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成蟜

せいきょう

成蟜とは、春秋戦国時代の秦の王族(生年不詳〜前239年)。始皇帝の弟。同時代を舞台にした漫画『キングダム』の登場人物。
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史記編集

の荘襄王の息子で、始皇帝の弟として生まれる。長安君に封ぜられる。

その生涯の大半は不明だが、前239年、軍を率いて趙の上党を攻撃する。

その際、屯留・蒲鄗の兵卒を従えて謀反した。しかし秦軍には敵わず、秦がこれを攻撃すると、屯留で死亡。

軍吏はみな斬り死にし、その民は臨洮に遷されたという。

一部の訳では「壁死」を彼が場内で自殺したことを指すとしている。


キングダム編集

CV:宮田幸季

実写:本郷奏多


嬴政の異母弟。母が平民である政とは違い、公主の息子。ランカイという巨猿(実は蛮族の男)を従える。

生まれてからずっと次期王位継承者として周囲に持ち上げられ続けたため王族の絶対性を信奉しており、平民を蔑み、性格も極めて歪んでいる(母の公主の陰口を言った侍女二人を斬殺したり、自身に侍らされた平民出身の家臣を理由もなくランカイに殺させたりしている)。

そのため、母が平民でありながら王位継承者の立場を自分から奪った政を強く憎悪し、丞相の竭氏と結託。呂不韋不在を狙って反乱を起こし、結果としてが死ぬ原因を作った。しかし、昌文君らの働き、山民族の協力もあり反乱は失敗。ランカイ以外の全ての部下は我先に逃げだし、信から「体張って守る部下も居ねーような奴が王なわけあるか」と吐き捨てられた挙句、最後は政に破れかぶれになって切りかかるも逆に腕をブッ刺され、「少しは人の痛みを知れ」とボコボコにされた。


なお、この反乱は本作オリジナル描写であり、史実でこのようなお家騒動が起こったかどうかは記録に残されていない。


本作で成蟜の母については、姿すら描かれず設定自体も殆ど記されていない。

史実でも詳しい話は存在しないものの、公女なのは間違いないようだ。

一説では子楚(嬴政と成蟜の父、荘襄王)が嬴政を趙で産んだ後に趙を脱出した際、嬴政と趙姫(嬴政の母、作中では太后と主に呼ばれる)が今なお趙で人質のまま無事が不明だったことから、自身の母親を安心させるために娶った韓国出身の夫人との間に産まれたのが成蟜という。

だが、成蟜やその母は、嬴政が太子になるまで嬴政と趙姫の存在を知らされておらず、成蟜の母は嬴政によって成蟜が太子になれなかったことや、平民である趙姫に後宮での立場を奪われたことで、精神に異常を来すようになってしまった(元々平民の多い後宮での評判も良くないらしく、成蟜の性格が歪んでいたのは恐らく母が原因と考えられる)。

その姿を見た成蟜は、母が平民でありながら王位継承者の立場を自分から奪った政を強く憎悪し、クーデターを起こすに至ったのである。


その後は長らく軟禁状態にあったが、呂不韋との勢力争いにおいて再登場。

苦境に立たされた政への協力を条件に解放され、その王族、公族への強い人脈により、昌文君の丞相就任に大いに貢献する。それらの過程を通し、兄の存在を認めて人間的に成長。

合従軍編では兄に対し亡国の際には命を持って償う王としての責任を説き、かつての王族としての権威を振りかざすだけの暴君ぶりは完全に鳴りを潜めている。

王位への野望は相変わらずながらも、初登場時とは異なり、血統だけでなく真に部下から慕われる人物へと成長する。


妻の実家「屯留」が趙軍に攻められた際、自ら兵を率いて救援に向かう。

公主の瑠衣と結婚しており、子はいないが夫婦仲は良好。

初対面では瑠衣本人や親族からの評判は散々だったらしい。


アニメ第3シリーズ放映終了直後に公開されたアニメ第4シリーズの栄えある最初のティザービジュアルでは、次は、俺の番だ。のキャッチコピーとともに不敵な笑みを浮かべる成蟜が描かれた。



関連タグ編集

秦朝 始皇帝

キングダム 嬴政 瑠衣(キングダム)

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