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山田隆夫

やまだたかお

通称「山田くん」。笑点の大喜利のオープニングで一番上手に座っている赤い着物を着た座敷童子の一種。
目次 [非表示]

プロフィール編集

生年月日1956年8月23日
出生地東京都江東区深川
血液型A型

概要編集

日本のタレント。視聴者の主な印象は笑点座布団運び。

ずうとるびのメンバーで笑点の座布団運びになったのは1984年10月頃で前任の松崎真氏が降板した為に座布団運びとしてメンバーに加入。その時はやや濃いめのピンク色で現在の赤色の着物は1985年7月以降から。

座布団運びとしては長期メンバーの一人に入る。

今ではあまり知られていないが、実は彼は笑点からデビューしている。詳細はずうとるびを参照。


メンバー紹介時のみ自分専用の赤い座布団に座る。

歌を歌うのが好きでよく歌っている、うまいかどうかは人による。

歌うだけ歌うと舞台裏に引っ込み、座布団運びに専念する。

仕事は座布団運びで落語家ではないが、就任をきっかけに落語界の礼儀作法を学ぶ為に鈴々舎一門に入門し、現在も在籍している。

5代目円楽からは「江戸川のスター」などと紹介されていたが、桂歌丸が後任になってからは地方巡業時の「東京を石もて追われた皆さん」に続く「呼んでもないのについてきた」をはじめ、「この中で最も下等生物」「昔は歌手、今はカス」などメンバー以上の罵倒を織り交ぜた紹介をされ、春風亭昇太司会就任からは「干からびた赤い海藻」「しなびた紅生姜」など前任の松崎同様役に立たないものに例えられることが多くなった。


2015年5月31日放送分から10月4日放送分までは大喜利の挨拶の簡略(ただし歌丸復帰の9月13日は除く)により「座布団と幸せを運ぶ山田隆夫です」のみしか喋らなかったが、10月11日放送の笑点にて再び挨拶が披露された。また2010年辺りから髪型をメイン画像の様なストレートからパンチパーマに変更した(そのためたい平に「火災現場から救出された人」扱いされたこともあるほか、歌丸からは「カビの生えたような頭を直しなさい」と苦言を呈されている)が、最近は髪のボリュームがだいぶ落ちてきて随分とスカスカになっている。


「山田くん例の物を」というと様々な品物を持ってくる、主なものはカツラ。

タグは「山田くん」の方が多い。また「山田く~ん…」と実際の笑点の台詞に引っ掛けたタグも多い。


ボクシングのライセンスを持っており、今でもジムで鍛えているとのこと。


山田くんネタ編集

昔は回答のネタに「山田くんは子沢山」のイジリがあったが、これは彼がバツイチで前妻との間に一人と現在の妻との間に子供が二人いる事が由来。ちなみに前妻と現在の妻の名前はそれぞれ漢字こそ違うが読みはどちらも「けいこ」であり、そちらもネタにされることも多かった。その他こん平時代には「態度がデカい」と慇懃無礼なキャラ扱いされたこともあった。


現在は上記の様に座布団運びクビネタが多いが、こうした悪口を言われると舞台裏からすぐさま飛び出し、相手を突き飛ばしてガッツリ座布団を持っていってしまう。これは五代目三遊亭圓楽が司会を務めていた頃、座布団運びを目立たせるために提案したネタが採用されて生まれたためである。

(主な相手はいつも悪口を言う林家こん平及びその弟子林家たい平。2022年現在は同年の席替えによりかつてこん平及びたい平が座っていた上手に座っている桂宮治が多い。)

さらにバリエーションとしてメンバーを蹴飛ばしてから座布団を奪っていくものもある。ただしメンバーの高齢化や、突き飛ばされた際のトラブル(たい平がガンマイクにぶつかりかけたり、持っていた小道具の靴が客席に飛んで行ったことがあり、特に後者に関しては「危うくお客さんに当たるところだった」と歌丸が叱責している)もあって、現在は後ろに回って小突く程度に抑えている。

圓楽が司会であった頃はほぼ山田の判断に一任されていて、没収されたままだったが、歌丸は持って行かれた座布団にプラスして返却させる(通称「歌丸キャッシュバック」)のが定番となっている。


このように「いらない子」ネタが板についている山田君だが、実際はメンバーからの信頼は非常に篤い。絶妙なタイミングで出没する座布団運びとしてのセンスは他のアシスタントでは真似できないとされ、一時期代役がうまくこなせなかったので圓楽と歌丸が激怒し、「山田君を戻さないなら、他の局で笑点をやる」とプロデューサーに詰め寄ったことがある。

また、こん平が療養に入り、代役を探すことになった際、圓楽は(こん平の席に)他のわけのわからない奴を入れるなら山田君を入れろ」とまで言ったという(なお実際に代役となったたい平に対しては名前を憶えなかったりと結構杜撰に扱っていたが、これは単純に脳梗塞の後遺症)。

笑点は司会が代わると同時に座布団運びも交代するのが慣例(実際に司会と同時に退いた座布団運びは立川談志の降板と共に降りた毒蝮三太夫のみ)であり、山田自身も先代圓楽(とこん平)と共に退く覚悟でいたが歌丸の一言で続投となり、現在も座布団運びとして出演し続けている。

余談編集

スティーブン・スピルバーグ監督映画『太陽の帝国』(1987年)で、主人公の少年に叩かれながらトラックを運転する日本兵の役を演じ、ハリウッドデビューしている。歌丸が座布団10枚の賞品として「世界の大スターと共演できる権利」を獲得した際に、その大スターの正体として登場(1999年9月5日放送回)。この時に5代目圓楽がこの映画出演の件について触れている(要するに山田=自称『笑点が生んだ世界的スター』というオチ)。また、たい平も「自称・ハリウッドスター」「山田隆夫だって(ハリウッド映画に)出たことがある」と山田に対する罵倒ネタで使うことがあった。


また、ずうとるび脱退後にスーパー戦隊シリーズにも出演しており電子戦隊デンジマンの第30話にてサブ役でゲスト出演、太陽戦隊サンバルカンでは23話以降に登場する矢沢助八役を演じた。


先述の座布団運びクビネタがあるが、座布団運びだけでどうやって食っていけてるんだろうと思う人が多いと思うが、実は彼は複数のマンションを運営している大家である。これは若い頃に不動産運用に手を出して上手く成功した事から来ている。このうちの1件については2006年9月17日の大喜利3問目でたい平にネタにされ、それによれば

  1. 深川にあった実家が区画整理で立ち退きになり、当初の10倍の値段で売れる。
  2. その後江戸川に土地を買い家を建てたが、高圧鉄塔の用地になり、何十億という立ち退き料を貰う。
  3. その後横浜に買った土地にエレベーター2基、4階建ての通称「座布団御殿」を建てた。この時も「近くに地下鉄(=グリーンラインと思われる)ができる」と言っていたという。

…だと言う。

※当動画00:00~01:24を参照



桂歌丸勇退→終身名誉司会後に新司会となった春風亭昇太は山田くんより年下である為、従来通りに「山田くん」と呼ぶか「山田さん」と呼ぶか就任当初は決めあぐねていた。山田くんとしては従来通りで良かったらしいが「山田先生」の案を出すも結局は「山田くん」の呼称で収まったが、今は「山田さん」でほぼ定着している。また昇太が後輩であることから、メンバーと一緒に滑舌が悪いことに文句をつけたり、邪魔者扱いされると突っ込む場面も見られる。


関連タグ編集

春風亭昇太 三遊亭好楽 三遊亭小遊三 林家たい平 桂宮治 春風亭一之輔 立川晴の輔

桂歌丸 5代目三遊亭圓楽 林家木久扇 林家こん平 三遊亭楽太郎(6代目三遊亭円楽桂才賀 林家三平

不動産王

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