人力車
じんりきしゃ
人力車とは、人力を動力とする乗り物の一種である。
椅子に大きな車輪を付けたような車両に、車両を引っ張るための梶棒( かじぼう )という持ち手が付いた乗り物。人力車を牽く職業を「車夫」と呼ぶ。
車両には乗客用の座席と、雨よけの幌( ホロ )がついており、天候を選ばず運行することが可能となっている。人間が引っ張ることで動く。
乗客は1名および2名、日本で実用としての利用はの1人用が多かったとされ、現在観光用途で用いられるものは2名のものが多いとされる。
類似した乗り物としては、中国では手押し車として、ヨーロッパでは人が引く小型の馬車( ちゃんとした客室付き )のような乗り物として存在したものの、中国では人間用にはあまり普及せず、ヨーロッパでも市街地の道路整備に伴い「椅子駕籠」( やはり客室付き )と共に廃れて、どちらの地域でも道路交通には馬車が使用されたため、これらは日本における人力車とは系譜的つながりはあまりない。
また、自転車がこの車両を引く、あるいは三輪車に改造された輪タクやオートバイを同様に改造したオートリクシャーが使用されるようになり、この乗り物が廃れた地域においては「リクシャ」という名称はもっぱらそちらにとってかわられている。
さらに、線路を引き、人の手で押す形式の乗り物も存在し、それは鉄道の一種、人車鉄道( 鉄道 )あるいは人車軌道( 軌道、路面電車 )と呼ばれ、日本および台湾で存在したが、のちに鉄道路線や道路になったりしたものを除き当時の形で現存する路線はない。
この種の乗り物はアメリカで、あるいはアメリカ人により作られた可能性が存在する。
アジアにおいてはこの形式の車両が日本から輸出あるいは自国で製造され使用された地域も存在する。中国では中国共産党により禁止するまで使用され、インドでは政府が許可を出さないもののコルカタで営業されている。また、東南アジアでは輪タクやオートリクシャーにとってかわられた。
日本では江戸後期または明治初期に登場したと思われ、その後ほろなども取り付けられる改良などが行われ、現代知られる形となった。
この乗り物を誰が発明したかは漠然としており、特許を取った人物3名のほかに「自称発明者」も多数存在していた。幕末にようやく江戸幕府に使用が許可された馬車が前時代の既得権をばっさり切り捨てた新政府により推奨を受けて急増した事に刺激されて誕生した、もしくはヨーロッパ系の「人が引く車」がごく少数使用されたのを参考にしたものと考えられている。
それまでの駕籠に比べて運用が楽なことに加え( 駕籠は2人で1人を運んでいたが、人力車は1人で1人~2人を運べる。単純計算では効率が2~4倍 )、馬車よりも小回りが利き軽量で馬を飼い調教する経費も不要で済むため、新たな運送サービス業として広く親しまれていくことになった。
現代でいうタクシー感覚の乗り物として利用されたものの、駕籠よりは安くても、やはり現在のタクシーと同様に運賃は割と高かったらしく、頻繁に利用できる人間は限られていた。昭和に入ると自動車のタクシーにとってかわられていった。ただし、日中戦争中および戦後の燃料不足の折には一部復活したらしいが、それも輪タクにとってかわられ、さらに自動車にとってかわられ、市民の足としては終了した。
コメント
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4年目 15 人力車に乗って
人力車、乗ったことないのでリアリティがなく、すみません!! そしてまた、次回に続く!という感じで話が終わるのは、気を持たせたいのではなく、ほんとに迷いながら書いているせいで。次どうしよう、と決めきれないままだからです。更新も最近遅くなっています。 「4年目 9」のコメント欄で、龍が人力車引きのバイトをしてたら…って妄想を呟いたところ、いつもコメントくださるすまいるさんが食いついて下さいました。観光人力車のホームページから、超絶男前の俥夫を見つけてくださり、さらに妄想に拍車がかかった次第です。実在する方から勝手に名前をいただいて、両角さんというオリキャラにしてしまいました。 人力車を引く人はおそらく、体力自慢で、足も速く、男前な性格のような気がします。 別れるの別れないの、なかなかはっきりとしないこの小説と千鶴の気持ちを乗せて、両角さんと龍が緑の道を駆け抜けてくれました。 コロナが収束したら、人力車に乗りに行きたいなあ… ☆今後、タイトルを編集していきます。 「◯年目 ⬜︎」のあとにサブタイトルをつけてゆきます。以前に、この伏線はどこに書いたっけ?と自分が思い出しやすくするためです☆5,073文字pixiv小説作品