「すり潰せ」
CV:浪川大輔
概要
魏軍第一将。蛇甘平原で戦死した魏火龍七師の一人・呉慶の息子で、父と同じく知略を得意としている。上述の口癖も父と同じ。
合従軍編では魏国総大将として登場し、考案した独自の攻城兵器の巨大井闌車や床弩を投入して、難攻不落の函谷関を陥落寸前まで追い詰めた。その巨大井闌車の設計技術については李牧も感嘆していたほど。二台投入した巨大井闌車の内の一台は桓騎の火矢によって炎上してしまったが、もう一台はその反省を生かし防火対策をすぐさま施した。ところが残った一台も桓騎の策によって中に侵入され、地上に降りた張唐によって韓の成恢が討たれる一因となった。しかしこれも、用心深い呉鳳明が本陣を下げていたことから、本陣が近い成恢が狙われて助かったという経緯がある。
合従軍は失敗に終わったが、楚の媧燐と共に中華に名を轟かせることとなった。秦が魏へと侵攻した著雍の戦いでも登場し、あらゆる局面に対応できる布陣を敷いたことで騰を苦しめていた。14年もの間、投獄されていた魏火龍七師の3人を釈放することを王に直談判し参戦させることに成功している。その内の一人である霊凰は軍師としての師でもあった。
圧倒的優位な戦いを繰り広げていたが、王賁の考案した3点同時突破という奇策によって飛信隊に本陣まで急襲されてしまう。間一髪のところで影武者を仕立てたことで脱出に成功するが、羌瘣によって影武者であることを見抜かれる。霊凰と合流し、手薄になった騰本陣へ戦力を集中させようとしていたところへ信が急襲。矛を構えた信を見た呉鳳明は咄嗟に霊凰へ向かって「鳳明様 お逃げをっ」と叫び、信の狙いを霊凰へと向けることに成功する。霊凰は一刀され命を落としたが、呉鳳明は間一髪のところで離脱に成功する。霊凰の直属の部下から攻め立てられるが、1年で霊凰に追いつき、さらに次の1年で突き放すと宣言し、これからの魏に必要な人物は自分であるという発言をした。その際に霊凰の大ゴマである狂戦士乱美迫も直属の部下にしている。
後に秦からの申し出で魏と3年同盟を結んだことにより、一度戦った間柄である騰と共闘して楚の什虎軍と戦うことになる。同じ軍師である秦の蒙毅が圧倒されるほどの圧倒的な戦略を披露し、什虎城を制圧することに成功した。