長州小力
ちょうしゅうこりき
1972年2月5日生まれ。本名は久保田 和輝(くぼた かずてる)。東京都杉並区出身。西口エンタテインメント所属。
実家はもともと学校給食用の野菜を卸していた八百屋である。しかし父の死後、多額の借金が発覚し、なんとか母と2人で八百屋を切り盛りしようとするが、当時騒がれていたO-157の影響もあり、あえなく倒産する。その上勉強も全く出来ず、商売も上手くいかなかった彼はこの状況の一発逆転を夢見て、中学卒業後に芸能界入りした。当初は浅井企画に所属し漫談を行うピン芸人として活動を始めるが、全く売れなかった。因みに当時は本名で活動していた。
その後も売れないまま芸人として活動を続け、1995年にアントニオ小猪木、佐々木孫悟空、ジャイアント小馬場(現・スギタヒロシ)、ウクレレえいじ、栗林寿行(途中で脱退)とコントユニット「ラブ兄弟」を結成し、「ラブホタル」の芸名で活動するも全く売れないまま2000年に解散。
その後、2001年にお笑いプロレス団体の「西口プロレス」の旗上げメンバーとなり、現在の芸名である「長州小力」を名乗るようになる。このころから長州力のものまねを行うようになる。
2005年ごろからR-1ぐらんぷり2005で決勝進出を果たすなど、注目されるようになる。また、アイドルグループ「HINOIチーム」とパラパラ(『NIGHT OF FIRE』)を踊る映像が発表されると、「キモかわいい」と若年層を中心に大ブレイクした。
現在はテレビ・劇場などでの活動に加え、キャッチーな芸風や「キレてないッスよ」の縁起の良さから結婚式の余興に呼ばれる機会が多いという。また、プロレス関連のイベントに出演することも多い。
「元ネタ」である長州力との関係は良好である。番組やイベントで度々共演しているほか、プライベートでも親交が深く、ネタにアドバイスをもらうこともあるという。
なお、2005年に急逝した橋本真也の、非公式ではあるが最後の対戦相手でもある。『ロンドンハーツ』の企画で実現した特別試合で(一撃で倒されたが)彼の前で「橋本を探す長州力」の芸などを披露した。
その際に「俺のものまねもやってくれないか?」と頼まれ、本人も披露することを約束したが、放送の直前に橋本が亡くなってしまい、以降はものまねや橋本に関するネタは封印している。
長州力に扮し、「キレてないッスよ※」「オレキレさしたら大したもんだよ」などの台詞とともにものまねを披露する。また、彼を模した動きや台詞を発しながらパラパラを踊るネタで知られる。
ものまねは「これしかできない」ということで長州力以外を披露する機会はあまりないが、玉置浩二や浅田真央のものまねをすることもある。(ただし、浅田真央については本人が「色んなところから怒られる」としてほとんど披露することはない)
※元ネタは10.9の対安生洋二戦後のインタビューで発したものだが、実際には「キレちゃいないよ」である。
4人姉弟であり、姉、兄、弟がいる。
中学時代は美少年で、モテていたという。また、ジャニーズ事務所に履歴書を送ったことがある。
腹が大きく出た肥満体が特徴。本人は「背中の筋肉が鍛えすぎて突き出ている」とネタにしている。
2013年9月29日放映のTBS系・『駆け込みドクター!運命を変える健康診断』にて、脂肪肝や高脂血症、糖尿病などであることが宣告された。更に2014年6月29日放映の同番組にて糖尿病の合併症である糖尿病性腎症にも発症していることが宣告された。
そのため、番組終了後は食事制限や運動に取り組んでいるという。
ビリヤードが得意で、数々の番組で披露している。本人も「プロになろうと思ってました」と発言したことがある。
2006年1月1日の笑点の大型新春特番「大笑点」では、予選の「サバイバル大喜利」、決勝の「笑点歴史早押しクイズ」を次々と勝ち抜き、「夢の大喜利」で、1日限りの大喜利メンバーとして選ばれた。林家木久扇(当時の高座名は林家木久蔵)と6代目三遊亭円楽(当時の高座名は三遊亭楽太郎)の間に座り、1問だけ参加し、名回答を残した。
小力「めでたいな 木久ちゃんの横 めでたいな」
歌唱力に定評がある。『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル(第4回)』では優勝を果たしたが、この時「マジ歌を披露する姿が面白いから」という理由で呼ばれたことが明かされた。
心霊やオカルト、都市伝説などに詳しい。