史実の呂不韋
若い頃より一流の商人として活躍しており、春秋7カ国を渡り歩いて富を築いていた。
あるとき趙国の人質に出されていた秦王族の末席の一人である異人(のち子楚)と出会い、父からの援助もあり「奇貨居くべし(珍しいもので手元に置いておくべきだという意味)」として彼を秦の王位に就けるべく画策する。
子楚が名声を得るよう投資し続け、秦においても子楚が王位に就けるよう根回しをし続けた結果、紆余曲折の末に子楚は世継ぎになり、王になるのは時間の問題となった。呂不韋は愛人の一人を子楚に差し出すなど子楚に尽くし続けたが、一説によればこの女性は既に呂不韋の子を妊娠していたとされ、これが後の政となったという。事の真偽は定かでないが、当時から囁かれていたらしく、春秋時代の史料である史記にもこれが真実として書かれている。
秦と趙の関係が悪化すると呂不韋は子楚を秦に連れ戻し、子楚が太子になると政治的配慮から残された妻子も秦に送り返された。こうして呂不韋は功績を認められ、一介の商人から秦の丞相に大出世することとなったのである。
王位を継いだ子楚改め荘襄王が夭折し13歳の嬴政が秦王に即位すると仲父に就任し、その権威はもはや並ぶ者がいなかった。文官としても目覚ましい功績を挙げており、春秋時代のあらゆる事柄を纏め上げた学術書である「呂氏春秋」を完成させるなど、後世においても重要な歴史資料を作り上げた。
しかし呂不韋の権勢は意外な形で斜陽を迎える。元愛人である太后との関係を清算したかった呂不韋は好色な太后を満足させるため、性技に長けた嫪毐という巨根の男を宦官にしたてて(勿論性器に細工はしていない)あてがった。しかしこの嫪毐という男が次第に権威を持つにいたり、呂不韋はその醜聞から追い詰められるようになった。巨根で成り上がった嫪毐は所詮凡夫であり、太后との醜聞が政に露見すると兵を起こして政に反旗を翻すも瞬く間に壊滅させられた。
これを好機と見た政は呂不韋から実権をはぎ取るため容赦なく追求し、結果呂不韋の権威は失墜し河南の自邸で謹慎した。しかし、権威は失墜したが声望は衰えなかったことを忌んだ政により一族もろとも蜀に流された。のち政から詰問書を送られ将来を悲観した呂不韋は服毒自殺した。
彼の子孫はのち益州南部に土着したらしく、三国時代に蜀漢に仕え三国志演義では諸葛亮の南蛮平定戦の道案内や幕僚を務めた呂凱は彼の子孫という。
フィクションにおける呂不韋
キングダム
CV:玄田哲章
実写版演者:佐藤浩市
おおむね史実通りの活躍を見せるが、より腹黒く底の知れないキャラクターとして描かれている。成人していない嬴政に代わって国政を壟断しており、戯れ半分に嬴政を暗殺しようとするなど、油断も減った暮れもない傲岸不遜な人間である。
しかし政治家としても文官としても実力があり、商人時代に蓄えた見識から巨視的な視点で天下を捉えられる政治眼を有するあたり、政に勝るとも劣らない器量の持ち主である。
商人の身でありながら自身が大王になることを画策しており、合従軍編では朱凶を咸陽に入れ政を殺し、合従軍に政の首を差し出す対価として秦王になることを企てていた。
また、政が正式に政治の実権を得られる「加冠の儀」を迎えると同時に、密かに秦国を掌握しようとも画策していた。
そしてそれは、太后と嫪毐の一派によって生まれた『毐国』の秦への侵攻と同時に全容が明かされることになる。
呂不韋は毐国軍に樊於期をはじめとして自分の息のかかった者を多数送り込んでおり、彼等に反乱を起こさせて咸陽を蹂躙。政をはじめとした王族全てを粛清し、自らがそれを鎮圧することによって秦国そのものを手中に収める。それが加冠の儀に起こす予定の計画だった。
しかし飛信隊が咸陽に駆け付け、また四柱の中心的存在であった昌平君が政の側についたため、咸陽は乱戦の坩堝となる。
これに際して呂不韋と政は、直接対決として国と民に対して己の掲げる理念をぶつけ合うことになる。
本作の呂不韋は上記の通り腹の底が見えないキャラクターとして描かれているが、それ故に側近の昌平君すら真意が見えていないために、最終的に嬴政に敗れる結果となった。
しかしこれは元々の呂不韋の理念(秦を経済の中心とした経済圏の確立)そのものが問題であったことも示されていた。
呂不韋の主張は、喜怒哀楽(特に「喜」と「楽」)といった欲望を貨幣によってコントロールすることで秦に繁栄を齎すというものだが、そもそも離反した昌平君のように人の思考は一枚岩ではないし、誰もがお金を持てば幸福になれるとは限らない点を無視している(それこそ彼の立身の犠牲になった本作の太后が特に解り易い。荘襄王と望まぬ結婚をしたから人生が没落したと考えている)。
もっと正確に言えば呂不韋の思想こそが戦争を引き起こす火種になると嬴政はこの時に反論している。
というのも秦だけが富に溢れる場合、他国はそれを狙うために侵略をしてくるだろうし、協定を結ぶにしても他国の君主がその富を国民にも還元するとは限らない。
また、他国も呂不韋の思惑通りに国民にも富を還元できるということは、他国には同様に戦争を起こせる余裕も生まれてくるし、別に秦国を中心とした経済である必要も無くなることから、長期的には戦争が繰り返されてしまう(嬴政の主張がこれに通じる)。
世界史的には経済大国であるはずのアメリカが代理戦争も含め戦争に関与している点を鑑みても明らかな話と言える。
また、お金の困窮の問題とは結局、お金によって手に入る資源が手に入らないのが問題であり、その資源の入手に格差が生じる以上は戦争は止められないのである。
本作でも「嬴政は呂不韋の息子説」についても触れてはいるが、呂不韋自身の「かつて愛した女の息子が、自分の息子ならよかった」という「もしも」の話でしかないという形で終わっている。
内心では嬴政のことは「遊び相手」としても最初から認めており、「あなたのことが好きだった」と述懐しており、(呂不韋本人が黒幕といえ)実の母である太后に裏切られたことに関しては心底同情していた。
嬴政に敗北後は大人しく蟄居していたが、周囲が再び呂不韋が持ち上げる動きを見せたことで嬴政からも詰問される。
しかし、呂不韋はもはやそんなことをするつもりは全くなく、むしろ迷惑がっていた。そのことを嬴政に伝えた後は激励の言葉を抱擁と共に残し、これが2人の最後の会話となった。
最期は史実同様に自害した…と思われたが、実はそれは影武者であり、愛人と思わしき女性たちと旅に出て消息を絶った。
「大王様はきっとわかってくれるだろう」と語っており、実際にそのラストの手前で嬴政が影武者だと気づいた上で見逃したであろう1コマが挿入されている。
達人伝
父から与えられた財を元手に商人として活躍しさらなる財を築く。荘丹ら「丹の三侠」とは互いに若い時から面識を持つ。この時期に孤児となっていた鄒朱を迎え入れる。さらなる飛躍やがて異人(子楚)に近づくことに成功し、鄒朱を差し出し彼女は趙姫と呼ばれるようになり政を産む。
そして子楚が荘襄王となると宰相となり秦を切り盛りする。こちらでも政治家としても文官としても実力があり、商人時代に蓄えた見識から巨視的な視点で天下を捉えられる政治眼を有している点は同じだが、それはのちに正反対の政治志向を持つ政との対立を招き、嫪毐の乱後自決に追い込まれる。本作ではキングダムとは対照的に嫪毐や成蟜らと同じく冷酷苛烈な始皇帝の被害者という側面もある。