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蛇甘平原編

だかんへいげんへん

蛇甘平原編とは、漫画『キングダム』におけるストーリーの括りの一つ。
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概要編集

漫画『キングダム』においてが初めて戦争に参加する話である。

本漫画における戦いのチュートリアルの側面もあり、歩兵の兵法や本能型の武将/知略型の武将王騎と学ぶことができる。


史実では司馬遷史記』に記述があり、麃公が巻を侵攻し3万人を斬首したのが元になっており、史実に即すなら巻攻略編とも言える。

だが、本作ではそもそも巻の名称が登場せず、この史実に関しても作中では「を攻め」(具体的な侵攻地点は明らかにしていない)としている。

ただし『キングダム公式問題集』では蛇甘平原という地名自体も完全な創作であることが明言された

それでも巻を使わなかったのは、話のメインが城攻めでは無いためであると思われる。ともあれ、蛇甘平原が信の主戦場並びに戦いの決着の戦場であることから蛇甘平原編と呼称され、公式上でもこちらが起用されている。


実写映画第2作はこちらも話に組み込まれている。


以下はネタバレになりますので注意して閲覧してください。


経緯編集

紀元前245年(始皇2年)、王都奪還から3か月後にあたるこの頃、秦と魏の国境の地・滎陽を巡る争いが激化。

秦・魏両軍がともに15万を挙兵する中、信も従軍していた。

その中で、身長が最も小さい信、村の尾兄弟(尾平尾到)、謎の人物・羌瘣、一見頼りない伍長・澤圭の5人から、歩兵の最小単位・を結成。

軍をさらに整えるため、秦の城の1つ・丸城を目指す。

だが、丸城の城主・黒剛将軍が魏国の呉慶将軍に討たれ城内の人間を皆殺しにされたことで、信たちは他の秦の大軍と秦の城の1つ・亜水で合流し、滎陽を直接攻撃する羽目になった。


騎兵隊である千人将は行軍中の信と合流し、先に亜水に着いたものの、呉慶は亜水を落とすべく15万を大挙した。

だが、秦国総大将・麃公は、呉慶の狙いを魏軍主力の戦車隊が活きる平地戦に持ち込みたいため亜水を狙ったと断定し、こちらも平地戦を仕掛けるべく、信たち歩兵を滎陽と亜水の間にある蛇甘平原に向かわせるのだった。


装甲戦車隊の脅威編集

蛇甘平原に着いた信が見た光景は、まさに秦と魏の歩兵が交戦している状況だった。

信たちの伍は、気性の荒い縛虎申という千人将の先発隊に組み込まれた。

伍の兵法や信の活躍により魏の歩兵を容易に突破したのも束の間、魏将軍・宮元が装甲戦車隊を投入。

一方的に蹂躙される秦兵だが、羌瘣の策により死体の山で防壁を築いたことで、装甲戦車隊の動きが鈍くなった隙をつき信が一騎を撃破、倒れた騎馬を信が奪取し、秦兵の反撃が開始された。

所詮は大きな戦場の局所的な活躍でしかないため宮元も見落としていたが、麃公は見逃さず信たちの元へ騎馬隊を送り込み、この意図を読んだ縛虎申は信たち生き残りの歩兵とともに、丘の上にいる宮元の首を取る命令を下した。

信たちの元へ送った騎馬隊が善戦したことで、麃公はさらに壊滅していた別の軍もそちらに向かわせ平地は大混戦となる中、縛虎申と信などの生き残りが丘を駆け上がった。

丘の中腹に潜んでいた魏の伏兵を抜けたが、頂上に向かうため縛虎申は連れてきた歩兵を引き離す決断をした。

連弩隊の放った矢に射抜かれるもなお歩みを止めない縛虎申の活躍により、ついに宮元の首を討ち取った。


王騎乱入編集

宮元の首を討ち取り優位に立った信たちだが、縛虎申は討死、信たちが上った丘の中腹に居た魏兵1千人が追手となり、さらに信たちが上った反対側には本陣を自ら動かした呉慶が率いる大軍勢が迫っていたため、絶体絶命の窮地に立たされていた。

だが、別の丘に突如現れた王騎軍が信たちのいる丘に登って来たのだ。

遅れてやって来た壁は王騎に突撃命令を進言するも、王騎は「援軍に来たわけではない」と一蹴し、信に本能型の武将の麃公が勝つか知略型の武将の呉慶が勝つかの賭けを持ちかけた。

間もなく麃公軍が呉慶軍とぶつかり、王騎の説明に納得がいかない壁は麃公の援護に向かい、遅れて信も、大将首が見えているからと王騎から馬を借りて駆け出した。

麃公軍の攻撃力を削りに行く呉慶軍に加え、呉慶は朱鬼麻鬼の兄弟将軍を出撃させる。

麃公軍の援護に向かった壁と信だったが、兄弟将軍を見て信は単独で朱鬼と交戦し討ち取り、残った麻鬼も先陣を切っていた麃公が瞬殺されたことで、呉慶が麃公の前に現れ、一騎打ちに持ち込むのだった。

だが、武力では及ばず呉慶は討死。

魏軍にはまだ将軍・白亀西が残っていたものの、王騎が立ちはだかったため魏軍は撤退することになり、秦軍の勝利となった。


顛末編集

この戦いで麃公を総大将とした秦国が殺した魏兵は累計3万人に及んだ。

この頃の秦国では、挙げた首級(死体の首)と恩賞を交換する制度であったため、魏の兵士が戦いの最中に死亡し、その持ち帰った死体の首の総数が3万だったという意味であり、白起桓騎のように魏の敗戦後に斬首をしたわけではないと思われる。


歩兵の信には論功行賞はなかったものの、作中の論功行賞のように信の功績を表現するなら、縛虎申千人将の隊にて装甲戦車隊を打倒し、他の歩兵を率いて縛虎申千人将とともに魏軍副将・宮元の首級をあげる援護を行い、最後に魏軍将軍・麻鬼を自ら討ち取ったといったところで、少なくとも伍の範疇で行える大功ではないことから、この戦だけで百人将に昇格した(逆に言えば、蛇甘平原の戦いは作中で信が兵卒として戦った唯一の戦いとなった)。

当然、信の村では百人将が出たということで一躍有名人となり、彼の元で戦いたいと言う村人も多く集まったため、次の戦で彼らを母体とした飛信隊が誕生することになる。


なお、王騎が蛇甘平原に現れた理由は、当時趙から魏に亡命した廉頗に心中見舞いに行ったためである。

この戦があった同年、趙では悼襄王が即位したが、幼少の頃から廉頗に諫められていた悼襄王にとっては廉頗が不快な人物だったようで、彼が即位するや否や遠征中の廉頗から大将資格のはく奪を言い渡した。

廉頗は当然これを拒否したため、悼襄王は将軍・楽乗に廉頗を逆賊として討てと指示。

こうして遠征中の廉頗と趙兵5万を大挙した楽乗による趙軍同士の戦いが勃発したが、結局廉頗は討てなかった。

とはいえ廉頗は趙には戻れないため、廉頗は四天王(詳しくは山陽攻略編を参照)などを引き連れ魏に亡命したのだった。

その後、魏では彼に屋敷が当てがわれ、これを聞きつけた王騎と王騎軍が国境を越えて屋敷で酒を呑み交わした。

偶然にも王騎が廉頗と酒を呑んでいた間にこの戦が起こり、ついでに昌文君が一目置いている信を見るために、蛇甘平原に現れたという訳である。


実写映画(ネタバレ注意)編集

劇場版第2作『遥かなる大地』は主にこちらの戦いを描くが、劇場版の特設サイトによると魏が秦に侵攻したことになっている。

それもそのはず、本作では呉慶が秦国に滅ぼされた亡国の王子になっており、本作で侵攻した動機は身も蓋もない表現をすれば、私怨である。


本作では大王暗殺のため朱凶と羌瘣が王都に乗り込む刺客急襲編が改変され、蛇甘平原編より前になり、羌瘣が原作通り蛇甘平原編で登場する流れとなっている。

このため刺客急襲編では羌瘣が登場しない代わりに朱凶が蚩尤について言及し、蛇甘平原の戦いで羌瘣の正体が蚩尤であることを信が察する展開になっている。

また、上記の改変により朱凶急襲の直後に魏軍が侵攻していることから、朱凶(=呂不韋)と魏軍(=呉慶)の関係を疑うが、少なくとも本作で関係は明かされていない。


蛇甘平原の戦いの大局自体は原作通りだが、本作初登場の羌瘣の描写を増やすためか、装甲戦車隊の突破後も魏軍歩兵が秦軍残党を追撃し、信たちは一晩逃げ回る展開(馬陽戦で龐煖の夜襲で大打撃を受けた後の展開と類似)に変更された。


関連タグ編集

キングダム


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