兄は同じく俳優の渡哲也。
よく二時間ドラマに出演していた。
2015年頃から胆のうがんを患い治療を続けていたが、2017年3月14日に死去。72歳没。
エピソード
- 元電通マン。兄の渡哲也が日活の青春スターとして活躍していた一方で、渡瀬は当初芸能界に全く興味がなかった。然し「第二の渡哲也」を求める映画界ではデビュー前から兄よりスケールの大きい逸材として知られており、その芸能界入りを嘱望されていた。そして、東映の社長・岡田茂氏に「三顧の礼を以て」口説き落とされた事を切っ掛けにサラリーマン生活に終止符を打ち、東映と契約。1978年(昭和53年)にブルーリボン賞・日本アカデミー賞・キネマ旬報等助演男優賞を受賞した事で評価が高まり、兄の渡とは一線を画す俳優として注目される事となった。
- 空手2段の腕前を誇り、若い頃は「芸能界で最も喧嘩が強い男」の通り名で知られていた。「生意気盛りの若手俳優を駐車場に呼び出してフルボッコにした」とか「米兵3人を1人で撃退した」などのエピソードは枚挙にいとまがない。
- 普段はとても温厚だが、脚本家に対して喧嘩腰で議論する事もあると言う。
- ドラマでは刑事役で著名だが、実生活では「振り込め詐欺」の被害に遭いそうになった事があるとか。
- 兄とは共演数こそ多くはなかったものの、兄弟仲は非常に良好。阪神・淡路大震災の際には石原軍団の炊き出しに助っ人として参加している。また40年ぶりに共演が実現したドラマ『帰郷』の記者会見の際には、兄が「投手に例えるなら私はボール気味のストレートしか投げられないが、弟はフォークとかスライダーも投げられるうまい役者だ」と誉めたてると、自身は「兄は相変わらず直球のみ」と前置きした上で、「でも僕は直球のスピードが出ないので、なんとかかわしながらでも、とセコいことを考えながらやっているだけ」と真っ直ぐな兄の姿勢を称えた。
関連タグ
錦織圭・・・遠い親戚(渡・渡瀬兄弟の祖母と、錦織の曽祖父が兄弟)