概要
趙国の第9代の王。
素行の悪さを諌めた三大天・廉頗から大将権を剥奪したり、それを拒否されると討伐軍を差し向ける。
その他「民がどうとか 国がどうとか 後のことなど知ったことか」と言い放つなど暗愚な王としての描写が目立つ。
鄴一帯が秦に取られて間もなく、湯治中に何者かに毒を盛られて死亡する(その際の描写は悼襄王が助けを求める中、大勢の童子達が血を吹き出し倒れる彼を見ながら笑みを浮かべるのみで、首謀者は不明といったもの)。
だが、彼の遺言により末子・遷(幽繆王)が王権を獲得したことで、趙は滅亡の一途を辿ることになる。
評価
作中では李牧を中心に暗君と評されているが、(確かに『悼襄王』という諡号はダメな君主に送られるとはいえ、史実ではそこまで酷評されていないこともあり)実際の所彼の行動によって趙が致命的な損害を負った描写は特にみられない。
強いて言えば、自身の愛人の春平君が呂不韋に拉致された際はその奪還の為に宰相の李牧を敵国の首都である咸陽に派遣するという、政治的に見るとリスクばかりが高くメリットがほぼ無い王命を下している(しかもこの春平君、175話の四コマ程度しか登場しない為、偶々描写されていないか悼襄王が飽きて放り出したかのどちらかとなるなど、人材としては宰相の命懸けと比べるべくもなく小物である)。
とはいえ結果論ではあるが、李牧と呂不韋の舌戦から秦趙同盟が成立するなど、成果だけ見るなら国益に叶う派遣ではあり、悼襄王の暗政の損害とは言えない(尤もさらに先の結果だけ見るならこの秦趙同盟から軍力を魏国に集中して軍要所の山陽を侵攻された結果、後々の合従軍、果ては秦国の中華統一となるが、流石にここまでを悼襄王の責任というのは難しいかもしれない)。
良くも悪くも自身がお飾りの王であると自覚しており、戦争も外交も基本的には現場に丸投げ。
何もしていないという点で王として無能と言われればそれまでだが、そもそも李牧などの三大天を擁立した一方で度重なる戦争を勝利できていない李牧側にも非はあるという見方もあり、読者の評価はネタ込みで様々。
また、彼の史実の死因が不明なことや、次期国王である幽繆王が史実で暗君なのが明言されていることから、あえて殺されても仕方ないような人物として描いた可能性もある。
尚ネット上では『悼襄王の暗政によって投獄された賢人達がほぼ筋骨隆々の健康体だった』ということから『敵対者を投獄こそすれ虐待を行わず国の後裔達に託す明君』といったネタ評価が散見される(魏火龍内紛事件の時の呉慶の様に厳罰を回避するよう進言する家臣も居たのかもしれないが、それを素直に受け入れるのもまた君主の技量である)。