概要
古典落語や講談、浪曲の演目の一つ。吉原を舞台とする江戸落語の郭噺で、花魁の最高位「太夫」に恋をした一介の職人の、身分違いの恋を描く人情噺。
同様の筋立ての話に「幾代餅」がある(下記参照)。
逸話など
- 高尾太夫に一目惚れした染物職人・久蔵(きゅうぞう)。その一途な想いを描くラブストーリー。五代目高尾太夫(紺屋高尾、駄染高尾)と紺屋九郎兵衛の夫婦がモデルであり、彼らの記録から宝永~正徳(1704~1716)年代の話と思われる。
- 浪曲師・初代篠田実の浪曲レコードが大ヒットしたことで世に知られるようになった話で、映画にもなっている。
- この紺屋高尾の逸話が、瓶覗(甕覗。“かめのぞき”と読む)という色名の由来の一つ。藍染の中でも一番の早染めで、淡い水色。RGB「R197 G228 B237」、WEB用カラーコード「#C5E4Ed」。
- 昔は三遊派だけの演目で、六代目三遊亭圓生やその弟子・五代目三遊亭圓楽の得意噺の一つ。七代目立川談志は三遊派ではなく講談師・一龍斎貞丈に教えを乞い、浪曲の要素も取り入れ、立川流独自の「紺屋高尾」を作り上げた。
- 柳派(柳亭、古今亭など)は「紺屋高尾」ではなく、ほぼ同じ筋立てで登場人物が違う「幾代餅」という演目を伝える。この「幾代餅」は、搗き立ての餅に餡を絡めたものだったとか。
- 現代では流派の垣根を超え、「紺屋高尾」も「幾代餅」も分け隔てなく演じられる。
- 六代目三遊亭円楽は「代々の高尾はみな悲惨な末路を辿った。中でも一番悲惨だったのが山田高尾」というくすぐりを考案。それを聞いた桂歌丸は笑い転げ、自身もこのくすぐりを使わせて貰っていた。
- 「傾城(けいせい)に誠なし」と言う言葉が出てくるが、これは「男を惑わし城を傾けるようなお高い遊女には、誠意などというものがあろうはずもない」と言う意味。
あらすじ
神田紺屋町の染物屋で働く生真面目な職人・久蔵が寝込んでしまった。心配した親方の吉兵衛は武内蘭石という医者に久蔵を診てもらう。蘭石は久蔵を見るなり「さてはお前さん、三浦屋の高尾太夫に恋をしたね?」と、病の原因をズバリ言い当てた。実は部屋に入ったその時、久蔵は高尾太夫が描かれた絵草紙を枕の下に慌てて隠していたのだ。
聞けば、三日前に友人に「話の種に」と吉原の花魁道中を見物に言った折、高尾太夫の美しさにひと目で参ってしまったのだという。以来、何を見ても、何をしていても高尾の姿がちらついて離れず、飯も喉を通らない有様。そこで蘭石は「大名道具(高級遊女)とて所詮は売り物買い物。三年辛抱して金を九両貯めな、そうしたら私が一両足して十両。それで高尾太夫に会わせてやろうじゃないか」と提案。それを聞いた久蔵、布団から跳ね起きて大喜び。その日から、高尾に逢える日を夢見てこれまで以上に真面目に働き続け、一切の無駄遣いをせず、3年の月日が流れた。
3年後の2月。吉兵衛は久蔵を呼びつけると「預かっていた給金が九両まで貯まった。後三年辛抱すれば、その金で店をもたせてやる」と提案するが、久蔵は頑として拒否。久蔵から訳を聞いた吉兵衛は「三年貯めた給金を一夜に、それも吉原の遊女を買う為に遣うだと…俺はそういう話は大好きだ!」と言って自分の着物一式を引っ張り出し、吉原に行っても恥ずかしくない身なりを整えさせると、「あの人は腕はヤブだが女郎買いは名人だ」と言って蘭石の所に行くよう言う。
蘭石は「約束だから連れて行くが、紺屋の職人では逢ってはくれない」と言って、久蔵に“京橋(現在の銀座線京橋駅付近)あたりのお大尽”のフリをしろといい、「私を“武内”と呼びつけにして、口をきくとボロが出るから何を聞かれても鷹揚に“あいよ”と頷いていればいい」と言い含める。
さて吉原の三浦屋。幸運にも、高尾はちょうど客がキャンセルをして体が空いていた。にわか大尽の久蔵は店とのやり取りを全て蘭石にまかせ、云われたとおり「あいよ、あいよ」と相槌をうつ。やがて花魁の部屋へ通され、蘭石は馴染みの茶屋へと引き揚げた。上座の立派な座布団に座ってソワソワしていると、この三年間恋いに焦がれ続けた高尾太夫が、禿に手を引かれてしずしずと現れる。
高尾は煙管を咥えて煙草に火をつけると「一服、吸いなんし」と久蔵に勧め、久蔵は“高尾が手ずから煙草を…”とドギマギしながら火玉が踊るほどに力一杯吸い付けた。やがて、高尾が「うらはいつでありんす?(次はいつ、来てくれるのですか?)」と型通りに聞くと、生真面目な久蔵は「三年後」と正直に答える。随分気の長い話ではないかと首を傾げる高尾に、感極まった久蔵は藍に染まった自らの爪の先を見せて、自分が染物職人だと明かす。
「三年前に道中姿を見てあんたに惚れた。ここに来るための金を稼ぐのに三年。だから、今度はまた三年先。三年の間に高尾が身請けされれば、これが今生の別れ。逢ってくれてありがとうございます、一生の思い出に致します」
頭を下げる久蔵。その時、高尾の頬に雫が伝う。「源平藤橘、四姓の人に枕を交わす卑しき身を、よくも三年も想って下さった…」高尾はやおら久蔵の手を取り、「来年二月十五日に年季(ねん)が明けた暁には、ヌシの側に行きんすゆえ、どうぞ女房にしてくんなまし」と伝え、起請代わりにと香箱(お香を入れる箱)の蓋を久蔵に手渡し、その夜は久蔵を亭主の待遇でもてなした。
一夜明け、天にも昇る心地で店に戻った久蔵は、それからというものは何をしても「来年の二月十五日」と口走るようになり、周りからは「おい二月十五日」などとからかわれる始末。そして待ちに待った翌年の二月十五日、久蔵のもとに高尾がやってきて、周りの人間はびっくり仰天。二人は親方に仲人を頼み、めでたく夫婦となる。そして高尾の持参金を元手に紺屋(染物屋)の店を持ち、睦まじく暮らした。代々の高尾太夫の末路は悲惨なものばかりだが、この紺屋高尾だけは80余歳の天寿を全うしたそうな。
「傾城に誠無し」とは誰(た)が言うた。紺屋高尾、その名の由来の一席。
後日談
上記のように夫婦となった所で綺麗にサゲる形の他に、後日談までキッチリと演る形もある。
二人は店を繁盛させようと「駄染め」と呼ばれる手拭いなどの早染めを考案。客が持ってきたものを、高尾手ずからサッと染めてくれるので、これが吉原通いの男どもに大ウケした。その際に高尾が藍の入った甕に跨って作業をするものだから、藍の水面になにがしか映り込みはしないかと、男共が甕の中を覗き込む。そこから、駄染めの色を「甕覗(かめのぞき)」と呼ぶ様になったとさ。
別パターンのサゲ
ある若い男が高尾見たさに久蔵の店へ出かけるが、家にあるものは全部「甕覗」に染めてしまった。困った男は近くにいた黒猫を捕まえた。それを見ていた男が「おい、黒猫をどうする気だ」と聞くと
「こいつを色揚げしてもらうのさ」
(色揚げ=色褪せた布を染め直すこと)
幾代餅
「幾代餅」は「紺屋高尾」とほぼ同じ筋立ての話。主人公は搗き米屋(精米屋)で働く清蔵、太夫は「幾代太夫」に変わる。紺屋高尾と同様に綺麗に終えるサゲの他、後日談を語るサゲもある。
夫婦となった二人は両国広小路に店を出し、そこで太夫の源氏名をとって「幾代餅」という菓子を売り出した所、これが大評判。仲良く並んで幾代餅を売る清蔵夫婦に、行列に並ぶ男が「そんなに見せつけちゃ、みんなヤキモチ妬いちまうよ」と冷やかす。すると幾代が一言、
「いえいえ、ウチの餅は焼きません」
関連項目
善光寺(紺屋高尾を供養するための「高尾燈籠」がある)