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野沢秀行

けがに

サザンオールスターズの最年長メンバー(他のメンバーより1~2学年上となる)である。 あだ名は毛ガニ(メイン画像右下の人物)。ホラ吹きでも有名。
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概要

サザンオールスターズのメンバー。ニックネームは毛ガニ(毛深いこと、及び、プロになる前は怒ったり酒を飲んだりするとすぐ赤くなっていたことによるらしい)。


サザンオールスターズの中ではメンバーの「潤滑油」のような役割も果たしており、桑田佳祐は「毛ガニがいなかったらサザンはとっくに解散している」と語っている。そういう点でもサザンオールスターズの長いキャリアを支える重要な人物である。

パーカッショニストとしても、桑田からは『キラーストリート』の際に「毛ガニとのセッションが一番楽しかった」『葡萄』では「野沢の叩くボンゴは世界で誰も真似ができない」とされ、関口和之からは「毛ガニがいなければ勝手にシンドバッドはなかった」と評価されている。


2008年サザンオールスターズデビュー30周年記念ライブ『真夏の大感謝祭』。

桑田はメンバー紹介で、「野沢毛ガニさんがお亡くなりになったので、今日は三沢またろうくんに……。」とジョークを言い、さらに途中で「また雨が降ってきたな。毛ガニが近くにいるんじゃないか!?」(サザンでは、彼が「雨男」とされている)と叫び、ファンを大喜びさせた。

そして、客席が一番盛り上がったのは、腰に抱えている持病により出られないとされていた、野沢毛ガニが「I AM YOUR SINGER」で登場、5人揃った瞬間だった。そして、アンコールの「勝手にシンドバッド」からパーカッションを三沢と担当。7万5千人(1度に入れる人数)のファンは狂喜した。


2013年の『灼熱のマンピー!!Gスポット解禁』以降はライブツアーにフル参戦、ファンを安心させてくれた(著書『毛ガニの腰伝説』によると、持病である「腰のヘルニアくん」とうまく付き合っていくための日常生活における努力は怠っていないとのこと)。



加入への経緯

1975年から1977年、南佳孝のバックバンド・「マーブルヘッド・メッセンジャー」に在籍。1977年に、大森隆志がアルバイトをしていたライブハウスに出入りする内に大森と面識ができる。同年、ヤマハ主催のバンドコンテスト『EastWest '77』にサザンの出場が決まった際、大森からの熱烈な勧誘があったが、野沢はセミプロであることを理由にあまり良い返事をしなかったという。

野沢が参加しないままサザンはコンテストに出場しベストボーカリスト賞を受賞。デビューが決まる頃、急にサザンのレコーディングスタジオにも顔を出すようになり、その急激な態度の変化に当初メンバーは難色を示したが、最終的には『パーカッションが入れば、リトル・フィートと同じ人数・バンド編成になる』という理由で容認し、デビュー直前のサザンに加入(実際は、原由子によると、自分が一番年上なので厳しくしないといけないと思っていただけらしい。『娘心にブルースを』より)。

これらの経緯があり、1978年のデビューから30年経った現在でも「正規メンバーとしては認めていない準メンバー」、「デビュー直前にいつの間にかメンバーに入っていた」と度々ネタにされるなど、他の場面でも弄られる事が多い。

また、一説によると野沢をメンバーにするか否かの『毛ガニ欠席裁判』が他のメンバー5人で行われたが、結論は出なかったという。

そして原由子いわく、「毛ガニさんと敬称をつけていたのが、いつの間にか毛ガニやケガちゃんになっていた」と、天性のムードメーカーとホラ吹きぶりから急激になじんでいった。

サザンのメンバーからも、ファンからも、そして本人にとっても、「毛ガニはサザンのお笑い担当」との認識が浸透している。


主な役割など

サザンオールスターズ名義の楽曲で唯一「FIVE ROCK SHOW」中にメインボーカルパートが存在する(ジャケットにそう記載されている)が、他にボーカル曲が存在せず(ライブではコーラスも担当している)、どれが野沢の声か特定はできない。

なお、桑田がライフワークとしていたAct Against Aids の企画『ひとり紅白歌合戦』については、サザン勢揃いで披露されたザ・ドリフターズの「ドリフのズンドコ節」(2013年の第二回)及びSMAPの「世界に一つだけの花」(2018年の第三回)では、野沢がソロで歌うパートがある。


また、サザンの中ではそのキャラクターを活かしてお笑い担当のような役割を果たしている。1982年の第33回NHK紅白歌合戦に出演した際は、後半楽器の伴奏をせず扇子を持って桑田とひしめき合うパフォーマンスを行った。同年のライブツアー『愛で金魚が救えるか!』では女装をしていた。


サザンのライブではギャグを担当するほか、重要なムードメーカーであり、「みんなのうた」「匂艶 THE NIGHT CLUB」ではデカい手の作りものを振り回し、「夕方 Hold On Me」ではタンバリンを投げ上げて見事にキャッチする。

また、野沢が女装したり(82年「愛で金魚が救えるか!」)、他のメンバーと分かれての格好をしていたり(96年「牛」)、「毛ガニは準メンバーだって悪い噂がある!」と自分から言ったり(99年「THE歌舞伎町LIVE」)、出られないから天使の格好でモニターに出たり(2005年「みんなが好きです!!」)、サポートメンバーを含めたメンバー紹介でシカトされたり(2019年「”キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!?ふざけるな!!」)など、とにかくそんなポジション。


サザン名義の一部作品でも“野沢毛ガニ秀行”とクレジットされるほか、桑田のソロ作品に参加する際にはこの名義でクレジットされる。現在サザン名義の作品や公式サイトでは野沢秀行の名を用いる。


俳優としてドラマや映画に出演した経緯もある(『アトランタ・ブギ』他)。

1986年、原が産休のためサザンとしての活動を休止し、桑田佳祐松田弘が「KUWATA BAND」を結成した際は、「J・E・F」というバンドを率いた。


毛ガニのホラ吹き

相当なホラ吹きで、桑田が1999年のカウントダウンライブ『晴れ着 DE ポン』での『死体置場でロマンスを』の中で「野沢毛ガニ、ホラを吹くな。嘘つきは大嫌いだ」と歌ったこともある。同じようなネタは2015年「おいしい葡萄の旅」でも「還暦になっちまった!だけど嘘を吐く処はこれまでと変わらねぇ」と同曲で披露された。


代表的なものとして、「ディープパープル日本公演のときあまりの音圧で蚊が潰されて、そのレリーフが日本武道館にある」「アマゾン川には体長1メートルにもなる巨大なセミがいる」(これはライブビデオ「ホタル・カリフォルニア」収録の「赤鼻のトナカイ」の歌詞にもされている)などがある。


その他のエピソード

その他、サザンオールスターズや桑田佳祐のPVでは何かしら脇役として出演している。桑田のソロシングル「波乗りジョニー」のPVにも出演し、CGで合成されたまさしく『毛ガニ』として出演した。桑田が監督をつとめた映画『稲村ジェーン』のエンディングにも、ほんの一瞬ではあるが野沢の姿を確認することができる。

花火好きであり、「BOHBO No.5」では、演奏者ではなく冒頭から主役の如く出演しており(最も曲中はほとんどこの曲のイメージキャラクター「BOHBOくん」としてだが)、最終的には花火となって空に打ち上げられている。


このような出演に至った理由として、この作品が発売、レコーディングされた2005年は悪化した腰痛のリハビリのため音楽活動を休養しており、作品のレコーディングに満足に参加できていないためである。

35周年を迎えた2013年のライブツアーではそんな素振りは見せず(本人は相当のリハビリをしてきたらしい)、ファンを安心させてくれた。


持病の腰痛に関して『毛ガニの腰伝説』という著書も出版している(桑田からは「本が売れなくて負債を抱えた」と、やはりネタにされている)。

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