概要
警察庁広域重要指定114号事件。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、「かい人21面相事件」などとも呼ばれる。
2000年までに全ての事件の公訴時効が成立したため、この事件は完全犯罪となり、警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件となった。
犯人グループからマスメディア各社に声明が送られ、警察の捜査が攪乱された。犯人グループは確実に警察をからかっており、犯行の経過が国民の多大な注目を集め「劇場型犯罪」と呼ばれた。
「どくいり きけん たべたらしぬで」の犯行声明文はこの事件を象徴するもので有名。
事件
1984年3月、兵庫県西宮市に住む江崎グリコ社長が犯人グループに誘拐され、犯人グループは身代金10億円・金塊100kgを要求したが、誘拐から3日後に、社長は監禁場所から自力で脱出。4月になると犯人グループはマスメディアに犯行声明を送ったほか、江崎グリコ本社などへの連続放火事件が発生した。5月、犯人グループは江崎グリコ製品への青酸混入を示唆する。その影響で、店頭から江崎グリコ製の商品は撤去され製造工場も停止となり、同社は数十億円にも及ぶ大きな損害を被った。6月、犯人グループは大阪府寝屋川市で男女2人を襲撃、女性を人質に、男性を江崎グリコが用意した3億円の受け渡し場所に差し向けた。その後、グリコのみならず丸大食品や森永製菓、ハウス食品や不二家などといった、その他の食品会社も脅迫の対象となった。翌年の1985年1月になると、警察が犯人の1人とされる「キツネ目の男」の似顔絵を公開。2月には東京・名古屋の店頭で青酸入りの菓子が発見された。しかし8月になると、犯人グループは食品メーカーへの脅迫の終息宣言を出す。この宣言以降、犯人グループは新たな動きを一切見せなかった。その後も犯人が特定できないまま時間だけが過ぎ、2000年2月になって、一連の全事件についての公訴時効が成立し、未解決事件となった。
余談
この事件および、少し前に起きた青酸コーラ無差別殺人事件、また本事件の直後に起きたパラコート無差別殺人事件によって、自動販売機商品および店舗販売商品に対する安全性への信頼(同時にメーカーや小売店舗の来店客・消費者に対する信頼)が大きく揺らぐ事態となった。
「かい人21面相」の活動によりターゲットにされた企業の製品の売上が落ちた事ももちろんだが、一部の店ではターゲット企業のみならず全ての菓子類の取扱そのものを停止する例も存在した。オーバーでなく食卓から菓子が消えた家もあったわけで、この事件の影響によって最も泣いた(被害を受けた)のは誰でもなく当時の子どもたちに他ならない。
結果、今後、類似の事件が起こされた時の対策、食の安全の保持策として「簡単には異物を混入できない頑丈な包装」と「開封された品であること、あるいは何らかの細工をされた品であること、それらが一目で解る外装」の導入が求められた。
現在の食品類の(過剰包装にも思える)個包装化やビニール包装などによる多重包装、飲み物(ペットボトル)キャップのリング分割は、このために導入されたものである。
関連タグ
罪の声:この事件を元にした小説。
黒子のバスケ脅迫事件:本事件から10年以上後に起きた事件であり、無関係ながら判決にてこの事件との類似性が指摘された。因みにこちらは犯人が逮捕されている。