史実
秦の将軍であったが嬴政の怒りを買い、燕に亡命したが、その際に秦に残した一族は全員死刑となった。怒りを買った理由は軍を少数精鋭にする政の策に反対したこととされる。秦は逃亡した樊の首に対して多額の懸賞金を賭けたと記されている。
紀元前227年、燕の太子丹により政の暗殺が計画され、荊軻がその刺客となった。荊軻は用心深い政の信用を得るために、丹に2つの条件を提示した。一つが督亢を割譲することで、もう一つが秦のお尋ね者となっている樊の首級を出すことであった。丹は亡命してきた樊を殺すことはできないと伝えたが、荊軻は樊に丹との会談内容を伝えて、決断を迫った。燕に亡命してから鬱々とした日々を過ごしていた樊は一族を族滅した政への復讐を果たすため、自刃して果てた。
荊軻は樊の首級を持参して政の暗殺を謀ったが失敗に終わり、荊軻はその場で討たれた。
中国の歴史学者楊寛は同じ秦の将軍の桓齮と同一人物説を提唱している。
キングダム
毐国将軍。嫪毐の反乱に参加。実は呂不韋の手先であり、彼の最重要使命は嬴政をはじめとした王族を抹殺することであった。息子・樊琉期には王女・麗を殺しに行かせ、自身は太子・扶蘇を殺しに向かうが、昌平君直下の黒騎兵たちに阻まれる。さらに、ワテギが討死したことで反乱失敗を悟り逃亡、その後で変装して咸陽での息子の処刑を見届けた。以降は消息不明だが、公式ガイドブック『覇道列記』では再登場の可能性を示唆した解説がある。
史実では桓騎との同一人物説があるが、キングダムでは別の人物である。