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概要

刎頸の交わりとは、中国の故事である。

刎頸の友と言う事もある。

お互いのためなら首を刎ねられても悔いは無い程の固い友情を指す。


は「断つ、はねる」の意味であり、は首のことを指す。


これは春秋戦国時代のの将軍廉頗と、趙の宰相藺相如が交わした誓いが語源とされる。


エピソード

前段:和氏の璧

かつて「和氏の璧」(かしのへき)と称される宝物があった。

これはの国にいた男「卞和」(べんか)が、磨けば天下の名玉となる石を拾った。

当時の王である厲王に献上すべきと感じた男は王に献上したが、鑑定士には真贋がつかず「ただの石ころだ」と結論を出した。王を謀り、褒美をせしめようとしたと断じられ男は片足を切り落とされ、石と共に家に戻った。

厲王が死に、武王が即位した際も男はその石を武王へ献上した。しかし、やはり石ころと断じられ、もう片方の足を切り落とされ、石と共に家に戻った。

そして時は流れて、武王の次、文王が即位した。

卞和は石を抱き、連日泣き続けた。そんな不思議な話が耳に入り、文王は卞和の元に使者を送り、何をそんなに泣いているのかと問うた。「ここにあるのは間違いなく天下の名玉の原石であるのに、先々代、先代の王様には石ころと断じられて両足を切り落とされました。足を切り落とされた痛みで泣いているのではありません。誰も私の事を信じずに嘘つき呼ばわりされ、名玉を石ころ呼ばわりされたことが悲しいのです。」その答えを聞いた文王は、ならば実際に職人に磨かせて見れば良いと言い、職人が磨くと素晴らしい宝玉となった。

余りの素晴らしさに文王は卞和に褒美を与えた上で、先々代、先代の王の非礼を深く詫びた。

また、その忠義を褒め称え、その宝玉から作られた璧(腰につける宝玉で作られた輪っか型のアクセサリー)に「和氏の壁」と名付け、楚の国宝となったのであった。

この璧は「韓非子」のほか、「史記」や「十八史略」にも記されている、春秋戦国時代における最高峰の宝物である。


藺相如の活躍

この和氏の璧は、趙に渡ったが、それを聞きつけたは十五城と「和氏の璧」を交換する条件を提示してきた。しかし、秦は虎狼の国であり約束など守らない信用の無い国であった。

議論は紛糾し、城と交換するのが良いと言う者、約束を守るはずの無い秦に渡せば璧を失うだけであると言う者で割れた。

そして、仮に城と交換するにも、秦に約束を守らせる様な弁舌に長けた者が必要であった。

当時の趙王である恵文王が悩む中、宦官の繆賢(びゅうけん)が自分の客人に「知勇兼備の士」がいると申し出た。

それが、藺相如である。(詳細はリンク先を参照)

そして、藺相如の意見で、璧と城を交換する事となり、その使者として藺相如は役目を全うした。

(詳細は完璧のリンクを参照)


藺相如の活躍は続き、趙に対し秦から友好の宴を黽池(べんち)で行うと言う招きがあったが黽池(べんち)は秦の国内であった。将軍の廉頗は「行かねば、趙は弱く卑屈だと思われ諸侯に侮られる」と意見した。藺相如も同意見であったが、黽池へ行くにしても秦国内に軍を引き連れて行く訳にも行かず、少数の護衛と側近として藺相如がついた。

この時、「三十日待っても戻らなければ太子を王にたて仇討を行う」と言う確認まで王に行った決死の覚悟の宴席参加であった。

黽池の会は豪儀な祝宴が開かれていたが、秦の昭襄王が「趙王は音楽が得意と聞いている、両国の友好の為、瑟(しつ)で一曲弾いて頂けぬか。」と頼んだ。最初は断っていた趙王も断り切れず、一曲弾いた直後に記録官へ「秦王が趙王に瑟を弾かせる」と記録させた。

これは趙王を配下に置き、楽士扱いしたと言う秦王の宣言でもあったが、藺相如はすかさず秦王に歩み寄り「缻(ふう)」を差し出した。※素焼きの器であり、瓦盆の様な物

「秦では宴席にて缻を叩いて歌うと聞いております、両国の友好を祝し叩いて頂きたい」と。

秦にはその風習は確かにあった物の、他の諸国から見れば下品で「行儀の悪い」行為であり、秦を蛮地と言っている無礼な申し出であった。

当然、秦王は憤り殺害をほのめかしたが「私と秦王様は五歩の位置です、私の首を撥ねれば私の血は秦王様に注がれてしまいます。」と暗に脅迫をした。

秦王が藺相如を殺せる位置と言うことは、藺相如にも秦王の命が届く位置と言う事でもあり、藺相如に相討ちの覚悟がある事を秦王は悟った。

止む無く、缻を叩いた秦王を見ると、藺相如は記録官に「秦王が趙王のために缻を叩いた」と記させ、宴席が盛り上がったと笑った。

また、秦の臣が「我が王の長寿を祝って、貴国の十五城を献上してはいかがか?」と言った際には、すかさず、「貴国こそ我が王の長寿を祝って、咸陽(秦の首都)を献上してはいかが?」と言い返す始末であった。

結果、秦は趙王を格下扱い出来ず、帰国の際も警戒を怠らなかったので秦は何一つ手出しが出来なかった。藺相如は、趙と秦を常に対等に扱わせた上で、趙王の身も面子も守ると言う大功をあげたのである。


廉頗の不満

藺相如は数々の功績から、上卿と言う大臣の位に匹敵する地位を与えられ、趙王から厚い信頼を得る事となった。これに不満を持ったのが趙の将軍、廉頗であった。

上卿は廉頗より上の位であり、更には常に戦いで軍功を上げて将軍になった廉頗には弁舌一つで成り上がった男であると藺相如を内心見下していたのだ。(実際、藺相如は決死の覚悟とは言え秦へ二回行っただけであるとも言える。)

これに対し廉頗は「自分は数多くの戦いを経て功をあげた。しかし藺相如は口舌だけで自分より上の位にいる。あんな奴の風下に立つ事は我慢がならない。今度藺相如に会ったら辱めてやる!」と公言するまでに至った。(この辱めるは、暗に暴力を伴う行為を言っていると思われる。)

藺相如はその話を耳にすると、極力廉頗と合わない様に行動をした。参内する時間をずらし、同じ時間になるのであれば、病と称し休む。廉頗将軍の馬車を見れば、自らの馬車を隠して通り過ぎるのを待った。


刎頸の交わり

この行為が余りに臆病に見えたのか、藺相如の使用人たちは「藺相如様と廉頗将軍は同列である、逃げ隠れる必要など無いではありませんか!」と暇乞いをした。(ようは辞職)

それを聞いた藺相如は語った「私は秦王と臆することなく渡り合った。そんな自分は廉頗将軍を怖がっているのではない。今、秦が趙を攻撃しないのは私と廉頗将軍がいるからだ。もし、私と廉頗将軍が争えば秦の利益にしかならない。私が隠れるのはいらぬ争いで国家を乱す事が無いようにしているからだ。」藺相如は自身に対する侮辱をあえて受ける中で、私情を抑えて国家を優先していたのである。使用人たちは頭を下げ、自身の過ちを藺相如に詫び、藺相如もそれを快く許した。


この話は瞬く間に広まった。ある時、藺相如の屋敷に廉頗と会って欲しいと客人が訪れた。

廉頗の公言を知っていた藺相如は断ったが、既に連れてきていると言う。

趙の総司令たる廉頗将軍を無碍に追い返す事は出来ないと、藺相如が待っている部屋へ合いに行くと、廉頗は諸肌を脱ぎ、茨の鞭を背負って頭を下げていた。

廉頗は「藺相如殿に対し、大きな心を知らずに自分は実に愚かで酷い事をした。幾ら打たれても貴方が受けた屈辱には足りないが、この鞭で気の済むまで打っていただきたい。」と茨の鞭を差し出した。

藺相如は「何を仰られますか、廉頗将軍がいるからこそ趙に易々と秦は攻め込んでこないのです。」と答え、鞭を打たずに服を着せ廉頗を快く許した。

この寛大な処置に廉頗は深く感動し「藺相如殿のためならば、たとえこの首を刎ねられても悔いは無い」と言い、藺相如も「私も、将軍のためならばこの首を差し出しましょう」と言い、友としての親交を結んだ。

これを刎頸の交わり、または刎頸の友と言う故事となり、今に伝わる。


事実、藺相如と廉頗が健在な内は秦は趙に手出し出来無い程、強固な国であり続けたほか、同盟の約束を長い間反故に出来ずに守り続けざるを得なかった。

(秦は約束を破る常習犯でもあった。)


余談

上記の交わりが結ばれた五十年後程に、張耳陳余と言う人物が、廉頗と藺相如に倣い刎頸の交わりを交わした。

しかし、秦の反乱軍に身を投じた際、秦に囲まれた張耳に対し、陳余が援軍を送れずにいた事で仲違いをしてしまい、お互いを殺し合う仲になってしまった。

(陳余は張耳を助けたくない訳では無かったが、包囲を易々と敗れぬこと。自身が無駄死にすれば張耳の仇も取れないと感じていた為とされる。)


日本で起きたロッキード事件田中角栄小佐野賢治の関係が刎頸の友であると有名になった。

ただし、田中角栄が刎頸の友と呼んでいたのは入内島金一であり、これはロッキード事件より前の話で田中角栄が「私は、入内島金一君とは、四十年来の親友であります。これはもう刎頸の友であります。この世の中にある三人の一人であるというぐらいに刎頸の友である」と言った際、残りの2人は誰だと言う事となり、どこかの週刊誌が調べたら、小佐野賢治と中西正光しかいないという結論になり広まってしまったと言う。実際にロッキード事件の裁判では、小佐野賢治は「刎頸の友と自分で言った覚えは無いのですが……」と言っている。


沖縄の方言で親友を意味する「くびちりどぅし」は一説には刎頸の友が語源であるとも言う。

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