寄席 若竹
1985年4月に江東区東陽にオープン。円楽一門会は1980年に落語協会を脱退したため4大寄席(上野鈴本演芸場・新宿末広亭・池袋演芸場・浅草演芸ホール)が使用できなくなり、若竹は一門の弟子の稽古場としての役割を持っていた。
建設に際して費用は5代目三遊亭圓楽が私財を投げ打ち、借金までして工面した。
若竹オープン時、立川談志は「これはすぐに駄目になる」と周囲に漏らしていたがこの懸念はすぐに現実のものとなった。
それもそのはず、若竹は何分ターミナル駅から遠すぎた。そして弟子たちは若竹での出番よりも余興を優先し、当の圓楽も莫大な借金を返済するために数多くのテレビ番組に出演し、結果として若竹での高座に割ける時間が減り集客に対して大きなマイナスとなった。
1989年11月閉鎖。ビルそのものは今も残っており、1階にはセブンイレブン江東区役所前店が、2階にはフィットネスクラブが入居している。
若竹が営業していた頃、年に数回笑点の収録を通常の後楽園ホールからここに変えて行っていた。
そして若竹が借金を残して閉鎖されたことから後に大喜利で散々ネタにされることになる。
一例:
- 「若竹は とっくの昔に なかりけり」(1997年8月31日/桂歌丸)
- 「噂によると、江東区の『若竹』で借金を踏み倒し、中野区へ逃げ込んだ奴よ!」(1998年3月29日/林家こん平)
- 「(樹医に扮して)竹藪の中の新しい竹が枯れかかってますね…(圓楽の「大丈夫でしょうか?」に対して)『若竹』と聞くと涙ぐんできて…」(1998年5月24日/三遊亭楽太郎)
- 「あいつは酷い奴だ……ただ俺は、若竹の借金を取りに来ただけなんだよ……(1999年9月26日/桂歌丸)
- 「(山形県での収録にちなみで・わを頭文字にして)山形の人が東京を訪れたときにぜひ行ってみたい所です。ディズニーランド、若竹跡地」(2003年7月6日/桂歌丸)
- 「すみません、若竹の借金、まだ払ってないんですけど。(圓楽の『早く払えば?』に対して)おい、あんたに言ってんだよ!(2004年4月11日/桂歌丸)
- 「(歌丸の「空席が目立つね」に対して)こうして寄席若竹は消えていきました」(2013年4月28日/六代目三遊亭円楽)
圓楽の弟子の三遊亭好楽が後に自宅を新築した際、自宅の中に寄席『池之端しのぶ亭』を建てた。そして笑点の大喜利では『若竹』のようになるのではと解体・潰れた・かつて存在したらしいとネタにされる。
ただししのぶ亭は狭い敷地に無理矢理建てたので落語や漫才など、コンパクトな芸しかできないが、前座や二つ目、昇進したての真打といったまだ贔屓の客も少ない者達の修行の場としてはもってこいの場所でもあり、ヨネスケとか6代目桂文枝などの大物もやってくることもある。
現在円楽一門会は両国駅近くのお江戸両国亭を活動拠点としている。