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概要

CV: 伊藤健太郎

の筆頭将軍「白老」蒙驁の副将。「化け物」と評される戦の天才で、同じく副将の王翦と合わせて秦の六将軍にも並ぶ実力者と言われているが、国内外での知名度は低く、趙の李牧ですらその実力を知らなかった。将軍としては「凡庸」と評される蒙驁が高い戦果を上げているのは、彼と王翦の力による所が大きい。
性格は傲岸不遜で冷酷。敵軍への過剰な拷問・殺戮や、敵国の一般市民への虐殺行為など、非道な手段を平然と行い、秦への忠誠心も薄いが、ある種のカリスマの持ち主で、部下からは非常に慕われている。
誰から習ったでもない彼独自の戦術を用い、ゲリラ戦術や相手の虚を衝く戦い方を得意とする。元は討伐軍相手に無敗を誇った山賊の頭領で、ある邑を攻め落とした際、自ら村人全員の首を切り落としたことで「首切り桓騎」と渾名された。この残虐性は根本的に今も変わっておらず、高い実力と功績を持ちながら知名度が低いのはこのため。同じ秦軍内部でも、その出自と言動のせいで張唐などからは疎まれている。上官の蒙驁に対しては不在の場でも敬語を使い、それなりに敬服する態度を見せてはいるが、部下になった経緯は不明。一応はら主人公サイドの人間ではあるがかなり毒の強い人物であり、ある意味『大人の汚さ』を体現したような存在である。
幹部たちは盗賊時代に吸収・征服した盗賊団の頭領達で、やたらと柄が悪かったり奇抜な格好をしている者が多い。残酷だが部下には寛大なので、中にはツッコミどころしかないような者(オギコなど)も採用している。
古参の部下曰く、桓騎の原動力は『全てへの激しい怒り』とのこと。

劇中での活躍

蒙驁を総大将とするへの侵攻戦で、王翦と共に左右の軍を預かる将として初登場。廉頗白亀西が率いる魏軍と戦う。廉頗四天王筆頭の介子坊を苦しめた。その後、指揮を交代した廉頗四天王・玄峰に本陣を見抜かれるも、逆に虚を衝いて敵の伝令兵に変装して本陣にいた玄峰を討ち取る手柄を上げる。王翦軍が包囲されて引き蘢ってしまい、蒙驁軍が廉頗に攻め込まれて苦境に陥る中、先に魏軍本陣に回り込んで白亀西を捕縛し惨殺。敗北寸前であった秦軍の決定的勝因を作った。
秦が合従軍に攻め込まれた際は、蒙驁、張唐と共に国門・函谷関の守備を担う。正面から挑んできた魏軍の巨大井闌車を一台焼き払う戦果を挙げ、さらに魏軍の兵器と軍の毒により壊滅的な状況に陥った戦況を覆すべく、巨大井闌車を逆に利用して函谷関から降り、魏軍の旗を掲げ堂々と戦場を横断。毒に蝕まれ残り僅かな生命を絞り現れた張唐と共に韓軍総大将・成恢を討ち取った。そして、張唐から「秦国一の武将となれ」「秦を頼むぞ」と遺言を託された。
趙との合戦となった黒羊の戦いでは総大将に任じられ、五千人将となった信とともに辛辣な戦術で趙軍を苦しめた。最終的に黒羊一帯の村人達を虐殺し、その死体を趙軍の要の将である紀彗におくり付けるという残虐非道な恫喝によって趙軍を撤退させてしまった。あまりにも卑劣なやり口に信からは猛反発されるも、結果としては戦死者を想定の半分以下に押さえた上で黒羊を奪取する大勝利を勝ち取った。
鄴攻略編でも、総大将の王翦と「山の民」の王・楊端和から連なる三軍の一角として出陣。目標の鄴を包囲し、解放に向かって来る趙軍主力の迎撃に向かった王翦・楊端和軍に代わって鄴を包囲し続けた。難民に化けた王翦軍の兵士が兵糧を焼き払った時は、鄴城に向かって降伏・助命を呼び掛け続けたことで難民達が暴徒化して鄴を自ら開門させて陥落させる。
鄴攻略後、復活した六大将軍の第五将に任命される。

モデル

モデルとなった武将は秦の将軍「桓齮」だと思われる。紀元前237年に将軍となり、王翦・楊端和らと趙の鄴を攻め、その周辺9城を落とす。紀元前234年に今度は趙の平陽を攻め、敵将・扈輒を討ち取って、10万の首級を挙げる。この翌年に再度趙に侵攻し、平陽と武城を平定するも宜安を攻めた際に李牧に大敗する。これ以降の彼の足取りは不明だが、一説には怒った始皇帝により庶民に落とされたとされる。また、歴史家の楊寛は、処罰が下る前に燕に亡命し、「樊於期」と名を改めて荊軻の始皇帝暗殺計画に協力したという推測をしている。
※本作においては樊於期本人が別人として登場している。

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らくがキングダム1【桓騎・王翦】
桓騎



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