本能型の武将/知略型の武将
ぶしょうのたいぷ
王騎「''知略''対''本能''!これは武将の中の永遠の題目ですよォ」
蛇甘平原の戦いにおいて王騎が語った所によると、武将には二種類存在する。
一つは麃公のように戦場を燃え盛る大炎で例える''猛将''
一つは呉慶のように戦場を理詰めの盤面で考える''知将''
彼らの思考が戦場に戦況を生み出し、戦況の変化によって兵士の犠牲が尊いものにも無駄なものにもなり、戦の勝敗に直結する。
そのような戦場の捉え方、あるいは戦況の動かし方を行う武将の性質があり、前者を「本能型」の武将、後者を「知略型」の武将と作中では呼称している。
より簡単に表現するなら、戦場の動きに応じて適切な対応を取るにあたり、直感を信じるのが本能型、理屈を信じるのが知略型と言ったところだろう。
後に王翦が本能型の武将について解釈したところによると、「武を極めると“起こり”を察知し相手の動きを読む。読めば敵の技は通じずさらに返しの技を出せるようになる。奴らは敵兵の表情や集団の重心やらからそれを読み取る。」とのこと(この“起こり”が、麃公が言う火や、慶舎が言う匂いと同一と考えられる)。
ただし王騎や李牧がこの型を意識しているとはいえ、以下の理由により作中でこれらの武将の型が明言されることは少ない。
まず、史実では秦が中華統一するまでの間に登場する名の知れた武将は少数であり、その功績は後になって生まれるものであるから、現在進行形では実績に乏しいと言える。
つまり諸外国にとっては知名度がない武将の把握が困難なのが実状と言わざるを得ないのである。
一例として、事情はあるものの隣国・楚の将軍汗明を秦の兵士が殆ど知らないと言った具合である。
次に作品の脚本の関係にある。
本作は史実の秦国を中心に構成されているのと、史実で秦の暴威を阻むことができたのは趙と楚のみであったことから、逆に言えば秦・趙・楚以外は、特に戦で多くと描いても蛇足にしかならないため、その設定まで描ききれないのである。
このため作中時系列の史実で秦と戦の多い趙や魏はともかく、他の国については戦い自体が簡略化されることもあり、68巻現在において特に本能型の武将と明言されているのは現状で秦・趙の人物のみである(詳しくは下記の一覧を参照)。
そして極めつけは、この武将の型を判別し説明できる登場人物が不足している。
王騎や麃公の戦死により長年にわたって武将を見てきた人物(=武将の型を判別できる人物)が不足している他、一つ目の名の知れた武将が少ないことにも関連し、頭角を現しつつある武将、他の武将の陰に隠れていた、または諸事情で病死したことにされたため詳細不明な武将、あるいはただ攻撃するのみという戦略も何もない武将と言った世代交代や戦の多様化(?)により、判別自体が困難を極めているのもあるだろう。
また、本能型でも知略型でも知略を用いて戦うことには変わりないことから、極端な話作中の大半の武将は知略型の武将と言っても問題ない程度に差別化が難しいのも事実である。
上記のように本能型と知略型を分けるのは直感か理屈かしかないものの、本能型の武将だからと言って全て直感で戦うわけではないし、知略型の武将だからと言って逃げる必要のある戦況でも一騎打ちに望む場合もある。
どちらにしろ頭を使って戦況を把握し、その状況に適した判断を行うが、その根拠が直感か理屈かの違いでしかないため、判別が難しいのだと思われる。
なお、現状作中に登場している軍師は全て知略型と言っても良いだろう。
武将と異なり自ら先陣を切って戦うことなく兵士の命を預かるという重大な責任があることから、兵士を切って捨てるにしても河了貂のような葛藤は当然あるだろうし、そもそも知略型の武将の知略は軍師並みであることから、人材を意識するならむしろ、飛信隊のように頭で考えるのが苦手だが強力な武将に軍師を付けるのが自然と思われる。
本能型も知略型も、後天的に身につけられるものである。
作中登場時点で両方を備えた廉頗の他、知略型の李牧が本能型の麃公の戦術を研究し、李牧軍は本能型と知略型を併せ持った軍になった。
作中では現在6人が判明している他、一部に本能型の可能性がある。
主人公。
麃公が断じている。
河了貂が来るまでは彼も作戦を考えていたが、羌瘣不在の際は連敗続きだった。
この理由は単に経験不足(周りが言うように馬鹿だった)と言えるが、相対する相手が知略型の軍師だったため、経験不足かつ本能型の武将の信では一線級の軍師に勝てないのも道理である。
同じ本能型の武将である尭雲との戦いでは河了貂に代わって指揮を執り、河了貂よりも善戦していた。
これ以降、危機的状況で李信が動いて窮地を脱する展開が見られるようになる。
李牧に「本能型の極み」と評される。
洞察力が高く、龐煖の矛盾点も理解していた他、彼の戦い方は相手の武将を知ることに重点を置いている。
元・趙三大天だが、山陽攻略戦では魏軍の大将軍として登場し、敗戦後に楚に亡命した。
蒙驁が彼について、開戦前は緻密な戦略を立てる’’知将’’となり 始まれば戦況の推移を直感的に見抜く’’本能型’’にもなると評している。
李牧が評しているが、彼の場合は知略型にも見えるため客観的な判定が難しい。
作中では彼を蜘蛛のように例えることがあり、獲物を蜘蛛の巣で絡め取り倒すような表現が為される他、上記の''起こり''を「匂い」と表現している。
黒羊にて慶舎が自分と同じ匂いがすると断定したが、李牧も察していた。
事情ありきだが離眼兵への檄は大将軍にも匹敵する。
飛信隊が相対した際に貂の作戦により苦戦していたことから、信と貂が断定。
同じく本能型である信が指揮を取って善戦できた。
元々知略型だが、麃公の戦いを研究したことで本能型の考え方を身につけた。
作中の明言は無いが、軍師荀早の存在や自身は頭が良くないことを認めているため。
言及は避けるが、別の意味でも本能型と言える。
作中の明言は無いが、幾つかの状況証拠から推測できる。
黒羊では本能型の武将である慶舎が真っ先に桓騎の弱点を見出している(弱点の詳細は不明だが、少なくとも一般的な知略型の戦い方では無いのは確かである)。
また、宜安侵攻の判断の際に李信の違和感に同調していた他、同じ蒙驁の副将の王翦や下記の側近の黒桜をもってしても彼の思考は読み切れない。
戦法は残忍と評される一方、根底には野盗としての経験や「相手の嫌がることをする」考え方(つまり相手の思考を熟知している)があり、影丘の戦いのように歴史上は軍略として存在するものも見られた。
桓騎軍傘下将軍にして紅一点。
摩論曰く「(黒桜の勘は)いつも外さない」。
ただし彼女をもってしても桓騎の考えは読めない。
作中で明言されたのは王騎、呉慶、李牧、廉頗のみ。
他の人物は知略型と明言されていないものの彼らの関係者かつ知将であることから、知略型の可能性が高い。
麃公が信を本能型と評した際の台詞より。
武力も兼ね備えた元六大将軍の一人。
唯一軍師から六大将軍に成り上がるほどの知将だった。
昌平君の師であり、王翦を高く評価していた。
王家の本家で現頭首。
王騎は分家にあたる。
新六大将軍の一人。
胡傷から評価されていた他、朱海平原での戦いでは李牧と互角以上の頭脳戦を繰り広げた。
胡傷の弟子にして、秦国軍総司令かつ軍師養成学校を経営する実力を持つ。
武力も知力も一流で、介億曰く「誇張すれば武力は蒙武級、誇張無しに頭脳は李牧級」。
若くして昌平君から才能の底が見えないと評価されるほどの天才。
作中で知略型の明言はないが、軍師養成学校を卒業していることから知略型の適正はある。
元・趙三大天だが、山陽攻略編では魏軍の大将軍として登場し、敗戦後に楚に亡命した。
蒙驁が彼について、開戦前は緻密な戦略を立てる’’知将’’となり 始まれば戦況の推移を直感的に見抜く’’本能型’’にもなると評している。
王騎も認める知略型の武将。
王騎は本能型の麃公と知略型の呉慶の対決でどちらが上かを信たちに聞いた。
呉慶の実子にして、軍略家霊凰の弟子。
新魏火龍。
函谷関にも掛けられる巨大な井闌車や函谷関の巨大な壁すら貫く床弩といった道具を用いる戦法も取る。
元々は知略型。
上述の通り麃公の戦術を研究したことで、本能型の考え方も会得した。
国内で戦の天才と評されるが、戦略自体は知略型の李牧も認めている。
作中で明言はないが、作戦を綿密に考えるタイプなので知略型と思われる。