上方の古典落語の一つで、後に東京に輸入された。作は初代桂文治で1800年ごろのことと推測されており、今からだいたい222年くらい前。
多くの噺家に演じられる有名な演目であり、バリエーションも多い。
崇徳院とは崇徳天皇のこと。現代では怨霊のイメージが強いがここでは小倉百人一首の入選歌のひとつを指す。むすめほふさせの「せ」に該当する歌で、怨霊になる前(鳥羽上皇への遺恨を抱く前)に詠まれたもの。
作品のモチーフとして使われているものの、百人一首の素養がないとタイトルが通じにくいため「皿屋」などの別題が使われることも多い。
あらすじ
とある商家の若旦那が恋煩いで寝込んでしまい、残り数日の命と宣告される。幼馴染の熊五郎が主の頼みで、恋の原因を聞き出すことになった。
若旦那によると、先日高津神社で美しい娘と出会い一目惚れ。茶屋で忘れた娘の羽二重を届けると娘は崇徳院の詩の上句「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」と書かれた紙を渡し去って行った。若旦那は下句「われても末に 逢わんとぞ思う」を思い出して、「いつかまたあなたと出会いたい」という意味が篭っていると理解し彼女を思い詰めていた。しかし、彼女がどこの誰かわからず困り、ついに寝込んでしまったということ。
聞き出した熊五郎が主に報告すると、礼をたんまり出すのでその娘を探して来てくれと頼まれる。
人捜しなんてしたことのない上に手がかりが「瀬をはやみ」のみ。熊五郎は様々な店に聞きまわるがまったく手掛かりがなかった。
すっかり参ってしまった熊五郎が女房(友人や隠居の場合もある)に相談すると、風呂屋や床屋のように人が集まる場所で「瀬をはやみ」と叫べば手がかりも得られるだろうと助言される。
しかし単なる変人扱いされるばかりであり、床屋に入った手前何もせずに帰るわけにもいかないため剃りたくもないひげや髪を何度も何度も剃られてすっかり肌が剃刀負けしてしまう。途中で「自分の娘もその歌が好きだ」という男が出てきて大喜びするが、話を聞くと幼子なので間違いなく人違い。
もう時間がない。最後に入った店でへとへとになって「せをはやみー」と叫ぶが、そこに飛び入りの客が入ってくる。
客が言うには、ある商家の娘が恋煩いにかかって明日とも知れない命。しかし手がかりは『神社の茶店へ立ち寄った際に出会った若旦那』しかなく、崇徳院の歌を落とし文にしたくらいしかなくて困り果てた。その商家の大旦那が「相手の男を見つけ出した者に大金を与える」と大々的なお触れを出したが今なお見つからず、これから遠方へ旅に出るつもりだという。
これを聞いた熊五郎は「それは俺が探している娘だ、その娘の恋煩いの相手は俺の知人だ」と説明するが、どちらも褒美がもらいたいために「お前が先にうちに来い」と喧嘩になり、店の品物を割ってしまう。
「お前たち、どうしてくれるんだ!」
「割れても末に 買わんぞと思う」
解説
古典落語の代表的なものであり、話の筋が非常に分かりやすい上にオチが実にくだらないこと、うまく端折ると短く済むがしっかりやると30分以上の長話になることからネタとして便利で演者も多い。
「三年目」という滑稽噺の前半部として演じられていた記録も残っており、ここから独立したのではないかという説もあるのだが、この2つは現代では別の話として演じられることの方が圧倒的に多い。古典に拘った桂歌丸でさえ、この2つは分けて演じている。
発端が一目ぼれし合った両想いの男女というロマンティックな筋なので、百人一首をモチーフにした作品ではだいたいこの落語にちなんだ話が始まる。
最後の商店は原話だと床屋。オチは現代の感性だと「割れちゃったから買って弁償します」だが、江戸時代はこういうお金は月末にいっぺんに請求すること(みそか払い)が一般的だった。
つまり「割れちゃったから月末に買って弁償します」という意味なのだが、現代では弁償は即座に行うため通じにくい。
そのため喧嘩する場所を皿屋や瀬戸物屋に変えて、喧嘩の最中に品物が次から次へと割れてしまい「いい加減離してくれ!皿がこんなに割れている!」「いいや、割れても末に離さんぞと思う」というように下げる場合もある。
オチのつけ方以外にも、商家の主の性格付け(熊五郎を借金のかたに脅すパターンなど)や、床屋や風呂屋で散々な目に遭わされたりという描写(床屋に何軒も行ったので丸刈りになった、剃る髭がもうないので植えてほしいなど)などで様々なバリエーションをつけることができるのだが、演者が多いということはそれだけ比較されやすいということでもある。
ちなみに、地口の下げ自体が蛇足だと感じ、こうして二人は結ばれました、めでたしめでたしで〆る演者も多い。