概要
離眼城城主→灰城城主。
黒羊では、知勇兼備の名将として慶舎から副将に抜擢され、黒桜軍と対峙。二日目に押されている中央丘の味方の前に姿を現して鼓舞し、反撃して黒桜軍を後退させる。
慶舎の死後、金毛を説き伏せて継戦したことで実質的な総大将になる。
ところが桓騎の非道な戦略(詳しくは後述)で離眼が狙われ、彼を見捨てられず黒羊から撤退し、黒羊丘の戦いの敗北を招いた。その後離眼も放棄し灰城へと流れた。
鄴編で李牧によって馬呈と共に召喚され、朱海平原では趙軍右翼の指揮を担う。
初日に楽華隊と麻鉱軍によって窮地に陥るも、李牧が麻鉱を討ち取ったことで形勢が逆転し、一気に麻鉱軍を壊滅させようとするが失敗。
その後は左翼の将となった蒙恬の策によって膠着状態となる。
終盤、右翼軍を率いて秦軍中央軍をかすめるように動いて馬呈を回収し、鄴へ向かうも最終的に敗北したため撤退した。
離眼の悲劇
時代は紀彗の父である紀昌が離眼城の城主だった頃※。
離眼城の一帯はまだ統治されておらず、当時存在していた暗何城と離眼一帯の覇権をめぐって争っていた。
趙の首都・邯鄲では地方の小競り合い程度の認識だったためか介入されることは無かったものの、その実態は戦争と呼べるほどに大規模になっていった。
※李牧が邯鄲に居るため悼襄王よりさらに前の趙王・孝成王の政権下と考えられる。アニメ版ではこの頃の紀彗の声優が変更され、声変わりするほど黒羊編から昔の話だったと判明した。
暗何城の城主・唐寒は権力や武力に物を言わせる圧政を行ない、離眼城の城主・紀昌は善政により民に信頼され民と強い絆で結ばれていたという。
戦争は拮抗していたが、紀昌の息子である当時20歳くらいの若かりし頃の紀彗と、馬呈と劉冬が台頭すると、戦局は離眼側に傾き出していた。
日々勢いを増す離眼側に対し、唐寒は決戦に打って出た。
唐寒は自身の財をはたいて離眼兵の五倍に及ぶ兵を周辺から集め、「旦虎の戦い」と呼ばれる作中の離眼では有名な戦争を展開した。
馬呈や劉冬も深手を負うほど離眼側の損傷も甚大だったが、最後は数の暴力を掻い潜った紀彗が唐寒を討ち取ったことで離眼側は勝利した。
だが、唐寒の残党を紀彗が追っている間に、留守中の離眼城が落とされてしまった。
首謀者は、旦虎の戦い中では出陣せずに暗何城に残っていた唐寒の息子・唐釣であった。
離眼城には馬呈や劉冬も含めた重傷を負った兵が大半だったため、唐釣を止めることはできず、離眼城の女・子ども・老人は全員人質となってしまった。
そして唐釣は、交渉により、成年以下の年齢が解放の対象となるように人質を譲歩したが、主に老人などある程度の年齢の大人は処刑されるのと引き換えに、紀昌と将校・兵の投降を迫った。
普通に考えると、女性や子どもを人質に武将の命と交換という唐釣の策は、下策である。
武力の観点で言えば離眼兵の方が明らかに有力、かつ短期的な戦後の復興などを鑑みても男手が多いのに越したことはない。
また、戦後の離眼城の長期的な人口問題も、暗何城側が妥協できれば暗何城で生きる女性を嫁がせる、子どもを働かせるなどしても理論上は解決できるものの、作中で言及するように旦虎の戦いの勝敗だけで長年の因縁に折り合いが着けばの話なので、実際に困難なのは想像に難くないだろう。
しかし、離眼で生活する民を自分の子ども同然に考える紀昌は「武将である前に離眼城の城主であるとともに、投降に同行する側近の兵もまた離眼で生きる大人達である」と紀彗に語り、人質交換に応じた。
人質交換による和解のタイミングでやっと邯鄲からこの戦いの仲介役として一介の将軍だった李牧が派遣され、李牧が見守る中で紀昌の火刑が執行され、旦虎の戦いは終結した。
紀彗は血の涙を流しこの火刑を見届け、離眼城の復興に尽力した(このため紀彗は、「城主」あるいは「名君」として語られる一方、離眼周辺以外で「武将」として名を上げる機会を失った)。
離眼城では主だった大人の大半を失ったものの、紀彗が跡を継いだことで5年で離眼城の力を復興し、さらに3年後には暗何城も屈服させ、離眼・暗何一帯を統一した。
要するに「離眼の悲劇」とは侵略者の、戦争以外の要因で巻き込まれた「人質」を用いる卑劣極まりない手段により、戦勝者側でありかつ名君だった紀昌(紀彗はさらに「父親」、馬呈と劉冬にとっても自分たちの「育ての親」という関係も加わる)や自分たちを支えてきた大人を一挙に失った戦後処理の代償である。
桓騎の骸の巨像による脅迫(挑発)は「(意味合いは異なるが)ろくな噂を聞かない武将が首謀者」「侵略者が離眼城を襲う」「離眼城の民を人質にする」「直接的な戦争の要因である投降兵などではなく、戦争と無関係の人質を利用する」「(実行した時点では桓騎の想定外ではあるが結果的に)慶舎の殉職により実質的な人質となった自分自身が人質交換の可否を判断する」点で離眼の悲劇を紀彗がフラッシュバックするのは容易であり、このトラウマにより離眼城を選ぶことを桓騎は当然見抜いていた。
しかし金毛が言うように離眼城を選んだ場合、これまでの黒羊丘の戦いで血を流した趙兵や桓騎により虐殺された黒羊丘周辺の住民全ての血が一切の無駄に終わるという最悪の結末を迎える上、離眼城が黒羊丘から近いこともあり戦いが終わっても離眼城の民は戦渦に残されることには変わらない。
さらに言えば、慶舎が討たれた4日目以降に金毛を説得し先述と似たような言い分で戦いを続行させたのは他でもない紀彗自身であることも恐らく響いている。
まあここまでの状況にもつれ込んだ最大の原因は「匂い」がしないと自ら動いて自滅した慶舎にあるため、紀彗を責めるのは酷ではあるが。
しかし趙国全体としてはこれ以上の侵攻を止めるための戦いであるとともに、離眼城もまた紀彗にとっては大切な故郷であるため、離眼城と黒羊、どちらの選択であっても紀彗にとっては自らの故郷を失う結果しか残っていないのであった。
このため敗戦後、紀彗は城の民とともに灰城に移民することとなった。
作中で明言はないが、本来なら紀彗は戦犯扱いとして将軍の剥奪や最悪の場合処刑となってもおかしくないものの、秦国が侵略中であることや現在は宰相の李牧が居ること、そして何より遺された離眼城の民の心情などを鑑みた場合に国民感情として納得がいかなくなる可能性を考慮されたのか、お咎めは特に無く、引き続き将軍として登場している。
余談
紀彗の父親である紀昌は、同名の人物が達人伝にも登場しているが、名前以外は一切無関係である。