プロフィール
概要
「妾の子」という複雑な出自を持っている。そのことから不倫問題のコメンテイターを任されるたびに「父親が愛人を持ったから俺が生まれた」という論調で不倫を擁護する傾向にある。
落語芸術協会所属の落語家。高座名は桂米助だが、上方落語の桂米朝門下と間違えられるのを避けるためにテレビ出演時にはカタカナ表記となる。
アポなしロケの元祖とも言える、名物コーナー『突撃!隣の晩ごはん』のリポーターとして有名であり、放送番組・放送局が変わりながら1985年から2017年まで続いた。
タレントのイメージが強いが、放送作家の小山田満月からの紹介で弟子を1人とっている。
(桂米多朗、旧名「桂でっどぼうる」⇒「桂デッドボール」【外部リンク】。こちらも空き名跡だが上方落語家に同名の「桂米太郎」がある。)
まさかのYouTuberデビュー
新型コロナウイルスが蔓延し、あらゆる活動を自粛する事になった2020年からは、「なんとか隣の晩ごはんを復活させられないか」と言う思いからYouTubeチャンネル『突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】』を開設。
当初はその日の晩ごはんの撮影等が主だったが、徐々に本業である落語に関する内容にシフト。所属する落語芸術協会の若手落語家との対談や亡き親友『五代目柳亭痴楽』の次男であり、もっとも可愛がっている若手である「三代目柳亭小痴楽」をお供にした寄席出演のオススメ芸人紹介、公私で付き合いの深いベテラン落語家(主に三遊亭小遊三や三遊亭好楽)へのインタビュー等、時には本人の自撮りを交えて縦横無尽に演芸界を撮影する突撃YouTuberとして活動中(本人によるとゆくゆくはYouTube版隣の晩ごはんをやってみたいとも)。また、2022年9月からは諸事情により落語芸術協会で二度目の二つ目に昇進した落語家「春風亭かけ橋」によるインタビュー企画『真打への道 師匠の金言を聞く』がスタートしている。
来歴
1967年、4代目桂米丸に入門し、桂米助を名乗る。同年、浅草演芸ホールで初高座。
1970年、日本テレビ『笑点』に座布団運び役として翌年まで出演。
1971年4月、二つ目昇進。
1981年10月、真打昇進。
1989年、古舘プロジェクトに所属。同時期より落語家としての活動以外ではヨネスケと名乗るようになる。
2020年8月、ヨネスケちゃんねる開設。
pixivでは
pixiv下の作品は、主に「隣の晩ごはん」関連のネタである。
関連イラスト
上記のイラストはヨネスケプロデュースの空弁「ヨネスケのこだわり天むす」で羽田空港で売られている。
関連タグ
桂歌丸:同門の兄弟子であり、師匠に代わって落語の稽古をつけていた。