもあった。
(他に1975年に「酔姫エレジー/歌奈里亜」、1979年に「とびだすな!!/村のおまわりさん」も販売された。)
2016年には息子・二代目林家木久蔵、孫の久美子と寿太郎、そして木久扇一家と親交のある元オフコースの鈴木康博によるユニット『木久ちゃんロケッツ』「空とぶプリンプリン」を37年ぶりにリリースした。このほか、2012年にヴィジュアル系など90年代ロックのカバーコンピレーションアルバム(もちろん、V.A.であり、木久扇は参加していない)のジャケットでヴィジュアル系アーティストのようなメイクをしたことがある。

ちなみに歌丸司会就任後はボケ・天然キャラで通しているが、時折与太郎キャラをかなぐり捨てて強烈な罵倒をすることがある。通称ダーク木久扇。例えるなら円楽とその他のメンバーがフライ級のジャブの応酬なら、木久扇のそれはヘビー級の腹部を狙った重いフック。その威力は6代目円楽を一撃で涙目にするほど。

実は生前の横山やすしとも親交があり自身の主催する「日本ラーメン党」の副会長兼大阪支部長にやすしを任命している。

ちなみに木久蔵ラーメンの期限偽装ネタ・食中毒ネタを使いだしたのは2000年の雪印集団食中毒事件と、2001年の雪印食品牛肉偽装事件がきっかけ。しかし、その雪印グループが急成長を遂げるきっかけになった森永ヒ素ミルク事件が発覚した1956年に森永乳業に入社している(森永は自身の起こした事件により「万年大手最下位」とされていたが、皮肉にも雪印の事件で2000年代前半は連日フル操業でも足りないという事態になる。後に雪印グループは解体され明治乳業と大手ツートップとなった)。

2014年7月に初期の喉頭癌と診断され、7月末から笑点を休み治療に専念していたが、10月19日の放送から笑点に復帰することになった。闘病記の執筆や講演の依頼などもあるようで、復帰したときに楽屋では「癌がこんなに儲かるとは思わなかった」と冗談交じりに発言していた。

2021年5月、自宅で転倒し、足を骨折したというニュースが報道された。約1ヶ月の間笑点を休んでいたが、8月に復活をした。

2021年9月、木久扇師匠が所属する事務所が、木久蔵ラーメンの商標の件について裁判沙汰になっているという報道がされた。

2021年10月3日、『仮面ライダーリバイス第5話本田茂夫役でゲスト出演した。

名前の公募から襲名まで

彦六門下に移籍してから長い間「木久蔵」を名乗っていたが、69歳の2006年に息子のきくおが真打昇進するのに伴い、自身の名前を譲ろうとした。その年の10月に笑点で自身の名前を公募することにしたが、この最初の発表では林家たい平に「林家 トヨタアートでいいじゃないですか」と言われている。
2007年2月4日の中間発表においてメンバーが披露した候補名は以下の通り。

  • 歌丸:林家愚真八(グーチョキパー)
  • 小遊三:林家加山雄蔵 
  • 好楽:林家?蔵(おやぞう)
  • 昇太:林家馬鹿面(うまかめん)
  • 楽太郎:(歌丸の本名である)椎名巌
  • たい平:林家木造二階建て築40年2DK風呂無便所共同駅から徒歩10分敷金礼金一か月分ペット不可お天気の日には富士山も見える蔵


その後、2007年5月6日の名前発表でメンバーに相談した時(同年4月21日収録)は、「林家三茶」「林家彦蔵」「林家木久彦」「林家画太郎」「林家木久扇」の5つに絞りこんでいた(他にも、さすがにつける気はなかったらしいが「林家テポドンなどというのも気にかけていた)が、最終的には「木久扇」に決定した。ちなみに「木久扇」という名の案で応募されたのは2通だけである。……が、実はこれも決め手ではなく、本人が最初に考えていたのは「木久」だったのだが、ひねりが欲しいということで「木久扇」に落ち着いた。

笑点出演50周年を迎えて

2019年11月10日放送の出演を以て、自身の番組出演50周年を達成。これは、出演50周年を機に番組を引退した歌丸を上回る記録である(ちなみに、その前年の誕生日によって笑点出演年齢最年長も記録している)。そのお祝いとして、次の企画が行われた。

自身の作画による番組新OP
同年11月17日放送分から、番組のOPがリニューアル。元画家の経験を活かして、自身の作画により「笑点ができるまで」というテーマで制作した(勿論、歌丸入りで)。

YouTuberデビュー
2020年の正月スペシャルの企画の一環として、「木久扇がやりたい3つのこと」の1つとして発表された。しかし木久扇は、スマホこそ持っているものの、「Youtubeを今まで一度も視た事が無い」との事で、超有名Youtuber指導の下、自身の公式チャンネルを開設した(チャンネル開設自体は、年末に既に行われている)。
笑点オンエア終了直後に、新たな動画をupしている。
林家木久扇Youtube公式チャンネル:KIKUKIN TV

関連タグ

桂歌丸 三遊亭好楽 三遊亭小遊三 三遊亭楽太郎(6代目三遊亭円楽林家たい平 春風亭昇太 林家三平 山田隆夫
木久蔵ラーメン

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