曖昧さ回避
史実の藺相如
中国の春秋戦国時代の末期に趙の恵文王に仕えた武将・政治家(生没年不詳)。「完璧」「怒髪天を衝く」などの故事を残した名臣。
元は恵文王の宦官・繆賢の食客であった。
故事にもあるように、豪胆な性格で、秦の昭襄王も藺には敵わなかった。
上の故事以外で有名なのが「黽池(べんち)の会」。秦から黽池で秦と趙の友好を祝う祝宴を開こうと誘いが来る。恵文王は行くのを躊躇ったが、廉頗に「ここで行かなきゃ恥ですぞ」言われ行く羽目に。ここで藺が護衛につく。
祝宴では完璧の件といい、またも秦が恥をかかせてくる。昭襄王は趙王に再三曲をせがみ、一曲弾かせた。昭襄王は記録官に「趙王が秦の為に曲を弾いたと記せ」と命じる。これは、「趙王が秦王の家来のように動いた」と暗に知らしめるためであり、この無礼な態度にムッときた藺は和やかに昭襄王に近づくと、お酒の入った瓶を手に「秦では酒宴で酒瓶を叩いて歌うとか。どうか秦王、両国の友好の為に瓶を鳴らして頂きたい」と頼む。これに激怒した昭襄王に「貴公と私の距離は5歩分。ここで私の首を刎ねて酒盃に血を混ぜてもいいんですよ」と再び脅す。渋々昭襄王は瓶を鳴らす。すかさず藺は趙の記録官に「秦王、趙王の為に瑟(しつ)/瓶を叩くと書け」と命じる。藺相如の機転で趙は恥をかかずに済むどころか、逆に秦へ辛酸を舐めさせた。
有能な将軍だったが、晩年は病に臥せる。長平の戦いで総大将が廉頗から、新鋭気鋭の趙括に変わるのを危惧し、死期が迫った病身を押して参内。
孝成王に「王は名声のみで趙括を用いられようとしていますが、それは琴柱に膠して弾くようなもの(「琴柱に膠す」の語源)。趙括は名将だった父・趙奢の書をよく読んでいるだけに過ぎず、実戦ではその時々に合わせ変化させなければならないということを知りません(臨機応変に対応できない)」と趙括の実戦経験と応用力の無さを説き、廉頗の解任を止めるよう進言したが、聞き入られず、趙軍の総大将は交代した。
結果趙括は白起の術中に嵌り、戦死。長平の大虐殺が引き起こされる。そうして間もなく、藺相如は病没した。
『キングダム』の藺相如
趙国最強を誇る三人の大将軍『三大天』の一角。故人。
智謀と勇敢を兼ね備えた大戦略家であり、自身が持ち合わせていない武勇の役目を担っている十人の将軍達「藺家十傑(りんけじっけつ)」を従えている。
また原泰久氏の読み切りでは、廉頗と藺相如の友情エピソードが描かれている。
(現在この読み切りはプレミアがつき入手困難)。