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概要

范雎はの人で、中大夫須賈に仕えた。

へ使者として赴いた際、范雎の弁舌に感心した斉の襄王が臣下に迎えよう金品を贈ってきたが断った。しかし須賈は魏の秘密を斉に漏らした代償と考え、帰国後に宰相魏斉へ報告した。

范雎は拷問のすえ便所に放り込まれ辱められたが、番人を買収して脱出。友人の鄭安平の元で体を治し、「張禄」と言う偽名を名乗った。鄭安平は昭襄王の使者として魏に来ていた王稽に張禄を売り込み、秦で王稽により昭襄王に推挙された。

1年以上登用されず放置されていたが、昭襄王に手紙を書いて訴え謁見を果たす。昭襄王は范雎を信任するようになり、宰相に上り詰め、魏斉への復讐を誓う。

昭襄王に遠交近攻政策を進言し、秦の優勢を決定的なものにした。

魏斉を謀殺、魏冄を追放、白起の出世を恐れ王に讒言して誅殺させ、廉頗を失脚させるなど辣腕を振るった。黄歇春申君)が勝手にからの人質だった太子完(後の考烈王)を帰国させて昭襄王に殺されそうになった時には「ここで恩を売っておく方が良い」と取りなした。

睚眦竜生九子の一つでよく鎌や矛に彫られる山犬)の恨み」という故事成語の由来となった。范雎は小さな悪にも小さな恩にも必ず報いた。

范雎を推挙した王稽は昇進できずにいたが、范雎にその不満を告げると、范雎が推挙して河東長となった。

白起の後任に鄭安平を推薦したが、鄭安平は2万の兵と共にへ降った。

昭襄王に推挙してくれた王稽は他国と通じた罪で誅殺された。

  • 史記では蔡沢の説得で宰相の座を退き天寿を全うできたとある。
  • しかし、始皇帝時代の睡虎地秦墓11号墓より出土した『編年記』には「王稽・張禄(范雎)死す」とあり、王稽に連座して処刑されたものと思われる。

創作での范雎

達人伝

傷だらけ、歯の抜けた顔という強烈なフェイスで登場。主人公たちと敵対する。初登場時、魏から友人を呼び寄せ、何も知らない友人を脅すことで魏斉の首を届けさせようとした。

白起の長平での虐殺にドン引きし、昭襄王に白起の謹慎を進言。

関連タグ

春秋戦国   昭襄王

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  • 香  【魏冉×白起】

    今非常に嵌っている戦国秦の魏冉と白起のお話です。白起視点で、「香」がキーワード。白起の魏冉に対する忠犬ぶりと范雎(応侯)に対する嫌悪の分かりやすさが好き。 白起というと四十万生き埋めとか戦闘マシーンのイメージが広まってそうですが、『戦国策』を読むとわりと人間味のある人だと思います。敵には容赦ないが部下の兵士たちには親切で、味方の死を悼む心もちゃんと持っている。一兵卒とも苦楽を共にして、彼らの気持ちを理解することで軍という組織の力を最大に発揮する。畏敬もされているでしょうが、それ以上に兵から親しまれている名将だと思います。ラストの台詞「破国は復た完うすべからず、死卒は復た生かすべからず」は『戦国策』秦策に載っていますが、『史記』には採られていません。孤高の将という白起のイメージに合わないと思った司馬遷がスルーしたのでしょうか。 彼に比べれば政敵の范雎の方が冷徹に感じます。彼の謀略は人の心の醜さとか浅ましさを徹底的に利用するのが多く、彼が今回提案している策略も戦国策に収録されています。確かに范雎の謀略は合理的だし、人死にが最小限ではあるけど。他人を利欲で操れる道具みたいに思ってて、才子ではあっても人らしい温かみを覚えなくて共感できないなー。 対して、魏冉は国王より自分を優先するし公私混同もする「悪い大人」ですが、そういう人間味のあるところが好き。彼が戦略を立てたおかげで、秦は諸国を圧倒して版図を広げ、他国も魏冉に縋るという最終手段を使って滅亡を免れた。自己中心的に見えて、より多くの人に利益を与えているじゃないですか。むしろこれだけ働いてる宰相様なんだから、車千乗分の財産蓄えるくらい何の問題があろうか。そもそも、魏冉の「悪い」部分というのは彼が秦の宰相でありながら秦国の思考(ex.法律と王命絶対・実力主義という名の弱肉強食)に染まっていない証だと思う。基本合従派の私が魏冉好きなのは、秦にも話が分かる人が居る、という意味の共感に近いかな。虎狼の森で人間に会えた、みたいな安心感。力ではなく礼という価値観が理解できる人だから、諸外国も彼とは話し合いという文化的な手段が(一応)通じるのです。…魏冉の機嫌次第だけど。 考えるに、魏冉の目標は天下統一ではなく秦を諸侯の中の盟主にすることじゃないのかな。あるいは、統一国家・秦の中に秦の酷法に縛られない独自の国を作ること。范雎に追い落とされなければ、陶は山東の国々の余韻ーー戦国の夢を封じ込めた国になったかも。商鞅の法に束縛されて国畜化してる秦人は政治について考えることが許されないから、有能な軍人は輩出しても優れた政治家を生まない。だから宰相はほぼ他国からの借り物。自由な外国があるおかげで秦は政治家を調達できるわけで、統一して天下が残らず秦に染められた時点で、名宰相を得る道を自ら潰したのですよ。法治国家って相当の賢君でないと制御できないものです。秦の場合、戦国期は在位短い王が居ても他国出身の名宰相がカバーして、国歩の衰退を免れました。魏冉もその一人です。しかし外国が無くなった時、早晩滅亡しました。反乱が無かったとしても腐敗堕落してきっと滅んだでしょう。秦の統一を遅らせて、列国を往来する自由な言論や生き方が出来た戦国時代の寿命を伸ばしてくれた。それこそが「魏冉の英風」だと思っています。
范雎
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